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歴史と真田幸村に関するkaitosterのブックマーク (2)

  • 真田信繁の書状の原本 約100年ぶり発見 | NHKニュース

    ことしのNHKの大河ドラマ「真田丸」の主人公になっている武将の真田信繁が、自身の老いた姿など記した書状の原が、およそ100年ぶりに見つかりました。 書状は三重県に住む男性が古書店で購入し、信繁に関する古文書に詳しい慶應義塾大学の非常勤講師、丸島和洋さんが24日に鑑定を行って、筆跡や花押、それに紙の質などから信繁の直筆と判断しました。丸島さんによりますと、書状は義理の兄の小山田茂誠に宛てられ、書かれた時期は特定できませんが、故郷に住む人たちに会いたいという内容が記されています。また、「去年から急に老け込んでことのほか病気がちになり、歯も抜けてしまい、ひげも黒いところがなくなってしまいました」と自身の老いた姿を嘆く様子もつづられています。この書状は、大正3年(1914年)に作られた写が東京大学史料編纂所に残されていますが、その後、原の所在がわからなくなっていました。 丸島さんは「写では

    kaitoster
    kaitoster 2016/10/25
    『書状は義理の兄の小山田茂誠に宛てられ、書かれた時期は特定できませんが、故郷に住む人たちに会いたいという内容が記されています』←WIKI見ると生前最後に送った手紙も茂誠宛てだったんだなあ。仲良し義兄弟。
  • 真田幸村の子「幸晴」、山口に漂着?息づく伝説に新資料:朝日新聞デジタル

    戦国武将・真田幸村の息子が現在の山口県周南市櫛ケ浜に漂着し、生涯を終えたことなどが記された歴史資料を、地元の櫛浜郷土史会(村井洋一会長)が見つけた。幸村を主人公にしたNHK大河ドラマ「真田丸」が放送中なだけに、「夢が膨らむ歴史ロマンを地域活性化の起爆剤に」との期待が高まっている。 真田幸村(信繁)は、信州(長野県)上田城主・真田昌幸の次男。大坂冬の陣(1614年)で豊臣方の武将として徳川軍に打撃を与え、翌年の夏の陣で、家康を窮地に追い込んだが討ち死にした。のちに「日一の兵(つわもの)」と称賛された。 周南市のJR櫛ケ浜駅近くの原江寺には、「幸村幸晴君夫婦之墳」と刻まれた石碑が立っている。この「幸晴」が、幸村の息子と伝わる人物だ。幸村には多くの子がいたとされるが、「幸晴」は真田家の系図には記されていない。 地元では長く、この「幸晴」について、以下のような伝説が語り継がれてきた。 大坂夏の陣

    真田幸村の子「幸晴」、山口に漂着?息づく伝説に新資料:朝日新聞デジタル
    kaitoster
    kaitoster 2016/05/30
    真田幸村って子供10人以上いたんだっけ。ならこういう話もあり得るのかなあ・・・。
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