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mazdaとMDIに関するkaorunのブックマーク (3)

  • 4期連続最終赤字でも、MDI投資を止めなかったマツダ

    木谷:マツダが持っていたスーパーコンピューター(スパコン)の能力を、00年を「1」として計算すると、10年には「1010」になっていましたよ、というお話です。 桁違い、なんてもんじゃない急激な増強ですね。これ、金井さんのお話(※『マツダ 心を燃やす逆転の経営』191ページ、スカイアクティブ技術関連のため、先行開発の人員を急激に増やした)とも符合しますね。 木谷:そう、先行開発に携わる人も、そして計算能力も、モノ造り革新の進展に合わせて一気に増強した。 「ムーアの法則」で、スパコンはコストが下がって、性能が上がっているはず、ですが……。 木谷:ムーアの法則があるから「タダで能力が上がる」わけじゃ、もちろんないです(笑)。マツダの規模からしたら、すごい投資をして、「モノ造り革新」の進展に合わせて、モデルベース開発の能力を上げるために、スパコンを増強していったわけです。 そうやって、第6世代の開

    4期連続最終赤字でも、MDI投資を止めなかったマツダ
  • マツダがフォードから得たもの、学んだこと

    マツダがフォードから得たもの、学んだこと
  • マツダ、どん底でもモデルベース開発に邁進したワケ

    「マツダはどうしてこうも変わったのか」 2014年の4月、ちょうど5年前に日経ビジネスオンライン時代の連載記事「走りながら考える」の取材で、広島・向洋(むかいなだ)のマツダ社を初めて訪問した。 「世界の2%に深く愛されればいいんです」 “藤原大明神”こと藤原清志氏(現副社長、当時専務)の、大企業の役員らしからぬ歯切れのよさ、それを止めもしない広報担当の胆力、そして「変種変量生産」をこなす工場。筆者のフェルさん(フェルディナント・ヤマグチ氏)ともどもすっかりやられて、連載は、いつまでたってもマツダの話が終わらない「マツダ地獄」と化した。一時はさんざんだったのに、いつの間に、どうやって、こんな「ヘンな」会社にマツダはなったのか。 広島に行きまくって取材しまくったら「ページ数が足りない」 マツダの2000年代の変貌、その鍵である「モノ造り革新」の仕掛け人、金井誠太氏(現相談役、当時は会長)に話

    マツダ、どん底でもモデルベース開発に邁進したワケ
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