石の血脈 / 半村 良 などの紹介コラム。 伝奇小説と聞くと、どんなイメージを持つだろうか。少し前になるが奈須きのこの『空の境界』や竜騎士07の『ひぐらしのなく頃に』など、ノベルゲームを起点とした作品がヒットを飛ばし、「新伝綺」ブームが叫ばれたことがあった。その余波で、漠然とした印象は残っているかもしれない。あるいはもう少し遡って京極夏彦の諸作品まで含めると、だいぶん輪郭がはっきりしてくるだろう。ノスタルジックな日本の情景と湿度の高い暴力
『ゲーム小説』の一読者視点からのアレコレ【前編・80~90年代コンピュータRPGの時代】 公開日:2021年4月30日センセイ (べ・一文字) 読者の皆様は「ゲーム小説」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか? ここで元祖はどうとか本家はどうとかいう話を始めると様々な異論反論が入り乱れてかつライトノベルの定義がどうこうとか余計な方向からの流れ弾も飛んできて宗教戦争かくやと言うペンペン草も生えない焦土状態になる事は火を見るより明らかと思いますので、あくまで個人的な体験・経験則を元に語る「ゲーム小説の蘊蓄」が今回の題材と言う事でお願いします。かつ、文中敬称略です。 まぁそう言った前置きと言うか逃げを打った上でも、現在まで続くライトノベル史の起点とも言うべきタイトルとして『ロードス島戦記』(著・水野良/角川書店(現KADOKAWA))を外す事は出来ないと思います。 元々は『コンプティーク』誌に連載さ
https://lightnovel.jp/blog/archives/2021/0526.html 80年以前は触れない。 SF、冒険は「少年少女向け小説」に欠かせないモチーフだったとは思う。 アニメ的な要素が入るのは《ソノラマ文庫》 少女小説(略)は《コバルト文庫》。プロパー(プロスパーではない)な氷室冴子とか新井素子の名が上がるので赤川次郎の名前を入れ忘れるが、もしかすると「キャラクター小説」形成に対しての功績は大きいのかもしれない。 FT、特にRPG、特に特にドラクエ以降のJRPG(略)は《スニーカー文庫》《富士見ファンタジア文庫》 エロゲ・ギャルゲ的な要素が入ってきたのは《電撃文庫》のブギポ以降かな。 なろう!に代表されるWeb小説の文庫以外での書籍化は、まおゆうなどの先行例はあたかもしれないが、オバロや転スラ、盾の勇者や無職などで一般化。 一時期ボカロ小説も流行ったな。 人材の
※この原稿は、2018年末~2019年初頭に羽海野渉が書き、その後『#ライトノベルオールタイムベスト』の選考における指針となった論考である。なお、『PRANK! Vol.4』に掲載された原稿は本稿の草案であり、似ている部分があることをここに記しておきたい。また、2021年現在、少し異なる部分があることを注記しておく。 ですので、過去に書かれた原稿であることを考慮したうえで、『#ライトノベルオールタイムベスト』と合わせて読んでください(今ならもっと違う感じに書きます)。そっちがメインです。 ◆はじめに ライトノベルという単語をご存じだろうか。もしあなたがご存じないとしても、書店などの片隅でアニメや漫画に近いイラストが表紙に装丁された書籍を見たことがあるかもしれない。ライトノベルとは戦前の少年小説や戦後まもなくのジュブナイル小説などを祖として、アニメや漫画などのコンテンツと密接な関係を保ちつつ
NEON GENESIS EVANGELION 3 アーティスト:TVサントラ,高橋洋子,Aya,Aki,Rei発売日: 1996/05/22メディア: CD ※この文章はシン・エヴァンゲリオンの感想というよりTV版・旧劇場版『新世紀エヴァンゲリオン』の昔話ですが、シン・エヴァンゲリオンのネタバレも含みます。ネタバレが嫌いな人は読まないでください。 ※BLOGOSの担当者のかたへ:この文章は転載しないでください。 「シン・エヴァンゲリオン劇場版」公開から1週間分の感想エントリまとめ - まなめはうす 今日までにシン・エヴァンゲリオンについてたくさんの人が感想や論評を書いていて、個人史が伝わってきたりもして面白かった。ところが自分はシン・エヴァンゲリオンの感想や論評が書けない。それよりも、TV版25話・26話と旧劇場版『Air/まごころを、君に』のことばかり思い出してしまう。また、式波アスカ
シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇 以下、全文ネタバレです。 満を持して『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』を見た。 ガチで泣きました。映画としてはそう大したものでもないのに「『シンエヴァ𝄇』を見た日のことは人生の区切りの一つとして忘れないであろう」みたいな心境になってしまうあたり、俺は自分が思っていたよりもエヴァが大好きだったらしい。 シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇 語るべきことの終わり エヴァに関心を失う子供たち エヴァに固執する大人たち もうどうでもゲリオン 語るべきことの終わり 正直なところ、『シンエヴァ𝄇』が「二十年前の青春に決着を付ける」「庵野が出した答えとは何か……」みたいな文脈で消費される風潮はあまり快くは思っていなかった。それは映画そのものを語るというよりは単に映画をダシにした自分語りであり、新海誠を見て自分の恋愛遍歴を滔々と語り始めるのとそう大きな違いはないからだ。
ライトノベルの読者年齢が上がっているとよく言われる。中心読者は30代である、と。 筆者も何人かの編集者にヒアリングしてみたが「昔と比べると中高生読者は減った」「平均年齢が上がった」と現場でも言われているようだ。 それではラノベはもう10代に読まれなくなったのかというと、これが微妙なところだ。 中高生のラノベ受容、知られざる実態 異世界ファンタジーなどのジャンルは基本的に年齢が上にスライドした一方、2011年から19年まで刊行された渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(ガガガ文庫。通称「俺ガイル」)以降の青春ラブコメものや、2019年から刊行が開始された二丸修一『幼なじみが絶対に負けないラブコメ』(電撃文庫)などの幼なじみもののラブコメは比較的若い読者が付いていると言われている。 もうひとつ、TVアニメ化されて話題になると中高生にも“下りてくる”(広まる)ことが多い。 アニメ化以
雑談。エビデンスなし。Twitterで反論よろしくお願いします。 さて、今回はライトノベルのネクストブームについてお話します。 類似記事はこちら 結論から言うとライトノベルのネクストブームは学園ラブコメです。 あっ、学園ラブコメは青春ラブコメって読んでもらってもいいです。 それじゃダラダラ持論行きますー。 ここ数年のライトノベルのブームはラブコメでほぼ異論がないと思う。 ただこのラブコメブームにはいくつか流れがあるというのが持論。 本流のGA系 「29とJK(2016年)」から始まる"年の差"、"クリエイターもの"要素を取り入れた作品。 「ちょっぴり年上でも彼女にしてくれますか?(2018年)」 「友達の妹が俺にだけウザい(2019年)」 「お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件(2019年)」 「痴漢されそうになっているS級美少女を助けたら隣の席の幼馴染だった(2020年)」
2010年と2020年のライトノベル市場を比べると、読者年齢の上昇が指摘できる。 かつては「中高生向け」と言われていたが、今は「中高生向け」とくに「中学生にも支持される」作品は限られている。 この10年でラノベ市場に何が起こったのか。 2010年と2020年ではライトノベルと呼んで指し示されるものが変化した 2010年にすでにその変化の萌芽はあった。 柳内たくみ『ゲート 自衛隊彼の地で斯く戦えり』(アルファポリス) この年、柳内たくみ『ゲート 自衛隊彼の地で斯く戦えり』(アルファポリス)と悪ノP_mothy『悪ノ娘 黄のクロアテュール』(PHP研究所)がソフトカバーで刊行されている。 前者は小説投稿・閲覧を目的としたスレッド式掲示板サイト(5ちゃんねる=当時の2ちゃんねると同系のスタイルの交流サイト)であるアルカディアに書かれたものを書籍化した本。 後者はボーカロイド楽曲を原作とする小説、
