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このブログを以前からお読みいただいている方は,わたしが以前「民族自決」概念を危ういものとして批判し,既存国境の内部における民族問題の解決を主張したことを憶えておいでかもしれない。だからわたしはこれまで一度もチベットの独立を主張してこなかったし,コソヴォの一方的な独立宣言(および,それに伴う欧米諸国のダブルスタンダード)を批判してきた。 国境,国民,国家――「民族自決」批判 - Danas je lep dan. 「民族自決」批判のブクマコメに応答 - Danas je lep dan. 「民族自決」という理念が多くの流血をもたらしたことは,わたしたちが重く受け止めるべきことだ。オスマン帝国の末期に生じた数え切れないほどの民族浄化の営みや,ユーゴスラヴィア解体に伴う戦争犯罪の数々と国家の分断は,紛れもなく「民族自決」が生み出した果実だ。民族自決によって成立した国家における少数派の迫害も,わた
「ま,現実はそんなもんだし」という言説それ自体が問答無用で悪いと言っているのではなくて,そのような言説が持ち出される文脈を問題にしている,という話。あるいは,選択的なシニシズムを持ち出す人は「あたまがわるいのではなく,わるい」のだという話。実際にどれくらい欧米の人たちがこの件で>現状は我々が想像するよりずっとストレスになっていると思う。のかは私には判断ができませんが、仮に>ずっとストレスになっているとしても、この件で>道徳的(というのは、この方の意味合いは、チベット側に立つ、ということです)な立場に各々の政府が立つというのは現実問題としてなかなかないんじゃないかなと思います。個々の市民はともかくとして、政府は最終的には中国側を支持するでしょう。少なくとも、チベット独立は支持しないし(だから、ダライ・ラマらチベット亡命政府も、これは引っ込めています)、自治権の拡充という話になるし、そうなれば
米国から日本への1972年5月の沖縄返還を「国際法違反だ」として、「歴史的経緯からみて琉球(沖縄)の主権は、日本ではなく中国にある」などと“沖縄領有論”まで唱える動きが、中国でじわりと広がっている。中国政府の表だった主張ではないが、人民解放軍幹部や学識経験者らが論を繰り広げ、国営メディアも報道。チベット自治区をまねて、「琉球特別自治区」の設立準備を求める民間組織まで現れた。(深●(=土へんに川) 河崎真澄、写真も) 暗黙の了解の下で 広東省深センの雑居ビルにに事務所を構える「中華民族琉球特別自治区籌(準備)委員会」。貿易会社を経営する浙江省杭州出身の趙東氏(45)が、この組織の会長だ。 「琉球(の主権)問題ではカイロ宣言、ポツダム宣言を尊重しなければならない」と趙氏は強調した。 43年の「カイロ宣言」を基礎にした45年7月の「ポツダム宣言」では、「日本の主権は本州、北海道、九州と四国、およ
1896年に清の欽差(特命担当)大臣であった李鴻章は、ロシアとの間に「露清防敵相互援助条約」を秘密協定として締結した。これは対日攻守同盟で、ロシアに満州での権益を認めるものだった。 彼はその1年前に日清戦争の敗戦処理のため、気が重くなる下関(馬関)条約の締結交渉に出かけ、そこで日本人の暴漢から襲撃まで受けている。だから、およそ親日派にはなれなかっただろう。それとは逆に、なぜかロシアには親近感を持っていたようだ。 しかし、今では中国の学者から、ロシアを信じた李鴻章は愚かだったと批判されている。その後に起こったことは、ロシアによる「弱いやつからは限りなく奪え」の動きとしか見えないからである。 なぜ清は「弱いやつ」になってしまったのだろうか。 アヘン戦争の始末書である英国との南京条約は、その追加条項で治外法権と関税自主権放棄を清に強いた。列強が押し付ける不平等条約である。日本もその解消には苦労し
チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(76)が2011年11月7日、都内で記者会見を開いた。 ダライ・ラマは10月末に来日。高野山で講演した後、11月3日から6日にかけて仙台、石巻、郡山など東日本大震災の被災地を訪問した。被災地訪問後に記者会見を開くのは初めて。 「常に物事は全体を見るべき」 会見では、東京電力福島第1原発から20キロ圏内に放置された動物の写真をダライ・ラマに見せる記者もいた。さらに、記者は 「人間にも動物にも、放射能におびえずに生きる権利があるのではないか」 と問いかけた。ダライ・ラマは20キロ圏内の惨状に顔をしかめながらも、 「常に物事は全体を見るべきで、一面だけを見て決めるべきではない。破壊的な目的で使うものは、破壊的なものしか産まない」 として、広島を訪問した時のエピソードを披露。 「原子力が兵器として使われるのであれば決して望ましくない」 一方で、「平和目的
