タグ

ブックマーク / shogipenclublog.com (2)

  • 内藤國雄九段「真剣師は真剣の道ではプロであり、その土俵で戦ったのではプロ棋士もカモにされるのである」

    将棋世界1992年8月号、内藤國雄九段の連載エッセイ「真剣勝負の話」より。 宮武蔵は一生の間に50数回の決闘をし、敗れることなしと自ら語っている。 そのうち幾度かは木刀や薪、船の櫓などいわゆる真剣でないものも用いている。しかしそれで相手を叩き殺しているから真剣勝負の名にはじない。真剣勝負とは生命を賭けた勝負のことで当の真剣、つまり切れる刀を用いるかどうかは問題でない。 以前、ある雑誌社が全国のアマ将棋強豪に「将棋が強くなる方法」についてアンケートをとったことがある。なかに「真剣をすること」という回答があった。武士の真剣勝負は命を賭けることだが、将棋の場合は金銭を賭けることである。金銭が賭けられると真剣さが加わるという意味合いから、この言葉が使われるようになったものと思われるが、正しい由来はつかめない。 この真剣の意味は将棋だけのものらしく、囲碁や花札などでは用いられていないようだ(因み

    内藤國雄九段「真剣師は真剣の道ではプロであり、その土俵で戦ったのではプロ棋士もカモにされるのである」
    khtokage
    khtokage 2020/04/07
  • 点のある・ない論争

    1990年代、中村修九段と郷田真隆九段による「点のある・ない論争」があったという。 将棋世界1998年6月号、先崎学六段の「先崎学の気楽にいこう」より。 その年の夏、我々は函館で避暑を楽しんでいた。といえば格好良いが、ナニ、昼はパチンコ、競馬、ひるね、夜は酒である。 たしか湾岸戦争が勃発した年だった。何故覚えているかというと、イラク軍がクウェートに進行した夜、臨時ニュースがじゃんじゃん、流れるなか、テレビには目もくれずに競馬新聞とニラメッコする郷田の姿が印象に残るからである。 将棋盤が頭の中から消えて一週間も過ぎた頃、事件は起きた。 舞台は海の幸をたらふくべた後に入ったスナック。女の子に囲碁と将棋の違いを説明している時のことだった。酔った(多分)中村さんがいった。 「囲碁の盤の上にはところどころ目印がついているんだ。将棋盤の上にはそれがない」 なかなかに気がつかない、中村さんらしい説であ

    点のある・ない論争
  • 1