「ファンタジー・ブームを終わらせた」作品 前回の連載では、ライトノベルにおける最初の(ライトノベルの始まりとともにあった)ファンタジーの歴史を大雑把に振り返った。続く今回は、そのファンタジーブームを「終わらせた」と言われている作品から始めたい。上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』だ。 本書は電撃文庫の小説新人賞、電撃ゲーム小説大賞(現・電撃小説大賞)の第4回大賞受賞作として、平成10年(1998年)に刊行された作品だ。 今でこそ「エンタテインメントノベルでNo.1シェア」を掲げる電撃文庫だが、その創刊は平成5年(1993年)と、平成元年前後に相次いで創刊した角川スニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫と比べると後発のレーベルと言える。(注1) 創刊当初の電撃文庫は、そのラインナップにおいて、水野良やあかほりさとる、深沢美潮や中村うさぎなど、既存のライトノベル・レーベルでですに人気を博していた
〔前編はこちら〕 今回の原稿執筆にあたっては、テーブルトークRPGをはじめとするゲームやWeb小説の歴史に関して、作家、翻訳家の海法紀光氏より貴重な助言を頂きました。記して感謝の意を表します。もちろん文責は評者にあり、文中に誤謬や不備等があれば、それは評者の勉強不足、理解不足によるもので、すべての責は評者にあることは言うまでもありません。 広がり続けていた「余地」 いずれにせよ、従来のライトノベル・ファンタジーにおいて、ファンタジーRPGのもつ「物語」の面白さを、「ファンタジー小説」として再現する方法は『ロードス島戦記』や『スレイヤーズ!』などによって比較的早期に確立されたが、その「ゲーム」の面白さを、小説の形で再現する試みについては、いくつかの成功例があるとは言え、一個のスタンダードな手法となって大きな潮流を作るまでには至らず、比較的、手つかずに残されていたと言えるのではないだろうか?
今回より、仲俣暁生先生のお手伝いをする形で、この「平成小説クロニクル」に参加させて頂くこととなった。評者はSFとライトノベル(特に後者)を専門とするライターであり、「平成」「小説」「クロニクル」という主語はいずれも大きすぎて逃げ出したくなるが、それでも一読者として平成という時代を(主にライトノベルとライトノベルとライトノベルと時々SFとそれ以外を読んで)生きた人間として、仲俣先生の補足ぐらいはできるはずと考えるので、読者諸兄にあたっては、孫悟空があの世から戻ってくるまで、自分たちだけでサイヤ人を迎え撃つことになったZ戦士たちを見守るぐらいの気持ちで応援して頂きたい(フラグ)。 今回の原稿執筆にあたっては、テーブルトークRPGをはじめとするゲームやWeb小説の歴史に関して、作家、翻訳家の海法紀光氏より貴重な助言を頂きました。記して感謝の意を表します。もちろん文責は評者にあり、文中に誤謬や不備
最近のマイブームとして、スペオペと歴史ものがバチクソに来ているので、歴史ものをオススメする記事を書きます。(スペオペを読みたい人は『無双航路』と『一戸建て』を読みましょう) せっかくなので舞台となる時代順にいきます 項羽と劉邦、あと田中 いわゆる楚漢戦争の時代にタイムスリップしてきた「田中」くんが、項羽でも劉邦でもなく、田儋・田栄・田横の三兄弟が治める第三勢力「斉」を舞台にその舌先三寸で活躍する話。つまり「田中(たなか)」でなく「田中(でんちゅう)」というネタ。 全体的にみるとかなり史実に沿いつつ、たとえば漫画『キングダム』でおなじみの名将・蒙恬の命を救ったりする胸熱な歴史改変もあり、またマイナー勢力視点でかなり細かいところまで描かれているので、楚漢戦争のことをぜんぜん知らない人も、けっこう知ってるよという人も楽しめると思います。 董白伝 知る人ぞ知る董卓の孫娘・董白ちゃんとなってしまった
ドラえもん のび太の新恐竜はいうなればたちの悪い『江戸しぐさ映画』だった。 いろいろと許せないところはあるけれども、一番大きな理由、始祖鳥先輩を無視していること。無視していることが問題なのではなく、そういうことをする姿勢が問題。感動させるためには、何をやってもいい、歴史になかったことをあったことに、あったことをなかったことにしてもいい、というスタンス。”感動することをやっているのだから歴史を捏造してもOK”という江戸しぐさしぐさ。これをよりによって、ドラえもんでやるということが、本当に度し難い。 のび太の新恐竜のあらすじ あらすじを話さないと、どこがどう悪いのか、ということが言えないのであらすじを書きます。ネタバレが嫌な人はここで回れ右してください。 のび太が恐竜展に併設されている発掘体験コーナーでスネ夫とジャイアンに丸ごとの恐竜を見つける!見つけられなかったら目でピーナッツをかむ!と宣言
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