タグ

アルゼンチンと歴史に関するlaislanopiraのブックマーク (18)

  • 銀の国の銀の川

    アルゼンチンあるじゃないすか 国名の由来知ってます? 銀なんスよ ラテン語のargentum(アルゲントゥム)から来てるらしい 言われてみりゃあ、銀の元素記号ってAgですよね なるほど で、アルゼンチンの有名な川あるじゃないすか ラプラタ川ですね 名前の由来知ってます? 銀なんスよ スペイン語のLa Plata(ラ・プラタ)から来てるらしい 素敵じゃないすか?これ……… ちなみにですよ、イタリア語だと銀はargento(アルジェント)らしいんですよ ってことはですよ、イタリア人はたぶんアルゼンチンって名前をみて、ある程度銀を連想してんですよね 羨ましい限りだ 逆にですよ、アルゼンチン人はどうなんでしょうね、コレ ラプラタ川はもう、ガッツリ銀じゃないすか 言うなれば「銀川」ですよ あるいは「銀河」か? でも、argentum系の銀関係語彙ってたぶんスペイン語には残ってないんすよ ってことは、

    銀の国の銀の川
  • 近現代ラテン・アメリカの国家間戦争(後編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    アメリカの影が濃い20世紀のラテン・アメリカ戦争 近現代のラテン・アメリカの国家間戦争のまとめの後編です。 19世紀の戦争は、スペインとポルトガルの植民地時代に種がまかれたものが独立後にも受け継がれ、時の有力者や党の争いと混じって先鋭化し衝突に至ったケースが目立ちます。前編はこちら。 今回は主に20世紀の戦争をまとめていきます。 9. 太平洋戦争(ペルー&ボリビア vs チリ) 軍事強国チリがボリビアとペルーを圧倒した戦争 チリとボリビアの国境近くにあるアントファガスタ県は、硝石や銅などの鉱物が大量に眠る地域で、長年両国間の係争地でした。1866年に国境協定が結ばれ、南緯24度を国境として北をボリビア、南をチリが折半すると決められましたが、チリ・イギリス系の採掘会社がこの地域に進出し、ボリビアは警戒感を強めました。 一方でペルーのタクナ県、アリカ県、タラパカ県の硝石地帯にもチリ・イギリス

    近現代ラテン・アメリカの国家間戦争(後編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 近現代ラテン・アメリカの国家間戦争(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    アメリカ大陸でこれまで起こってきた戦争をまとめてみます 歴史の授業ではあまり習いませんが、ラテン・アメリカ諸国は結構国家間でドンパチやってます。 スペインとポルトガルから独立した直後もそうですが、南米諸国同士の領土争いもずっと激しかったし、20世紀は後半に入ってからも戦争がありました。特に南米を自分の裏庭とするアメリカ合衆国の軍事介入や、植民地時代の残滓の回復しようという動きから戦争が起きたりしています。 今回は前後編で、19世紀〜20世紀のラテン・アメリカの国家間戦争をまとめてみます。 内戦を含めるともっと多いのですが、あくまで「国家間」の戦争のみに絞っています。 1. スペインのヌエバ・グラナダ再征服 英雄シモン・ボリバル失意の敗戦 ヌエバ・グレナダは現在のコロンビア、パナマ、エクアドル、ベネズエラを含む地域で、カリブ海で活動するイギリスからの防衛を目的にペルー副王領から切り離され、

    近現代ラテン・アメリカの国家間戦争(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 墓荒らしと呼ばれた義父の過去

    僕の嫁はアルゼンチン人、その父も当然アルゼンチン人。口数は少ないが、面倒見の良さで多くの尊敬を集めている。しかし、僕が移住した当初、彼と付き合いの長い老人が「あいつは墓荒らしだった」と話してくれたことがあり、その真相がずっと気になっていた。 思いきって聞いてみると、半生が壮絶すぎた。 ※この記事は、 世界のカルチャーショックを集めたサイト「海外ZINE」の記事をデイリーポータルZ向けにリライトしたものです。 海外ZINEは、世界各地のカルチャーショックを現地在住ライターが紹介する読み物サイトです。 / 1992年生まれ、福岡県古賀市育ち。美人アルゼンチン人嫁と結婚するために、大学卒業後の2015年にアルゼンチンへ移住。毎日マテ茶を飲むほどのマテ茶好き。 > 個人サイト 海外ZINE 奥川駿平 物心つく前から移民だった義父 南米大陸の最も南に位置するアルゼンチン。「ラテンな国」と言われるため

