福祉国家的な社会政策には、十全なシティズンシップ(市民権)をもった「国民」として生きる人々に対して、労働市場に依らずとも一定水準の生活が送れる状態、つまり労働力の脱商品化を通じた時間的自律性の感覚を保障することを目指した側面がある。 その象徴が「ゆとり」という言葉であった。福祉国家は人々のゆとりある生活を社会保障によって実現しようとし、そのような社会保障がデモクラシーを発展させるとも言われた(田村2012)。 しかし今日、こうした理想はネオリベラリズムやグローバリズムの興隆とともに旗色が悪くなっている。富の再分配によって弱者の社会的包摂を進めようとすることは経済政策の「スピード感」を鈍らせ、「自己責任」によって弱者に転落した人々を甘やかすものだとみなされつつある。それとともに、経済グローバリゼーションの進行が「時間短縮」の論理の社会的影響力を増大させている。競争相手に先んじて「素早く」成果