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carとmdiに関するkaorunのブックマーク (2)

  • 4期連続最終赤字でも、MDI投資を止めなかったマツダ

    マツダの現在の姿は、2012年発売の「CX-5」に始まる「第6世代」車両群が作り上げたもの。その第6世代を生み出した「モノ造り革新」は、デジタルワールド内での試行錯誤を可能にする「モデルベース開発」あればこそだ。 マツダのモデルベース開発=「マツダデジタルイノベーション(MDI)」は、1996年から格的にスタートし、2008年、第6世代の開発にちょうど間に合った。そして、第6世代の競争力の源泉である「SKYACTIV(スカイアクティブ)」技術、就中、走りと環境性能に優れたエンジンの開発に大きく寄与した(「 CAEに数百億円かけても、現場が使わなきゃ効果ゼロ~『ガラスのエンジン』が呼び込んだ成功」参照)。 この絶妙のタイミングは、単なる“幸運”なのだろうか。 しかし聞けば聞くほど、MDIの進展が、「モノ造り革新」のスケジュールにぴったりはまって、ちょうど間に合って、よかったですね。 木谷:

    4期連続最終赤字でも、MDI投資を止めなかったマツダ
  • マツダ、どん底でもモデルベース開発に邁進したワケ

    「マツダはどうしてこうも変わったのか」 2014年の4月、ちょうど5年前に日経ビジネスオンライン時代の連載記事「走りながら考える」の取材で、広島・向洋(むかいなだ)のマツダ社を初めて訪問した。 「世界の2%に深く愛されればいいんです」 “藤原大明神”こと藤原清志氏(現副社長、当時専務)の、大企業の役員らしからぬ歯切れのよさ、それを止めもしない広報担当の胆力、そして「変種変量生産」をこなす工場。筆者のフェルさん(フェルディナント・ヤマグチ氏)ともどもすっかりやられて、連載は、いつまでたってもマツダの話が終わらない「マツダ地獄」と化した。一時はさんざんだったのに、いつの間に、どうやって、こんな「ヘンな」会社にマツダはなったのか。 広島に行きまくって取材しまくったら「ページ数が足りない」 マツダの2000年代の変貌、その鍵である「モノ造り革新」の仕掛け人、金井誠太氏(現相談役、当時は会長)に話

    マツダ、どん底でもモデルベース開発に邁進したワケ
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