    墓荒らしと呼ばれた義父の過去
    laislanopira
    laislanopira 2019/02/09
    チリとアルゼンチンにまたがる半世紀
  • ブラジルからの独立を図った9つの共和国 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    多様な人種と陰謀が渦巻く国ブラジル 現在ヨーロッパで勢いを見せる分離主義ですが、南米の大国ブラジルにも昔から分離主義は根強く、現在も一部地域では独立運動が行われていたりします。 今回は日ではあまり有名ではない、ブラジルからの独立を図った(または現在も図っている)地域をピックアップします。 1. 赤道連邦(1824年7月〜1825年4月) 中央集権に反発する地方有産階級による反乱 ポルトガルの植民地であったブラジルは、自分たちが高い経済的貢献をもたらしているにも関わらず、国の貴族たちが自分たちを見下し、富を不当に搾取していると反発を強め独立への志向が高まっていきました。 1821年にポルトガル皇太子ドン・ペドロを国王に据えてブラジル帝国として独立を宣言。皇帝ペドロ一世は、広大な地域に住む多様な人をまとめるために中央集権色の強い政体を構築しようとしますが、地方の有産階級や地主は、ポルトガル

    ブラジルからの独立を図った9つの共和国 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • アルゼンチン密林でナチスの隠れ家発見?かぎ十字や独硬貨も

    南米アルゼンチン北部サンイグナシオ近くの密林で見つかった、ナチス・ドイツの幹部用の隠れ家として建設されたとみられる建築物(2015年3月9日撮影)。(c)AFP/DANIEL SCHAVELZON/HO 【3月24日 AFP】南米アルゼンチンの密林の奥深くで、ナチス・ドイツの幹部らが第2次世界大戦(World War II)後の逃亡先として建設した隠れ家とみられる建築物を発見した考古学者が23日、この場所にはさらに暗い秘密が埋もれている可能性があると語った。 ブエノスアイレス大学(University of Buenos Aires)都市考古学センターのダニエル・シャベルソン(Daniel Schavelzon)所長が先週末に行った発表は新聞紙面を賑わせ、ナチスの戦犯らが逃亡先としていたことで知られるアルゼンチンで、居心地の悪い記憶を呼び起こした。 シャベルソン氏のチームは、3つの石造りの

    アルゼンチン密林でナチスの隠れ家発見?かぎ十字や独硬貨も
  • エドゥアルド・ガレアーノ - Wikipedia

    エドゥアルド・ウヘス・ガレアーノ(Eduardo Hughes Galeano, 1940年9月3日 - 2015年4月13日)は、ウルグアイ人のジャーナリストであり、彼の著書は多くの言語に翻訳されている。 彼の作品は正統なジャンル区分を超越し、ドキュメンタリー、フィクション、ジャーナリズム、政治分析、そして歴史を結び付けている。ガレアーノ自身は自身が歴史家であることを「私は忘れないことに取り付かれた、そう、とりわけアメリカの過去、特に記憶喪失を運命付けられた愛する大地、ラテンアメリカを忘れないことに取り付かれた作家だ」として否定している。 人生[編集] ガレアーノはモンテビデオのヨーロッパにルーツを持つ、カトリック系中産階級の家庭に生まれた。 多くの若きラテンアメリカの少年のように、ガレアーノもサッカー選手になることを夢見ていた。このことは『スタジアムの神と悪魔 サッカー外伝』のような彼

    エドゥアルド・ガレアーノ - Wikipedia
  • 世界最大級の恐竜化石を発見、体重はゾウ14頭分 アルゼンチン

    アルゼンチンのチュブト(Chubut)州ラウソン(Rawson)で発見された、世界最大とみられる恐竜の大腿(だいたい)部の化石と、大きさを比べるため横になっている発掘要員(2014年5月16日撮影)。(c)AFP/TELAM/Museo Egidio Feruglio 【5月18日 AFP】アルゼンチンのパタゴニア(Patagonia)地方でこれまでに見つかった中で世界最大とみられる恐竜の化石が見つかった。 地元アルゼンチンとスペインの合同調査チームによると、この恐竜は約9000万年前の白亜紀に生息していた竜脚類の恐竜ティタノサウルス(Titanosaur)の新種とみられている。四足歩行をする草恐竜で、首と尾が長く、体重は約100トンとアフリカゾウ14頭余りに相当。体長は40メートルとされ、大腿(だいたい)骨の化石は調査に携わった古生物学者より大きかった。 従来最大の恐竜とされていたのは

    世界最大級の恐竜化石を発見、体重はゾウ14頭分 アルゼンチン
  • 「戦争なんか起こるわけがない」は思い込みだという歴史的実例 | リアリズムと防衛を学ぶ

    は長らく平和を謳歌してきました。そんな中で防衛体制の整備には「戦争なんか起こるわけがないのに…」という懐疑論が常にともないました。どころか、「危機がもし起ったら」と考えること自体が危険思想である、戦争が好きな軍国主義者だ、という風に非難された時代もありました。 ところが歴史的に見て「戦争なんか起こるわけがない」という見通しが外れたことは多くあります。 「アルゼンチンが戦争なんかするわけない」 いまから30年前の1983年4月、「フォークランド紛争」という戦いが起こりました。アルゼンチンとイギリスとの紛争です。きっかけは、イギリス領フォークランドに対し、アルゼンチンが突然侵攻を開始したことでした。 ですが紛争勃発の直前まで、戦争なんか起こるわけがない、意見が強くありました。それはかなり論理的なものでした。例えば83年4月5日に発売された雑誌ビジネスウィークは、戦争にいたる可能性は低い、と

