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msftと沼本健に関するkaorunのブックマーク (3)

  • Microsoft、沼本健氏をCMO(最高マーケティング責任者)に任命

    Microsoftは10月26日(現地時間)、エクゼクティブバイスプレジデント兼CMO(最高マーケティング責任者)のクリス・カポセラ氏の退任と、後任としての沼健氏の指名を発表した。沼氏はサティア・ナデラCEO直属になる。 沼氏は1997年にMicrosoft入りし、Office 365やクラウドのマーケティングの幹部を歴任した後、2020年にエグゼクティブバイスプレジデント兼コマーシャルチーフマーケティングオフィサーに就任した。ナデラ氏は沼氏を「クラウド変革の中心人物であり、エンジニアリングから財務、運用、販売まであらゆる部門にわたって働く素晴らしいシステム思考の持ち主」と評している。 また、パノス・パネイCPOの退任後、SurfaceとWindowsも統括することになったユスフ・メディ氏が、エグゼクティブバイスプレジデント兼コンシューマーチーフマーケティングオフィサーに就任した

    Microsoft、沼本健氏をCMO(最高マーケティング責任者)に任命
  • 通産省から米マイクロソフトへ、世界で活躍する日本人

    米マイクロソフト社のコーポレートバイスプレジデントとして、企業のITインフラやクラウドを支える製品のプロダクトマーケティングの指揮をとる沼健(41歳)。IT業界のリーディングカンパニーの1つであるマイクロソフトの中核として15年にわたって活躍し続けてきた。その源はどこにあるのか。 沼が、最初に選んだ勤め先は通商産業省(現経済産業省)。1993年入省。新米官僚時代は、1日約200の電話応対に追われ、国会の会期中は朝から深夜まで働き詰めでも、満足だった。転機が訪れたのは95年、米スタンフォード大学へ留学してからだ。沼は、IT企業や先端技術企業の多くが集まるシリコンバレーに約2年間、身を置いた。 「生活がスローダウンし、考える時間ができました。役所の仕事には愛着があり、正直最後まで悩みましたが、通産省を辞めることを決めました。それは、一度しかない人生、先行きが見えない中に身を投じても、

    通産省から米マイクロソフトへ、世界で活躍する日本人
  • マイクロソフトで最も偉くなった日本人が見たナデラCEOの4年間

    「製品や部門の枠を越えた横断型の取り組みを進めやすくなった」。米マイクロソフト(Microsoft)でクラウド+エンタープライズマーケティング担当コーポレートバイスプレジデントを務める沼健氏は、サティア・ナデラ最高経営責任者(CEO)が就任してからの4年間をこう振り返る。 「これをやれば0が1になるという秘策があるわけじゃない。サティア(・ナデラCEO人の話し方やリーダーシップ、そして社内のプロセスなど色々なことの積み重ねから生まれた変化だ」と分析する。 ナデラCEOの側近――。沼氏は1971年生まれ。1993年に通商産業省(現経済産業省)に入省し、米スタンフォード大学で経営学修士号(MBA)を取得。1997年9月に米マイクロソフトに入社した。 社員からコーポレートバイスプレジデントに昇格した初めての日人で、Office製品のマーケティング担当を経て、現在はクラウドや企業向け製品

    マイクロソフトで最も偉くなった日本人が見たナデラCEOの4年間
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