会見するダライ・ラマ14世=千葉県成田市、高野写す チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が6日来日し、成田で記者会見した。中国の人権活動家、劉暁波(リウ・シアオポー)氏のノーベル平和賞受賞決定に中国政府が反発していることについて、「中国は経済的にも強い国になってきた。国力に見合った、もっと開かれた国になるべきだ」と批判した。 ダライ・ラマは、中国政府に政治改革を求めて劉氏らが起草した「08憲章」を支持してきたことに触れ、「中国にはメディアの自由もない。13億の人々は善悪の区別をする能力を奪われた状態に置かれている」とも述べた。 ダライ・ラマは大阪や奈良で講演などをした後、ノーベル平和賞受賞者を集めて12〜14日に広島で開かれるシンポジウムに出席する予定。(高野真吾)
11月予定のチベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世の来日に対して、中国政府が日本側の招聘(しょうへい)自体を取りやめるよう要求していることが22日、分かった。中国政府は従来、ダライ・ラマ来日では日本側に圧力をかけてきたが、会合への出席を止めようとするのは異例。沖縄・尖閣諸島周辺での漁船衝突事件を受け、中国側が強硬姿勢を取っている可能性がある。 ダライ・ラマが出席を予定しているのは、広島市で開催される「ノーベル平和賞受賞者世界サミット」(ローマの同サミット事務局主催)。ダライ・ラマのほかゴルバチョフ元ソ連大統領や、エルバラダイ元国際原子力機関(IAEA)事務局長ら歴代のノーベル平和賞受賞者9人が、「ヒロシマの遺産・核兵器のない世界」をテーマに議論する。 複数の政府関係者によると、中国側は外交ルートを通じ「彼(ダライ・ラマ)はノーベル平和賞を受賞するような人物ではなく、招聘はしないほうがい
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
【ダラムサラ(インド北部)栗田慎一】ノーベル平和賞受賞者で、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(74)は6月の訪日を前に、亡命政府のあるダラムサラで毎日新聞と会見した。自殺者が12年連続で年間3万人を超える日本。ダライ・ラマは「周囲に頼っても何ら問題ではない」「拝金主義から脱し、隣人が苦しんでいる時こそ救いの手を」と語り、病める日本社会にメッセージを発した。 長引く不況に伴うリストラや借金苦、学校や職場でのいじめ……。自ら命を絶つ人のほか、心を病む人も多い。そして、悲しみは周囲に広がる。「日本は経済成長で(人々の心は)限界に直面し、今では経済の分野でも世界規模の危機の中で苦しんでいる」と案じる一方、「現代社会は人間への慈しみや愛が欠けている」と説いた。 自殺を減らす方策はあるのか。ダライ・ラマは「祈りだけで問題は解決しない」と断言し「次世代のために内なる価値観を重視する教育システム
発明家ドクター・中松氏(81)が9日までに、インドでチベット仏教最大宗派「ゲルク派」トップから「金剛大阿闍梨(あじゃり)」の位を授与されたことが分かった。同氏によると、チベット仏教指導者として最高ランクという。世界的な知名度などが評価され、いきなり“特別選任”された模様。同氏は「平成の弘法大師になる」と宣言。近々、都内に「中松寺(ちゅうしょうじ)」を設立し、創造や頭脳に御利益があるパワースポットにしたいという。 中松氏によると、同氏は現地時間8日午前、インド・デリーの寺院で、チベット仏教ゲルク派のトップ(教主)である第102代ガンデン・ティパから「金剛大阿闍梨」に認定された。ティパから「『活仏(かつぶつ)』として仏教を日本に広めてほしい。そのため仏教界の最高位を授けます」という趣旨のことを言われたという。 同氏によると、金剛大阿闍梨とはチベット仏教の指導者として最高ランクの位。ゲルク派側か
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2018年6月) この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "グレート・ゲーム" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年12月) 1848年頃の中央アジア グレート・ゲーム(英: The Great Game)とは、中央アジアの覇権を巡るイギリス帝国とロシア帝国の敵対関係・戦略的抗争を指す、中央アジアをめぐる情報戦をチェスになぞらえてつけられた名称[1]。イギリス東インド会社の一員であったアーサー・コノリー(英語版)が1840年にヘン
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