    「戦争なんか起こるわけがない」は思い込みだという歴史的実例 | リアリズムと防衛を学ぶ
    laislanopira
    laislanopira 2014/03/06
    “「まさか」と思うような不合理な行動も、相手は敢えて行うかもしれません。ただの脅しだと思っていたら、実は本気かもしれません。”
  • 「100年の衰退」の教訓:アルゼンチンの寓話:JBpress(日本ビジネスプレス)

    (英エコノミスト誌 2014年2月15日号) 1つの国の100年にわたる衰退は、各国政府に多くの教訓を示している。 1世紀前、国外初の出店を決めた英国の百貨店ハロッズは、その場所にアルゼンチンのブエノスアイレスを選んだ。1914年には、アルゼンチンは未来のある国として頭角を現していた。アルゼンチン経済はそれまで40年にわたり、米国を上回るペースで成長していた。国民1人当たりの国内総生産(GDP)は、ドイツやフランス、イタリアを上回っていた。 アルゼンチンには、素晴らしく肥沃な農地、太陽の降り注ぐ気候、新たな民主主義(1912年に男性の普通選挙権が導入された)、教育を受けた国民、世界で最もエロチックなダンスがあった。移民が世界中からタンゴを踊るように流れ込んできた。野心を抱く若者にとって、アルゼンチンかカリフォルニアかを選ぶのは難しい決断だった。 アルゼンチンには今もまだ、パタゴニアの壮大な

    「100年の衰退」の教訓:アルゼンチンの寓話:JBpress(日本ビジネスプレス)
  • 無数の手が壁を覆い尽くす、アルゼンチンのラス・マノス洞窟 : カラパイア

    アルゼンチンのサンタ・クルス州にあるラス・マノス洞窟は、壁一面に手が描かれているのが印象的だ。ラス・マノスは現地の言葉で「無数の手」を意味する。

    無数の手が壁を覆い尽くす、アルゼンチンのラス・マノス洞窟 : カラパイア
  • 新法王名は「フランシスコ1世」ではなく「フランシスコ」?

    南米コロンビア・アンティオキア(Antioquia)県メデジン(Medellin)で、アルゼンチン出身のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(Jorge Mario Bergoglio)枢機卿が新ローマ法王に選出されたことを伝える新聞(2013年3月13日撮影)。(c)AFPRaul ARBOLEDA 【3月14日 AFP】中南米出身者として初めてローマ法王に選出されたホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(Jorge Mario Bergoglio、76)枢機卿の法王名は、フランシスコ1世(Francis I)ではなく「フランシスコ」――。 ローマ法王庁(バチカン)が13日、全世界のカトリック教徒12億人の指導者となる新法王を発表したとき、その名前に「1世(Primum)」は付いていなかった。したがって「フランシスコ2世」が登場するまでは、「ローマ法王フランシスコ」と呼ばれることになる。 「1世」という序数が

    新法王名は「フランシスコ1世」ではなく「フランシスコ」?
  • クリスチャン・ボルタンスキー「ミグランテス(移民)」展

    20世紀前半に建てられたオテル・デ・イミグランテスは、当時ブエノスアイレスに到着したばかりの移民たちを5日間だけ受け入れる場所だった。ブエノスアイレスのラプラタ川沿い、現在は移民局の裏に置き去りにされたように、しかし独特の存在感を持って佇んでいる。 当時、何千もの移民が、そこで文書登録され、寝泊りし、メディカルチェックを受け、仕事探しに明け暮れた。建物を半分に割るように横断する長い廊下は、各種手続きに追われる多くの移民たちの列で埋め尽くされていた。 その建物の3階で現在、クリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーション「Migrantes」(移民) が公開されている。ブエノスアイレスのトレス・デ・フェブレロ大学により全4ヶ所で開催されている「プロジェクト・ボルタンスキー」の中のメインスポットだ。 この移民滞在館のために構想されたインスタレーション。ほぼ廃墟化したこの場所で、ボルタンスキーは

    クリスチャン・ボルタンスキー「ミグランテス(移民)」展
    laislanopira
    laislanopira 2012/10/28
    アルゼンチンへの移民の夢のあと
  • リアリズムと防衛を学ぶ » 「戦争なんか起こるわけがない」は思い込みだという歴史的実例

