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ブックマーク / www.newsweekjapan.jp/asteion (5)

  • マゾヒスト女性はその行為を真に欲望しているのか、それとも男性優位社会の社会通念を内面化した「被害者」なのか

    私はマゾヒストであり、この男性から完全に支配されることを望んでいます、と主張する女性がいたとする。私はサディストであり、この女性を縛り、鞭打つことを「愛情行為」として実践しています、と主張する男性がいたとする。これらの行為には同意があるとしよう。これらは、いわゆる「SM」と呼ばれる実践に当てはまる。 対等な成人同士による、同意の上の行為については、それがたとえ一般的な社会通念に沿わないものであっても尊重されるべき、という考えは、現在それなりに支持を得ている。しかしそうはいっても、支配や暴力行為に対する同意については、なんとなく不安を覚えることが多いはずだ。 そもそもその同意は当に人の意思なのか。男性のほうがかなり年上で社会的地位もある場合、女性の同意は信じられるのか。そもそもどのような関係が真に対等な関係と言えるのか。人の気づかないうちに、誘導されているのではないか。そもそも、なぜ支

    マゾヒスト女性はその行為を真に欲望しているのか、それとも男性優位社会の社会通念を内面化した「被害者」なのか
    gcyn
    gcyn 2024/04/25
    (ここ関係の本は緩いけど立脚点や着目点が面白いってことからのノリで一冊にしてるのがもしかして多い…?て印象でいますので、ご本読むならそのつもりで、結局は他に進むなかでのある一冊と思って買う感じかも。)
  • ブラジルのダンスシーンで大注目、日本文化が独自進化した「マツリダンス」とは? 一晩で1万2000人が一斉に踊った

    ロンドリーナ祭りにおける創作盆踊り 現在、ブラジルの日系文化プレゼンスでもっとも熱いと思われるエリアが、南部のパラナ州である(図1)。戦前から多くの日人が入植した地域であり、戦後は政界、財界、法曹界、ビジネスなどさまざまな方面に進出し、めざましい活躍をしている。 同州北部の中心都市ロンドリーナ(人口約55万)は、戦前イギリスの土地会社によって開発され、ロンドンにちなんでその名がつけられた。日人の入植も戦前の1930年から始まり、すでに三、四世の世代を中心に強力なインテグレーションを持った日系コミュニティが存在する。 さて、同地の日系文化で、ブラジルのダンスシーンでも注目されているのがマツリダンスである。マツリダンスは、毎年9月に行なわれるロンドリーナ祭り(Londrina Matsuri)で披露される創作盆踊りで、90年代に「新しい盆踊り(ボンオドリ・ノーヴォ)」としてこの地域で始まっ

    ブラジルのダンスシーンで大注目、日本文化が独自進化した「マツリダンス」とは? 一晩で1万2000人が一斉に踊った
    gcyn
    gcyn 2024/01/15
    『グルーポ・サンセイは新しい世代を意味する「三世」と肯定を意味する「賛成」をひっかけた言葉だという』
  • 2人を同時に好きになることはできるか──漫画『イエスタデイをうたって』を視覚研究者が読む

    <「私たちは、1つのものしか視ることができない」。視覚機能の研究者が考える、好きという気持ちの脳の処理、そして「視る」についての話> 私は、ヒトの視覚機能に興味を持って研究をしている。視覚体験というのは直感的で、とてもわかりやすい。そのひとつ、Binocular rivalry(両眼視野闘争)は、私たちがふだん世界を見るために使っている2つの目、それぞれに別々のものを見せることで生じる。 例えば、左眼にA、右眼にはBの絵を見せる。このとき、AとBが混ざり合ったような絵が見えるのだろう、そう考える人が多い。しかし、これは正しくない。いくつかの例外はあるものの、基的に二者は混ざり合わず、左眼に視えているそのままの姿のA、または右眼に視えているそのままの姿のB、そのいずれかが見える。しかもそれは、周期的に入れ替わる。 Aが見えていると思ったら、突然それがBへ変わり、少し間をおいて、それはまたA

    2人を同時に好きになることはできるか──漫画『イエスタデイをうたって』を視覚研究者が読む
    gcyn
    gcyn 2022/05/26
    『1つの「好き」という気持ちを生むために、トップダウンとボトムアップの処理はせめぎあう/そのときその瞬間に視えているのは常に片方だけ/そうきっと、「私たちは、1つのものしか視ることができない」』
  • 日本も無縁ではない「民主主義のハッキング」

    <パソコンやスマートフォンだけでなく、デジタル空間では民主主義すらハッキング対象となっている。米国や台湾だけでなく、日の選挙が外国に干渉されるリスクもある> ハックされる民主主義 あらゆるものがハッキングされている。パソコンやスマートフォンなどの電子・通信機器のみならず、インターネットにつながる自動車、家電、ウェアラブル端末までもがハッキングの対象だ。 さらにいえば、インターネットに接続されていないこと(エアギャップ)もハッキングからは逃れられない。2010年にはイランの原子力関連施設で遠心分離機が破壊され、2016年には米国の電力網の一部が停止させられる寸前だった。前者はフラッシュドライブ(外付けUSB)が、後者は保守メンテナンスを担う外部委託事業者の専用回線が「エアギャップ」を超えたとみられている。 近年、懸念されているのは民主主義に対するハッキングである。多くの人は、制度が攻撃され

    日本も無縁ではない「民主主義のハッキング」
    gcyn
    gcyn 2022/05/26
    『これらが維持されているという信頼・感覚が重要である/干渉されたかもしれないと疑うだけで十分なのだ/恐らく憲法改正に関する議論は国論を二分する。これ自体は自然なこと/ハッキングを許してはならない』
  • ウェブはなぜ「横長」なのか──オンラインコミュニケーションに身体性がない理由

    <縦長の西洋絵画に見慣れていると、オンライン会議の横長フレームが気になる......。ウェブでのコミュニケーションを窮屈と感じるときに、私たちが欲しているものとは? 論壇誌『アステイオン』95号の「隠された手を求めて」を全文転載する> 2020年の新型コロナウイルスの世界的流行以降、私たちの日々のコミュニケーションは一気にオンライン化が進んだ。ひどいときには、8時間近くパソコンの前に座りっぱなし、という日々を過ごすなかで、ふと気になったことがある。なぜ、WEB会議システムが映し出すユーザーの姿は、横長のフレームで切り取られているのだろう、と。 これは西洋絵画に親しんできた眼には、いささか奇異にうつる。なぜなら、西洋美術における肖像画は、圧倒的に縦長で描かれることのほうが多いからだ。『モナ・リザ』しかり、キリストに模したデューラーの『自画像』しかり......。人間の身体が縦長である以上、半

    ウェブはなぜ「横長」なのか──オンラインコミュニケーションに身体性がない理由
    gcyn
    gcyn 2022/05/03
    『これらの手が、個々の人物の内発的な動機によって動いているというより、外的な要請によっていわば「振り付けられて」いるように見えるということ、そして〜一種の分裂が生じているように見える、ということ』
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