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オタクと日本と思想に関するlaislanopiraのブックマーク (4)

  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
  • タグ : 私たちの気付かない漫画のこと 一覧ページ|Zing!

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  • カウンターする相手のいない日本とオタク文化 - 狐の王国

    今朝方ストレッチをしていると、たまたまつけっぱなしだったテレビの音が聞こえてきた。ファッションデザイナー3人による対談番組のようだった。印象的だったのはきゃりーぱみゅぱみゅやレディー・ガガのファッションに対するメディアの扱いの話だった。レディー・ガガのファッションをメディアがすばらしいと持ち上げるのはおかしいだろうと。あれは綺麗だとか美しいだとか言われたくてやってるわけじゃないはずで、あんなものはダメだと言ってくれる人がいなかったら成立しないんだという話だった。 確かにそれはそうで、レディー・ガガはカウンターカルチャーであって、反抗すべき主流がいなければ過激さもなにも意味を持たなくなる。それを主流であるはずのマスメディアがよいものとして取り上げてたら、カウンターカルチャーとしての意義を失ってしまう。 アメリカではレディー・ガガやLGBTといったまさにそうしたカウンターカルチャーが有効なのか

    カウンターする相手のいない日本とオタク文化 - 狐の王国
    laislanopira
    laislanopira 2015/01/30
    やっぱり天皇と政府は江戸時代以前のように分離すべきではないかのう。いまは祭政一致で政府に物申しにくい
  • ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 - 名無し委員会

    稿は、『別冊情況 思想理論篇』第二号に掲載されたものである) ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 藤田直哉 ゼロ年代批評の政治旋回!? 『思想地図β』vol.3(二〇一二)、特集「日2.0」の巻頭言で、東浩紀は政治旋回宣言を行った。 日はどうあるべきか。考えてみれば、ぼくたちは長いあいだ、その素朴な問いをこそ忘れてきた。停滞する政治を尻目に、消費社会のまどろみのなか、それがまどろみにすぎないことを知りながら、現実との直面を先送りにしてきた。(p44)。 ぼくたちは長いあいだ、自分たちがなにものか、その問いへの直面を(原発の問題への直面を、沖縄の問題への直面を、世代間格差の問題への直面を)避けることこそが幸せの条件であり、成熟の条件であり、ひいては「正義」の条件ですらあると教えられてきた。(同) ゼロ年代を代表し、オタク・カルチャーを牽引し、ポストモダンを肯定していた東浩紀という人物

    ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 - 名無し委員会
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