    は長らく平和を謳歌してきました。そんな中で防衛体制の整備には「戦争なんか起こるわけがないのに…」という懐疑論が常にともないました。どころか、「危機がもし起ったら」と考えること自体が危険思想である、戦争が好きな軍国主義者だ、という風に非難された時代もありました。 ところが歴史的に見て「戦争なんか起こるわけがない」という見通しが外れたことは多くあります。 「アルゼンチンが戦争なんかするわけない」 いまから30年前の1983年4月、「フォークランド紛争」という戦いが起こりました。アルゼンチンとイギリスとの紛争です。きっかけは、イギリス領フォークランドに対し、アルゼンチンが突然侵攻を開始したことでした。 ですが紛争勃発の直前まで、戦争なんか起こるわけがない、意見が強くありました。それはかなり論理的なものでした。例えば83年4月5日に発売された雑誌ビジネスウィークは、戦争にいたる可能性は低い、と

  • 島をめぐる争い '82 - リアリズムと防衛を学ぶ

    両国が領有権を争っている島へ、一方の市民が不法に上陸しました。 これは、30年前のおはなし。 1982年、南太西洋の島々の領有権をめぐり、イギリスとアルゼンチンが戦争をしました。フォークランド紛争と呼ばれています。 始まりは民間市民の上陸でした。その背景はアルゼンチンの経済が不調で、政権が危うかったこと。そこで、歴史的な経緯から係争中だったフォークランド諸島がクローズアップされました。国民の目をそらすためです。 アルゼンチンの民衆は、政府がやらないなら自分たちが島を取り返すんだと盛り上がります。義勇軍のような気分で、島に不法上陸したり、運動が過熱していきました。 それが政府の選択肢をせばめ、やがて戦争になりました。 その島には名前が2つ 嵐の前の不景気 断たれた退路 あちら側、こちら側 正しさは手段に過ぎない 賽は投げられた 関連記事 その島には名前が2つ その島々には2つの名前があります

    島をめぐる争い '82 - リアリズムと防衛を学ぶ
    laislanopira
    laislanopira 2012/08/25
    "正しさは演出すべきもので、自ら信じすぎるのは考えものです。この種の冷めた感覚を無くしたとき、大衆は極端に走り、指導者は思わぬ悪手に出るものです。"
  • エルサレムのアイヒマン - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "エルサレムのアイヒマン" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2010年9月) 『エルサレムのアイヒマン──悪の陳腐さについての報告』(Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil)は、ハンナ・アーレントが1963年に雑誌『ザ・ニューヨーカー』に連載したアドルフ・アイヒマンの裁判の傍聴記録。 日語版は『エルサレムのアイヒマン』(大久保和郎訳、みすず書房、新版2017年)。 概要[編集] 獄中のアイヒマン アーレント自身が、1961年4月11日にエルサレムで始まっ

    laislanopira
    laislanopira 2009/09/30
    ハンナ・アーレント、悪の陳腐さについて
  • アラブ系アルゼンチン人 - Wikipedia

    アラブ系アルゼンチン人とは、アラブ人の家系に生まれたアルゼンチン出身者、もしくはアルゼンチンに移民したアラブ人のことである。 アルゼンチン人の高度に多様な集団ではあるが—祖先の起源、宗教、歴史的アイデンティティなど—アラブ系アルゼンチン人は共通の言語的、文化的、政治的伝統を財産として保つ。 350万人のアラブ系アルゼンチン人のマジョリティはレバノン系かシリア系の背景を持つ[1] 。アルゼンチンにはまた小規模のパレスチナ系コミュニティが存在する[要出典]。総計350万人のアラブ系アルゼンチン人のうち、700,000人のアラブ系アルゼンチン人がムスリムである[2]。 歴史[編集] ミシオネス州オベラーでの移民の祭典のアラブ系の女王。 最初のアラブ人がアルゼンチンに移民したのは19世紀のことだった。この時期に渡来した多くのアラブ人はシリア=レバノン系のアラブ人だった(当時シリアとレバノンは単一の

  • ビデオマーケット:驚異!極寒のパタゴニアに幻の宇宙民族を見た!!

    ケムール人やキュラソ星人のようなこの人たち、はるか昔アルゼンチン南部のパタゴニア地方に居た原住民、シークナム族が祭事用にボディペインティングをした姿です。南極に近い極寒の孤島で裸に近い姿で狩猟生活を営んでいた彼ら、20世紀初頭にはアポカリプトよろしく入植した白人に征服され絶滅してしまったとのこと。 まだまだ世界は広いなぁ。 おまけ マイアミでキューバ移民の男が4人を射殺後に自殺 最後は「The World is Yours」の言葉を胸に死んじゃったんでしょうか。 (音速のヘホ)

    laislanopira
    laislanopira 2009/03/17
    シークナム族のボディペインティング、というより被り物
  • 1