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人生と戦争に関するl-_-llのブックマーク (3)

  • ツイッターで流れてきたのは「家族の遺体の写真」だった─妻子をロシアの砲撃で殺された一家のストーリー | 「私を好きにするといい。これ以上、失うものはない」

    タチアナとセルヒーは高校で出会った。数年後、彼らはウクライナのナイトクラブで再会したのをきっかけに交際をスタート。2001年に結婚し、キエフ近郊のベッドタウン、イルピンのアパートで、2人の子供と犬と暮らしていた。タチアナは会計士、セルヒーはコンピュータプログラマーだった。 2月、ロシアウクライナに侵攻し、戦火はすぐさま首都キエフへと近づいてきた。まもなく、ペレビニス一家の住む地域が砲撃された。ある夜、彼らのアパートが爆撃に遭い、タチアナと子供たちは地下に移動した。このとき、夫のセルヒーはウクライナ東部の故郷で病気の母の看病をしており、タチアナは最終的に、子供たちを連れて逃げることを決意した。 しかし、それが叶うことはなかった。43歳のタチアナと、18歳のミキタ、9歳のアリサ、そして彼らを助けていた教会のボランティアで26歳のアナトリー・ブレズニーは、日曜日、イルピンの崩壊しそうな橋を急い

    ツイッターで流れてきたのは「家族の遺体の写真」だった─妻子をロシアの砲撃で殺された一家のストーリー | 「私を好きにするといい。これ以上、失うものはない」
  • ソ連兵に撃たれた「ダムダム弾」の痛みは今も――宝田明85歳、戦争体験とゴジラに込めた平和への願い - Yahoo!ニュース

    東宝ニューフェイスの第6期生として、1953(昭和28)年にデビュー。端正なルックスとスケールが大きい演技で人気を集め、数多くの映画や舞台、テレビドラマに出演。85歳の今も幅広い活躍を続ける 宝田の原点には、苦しい戦争体験がある。日統治下の朝鮮で生まれ、2歳からは満州のハルビンで育った。1945(昭和20)年8月15日に敗戦を迎え、暮らしも価値観もすべてがひっくり返った。「筋金入りの軍国少年」だった11歳の宝田は、あの日の「玉音放送」をどう受け止めたのか。 ハルビンの自宅で、両親といっしょにラジオの「玉音放送」を聞きました。父親と母親が、畳の上にへなへなとへたり込んだ姿をよく覚えています。両親に「これ、嘘でしょう? 日は負けてないでしょう?」って何度も聞きましたね。自分はこれからどうすればいいのか。内臓をスポンとえぐり取られたような虚脱感というか、むなしい風穴が体の中に開いたような感覚

    ソ連兵に撃たれた「ダムダム弾」の痛みは今も――宝田明85歳、戦争体験とゴジラに込めた平和への願い - Yahoo!ニュース
  • 19歳の若き絵師、洋上に散る。特攻隊員の描いたマンガが胸を打つ - まぐまぐニュース!

    明日8月15日は終戦記念日。多くの若き命が太平洋に散ったあの夏、一人の若き少年が特攻隊に行くまでを描き遺した作品が、このたびになりました。 まんがと飛行機を愛した、若き特攻隊員のドキュメント『まんが少年、空を飛ぶ』 このは、19歳の若さでこの世を去った「まんが少年」山崎祐則さんが遺した家族への手紙やスケッチをまとめた一冊です。若く、夢と才能にあふれたひとりの少年が、予科練に入隊して特攻に行くまでの2年半の間に遺した家族への手紙やスケッチをまとめられています。 著者の山崎祐則さんは1925年、高知県生まれ。村で唯一の医院を開いていた山崎家の四男で、夜須村(現・高知県香南市夜須町)で子ども時代を過ごしました。小さな頃からまんがを描くのが得意だった祐則さんは、進級した旧制中学でも、まんが同好会を作り「青空高士(あおぞらたかし)」というペンネームでまんがを描きました。その名前からもわかるように

    19歳の若き絵師、洋上に散る。特攻隊員の描いたマンガが胸を打つ - まぐまぐニュース!
    l-_-ll
    l-_-ll 2018/08/17
    「・・・・・・ご両親さま、2月14日の午後12時15分にはいかがしておりましたか。このときが、わたしのじつに嬉しかったときでした。(中略)」 『まんが少年、空を飛ぶ』
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