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人生と岩手に関するlaislanopiraのブックマーク (43)

  • “医師不合格”の石碑 だれが?なんのため? 岩手・一関 | NHK

    笑ってしまった。 合格でも変だが、「不合格」を碑にした人がいるとは。 いったいなぜこんなことをしたのか。 「松井元哉さん」にどうしても会いたい。私は、それまで職場には戻らないと宣言し、取材を始めた。 2023年7月6日「おばんですいわて」で放送 人気のない場所にぽつん インターネットの情報を頼りに、まずは現場へ。 岩手県南部、一関市の中心部から車で20分。人気のない道路脇の林の陰に、それはあった。 高さは1メートル、厚さは2センチほどで、ずいぶんスマートだ。 「松井元哉 第113回医師国家試験 不合格発表閲覧之地」。 間違いない。黒地に、白い文字が目立つ。これを素直に信じれば、松井さんという人が、ここで、医師国家試験の不合格の知らせを受け取った、ということになる。 石碑は人気のない道路脇に建っていた 写真を撮っていると、林からガサガサと音がした。 まさか、松井さんにいきなり遭遇!? 石碑の

    “医師不合格”の石碑 だれが?なんのため? 岩手・一関 | NHK
  • 「ハードクレーマー」で有名、生活保護でホテルに971泊…市に水増し請求

    【読売新聞】 約2年8か月にわたりホテルに宿泊しながら、盛岡市から生活保護費の住宅扶助計約1440万円をだまし取ったとして詐欺罪に問われた無職の男(53)(青森県八戸市)と(47)(同)の初公判(加藤亮裁判長)が27日、盛岡地裁で

    「ハードクレーマー」で有名、生活保護でホテルに971泊…市に水増し請求
  • 東日本大震災の後、自分は変わったと思いますか?:畠山直哉に5つの質問

    震災を起点としたこの10年間に、人々は何を考えどのように行動してきたのか? アーティストや関係者にインタビュー。第2回は写真家の畠山直哉。(インタビュー・構成:永田晶子) 2021年3月11日、東日大震災の発生から10年を迎える。震災を起点としたこの10年間に、人々は何を考えどのように行動してきたのか? アーティストや関係者にインタビューを行い、忘れ得ない出来事、人間が学ぶ教訓としての震災を振り返るとともに、今後を展望する。 第2回は岩手県陸前高田市出身の写真家、畠山直哉のオンラインインタビュー。自然、都市、写真の関わり合いにフォーカスした作品で知られる畠山は、2011年10月、東京都現代美術館での個展「ナチュラル・ストーリーズ」で震災前・後の陸前高田の風景作品を初めて発表し、その後も写真集「気仙川」、「陸前高田 2011-2014」(2015年)、せんだいメディアテークでの個展「まっぷ

    東日本大震災の後、自分は変わったと思いますか?:畠山直哉に5つの質問
  • 「釜石の奇跡」は奇跡じゃない。あの日、報じられた“美談”から私は逃れられなかった

    「釜石の奇跡」は奇跡じゃない。あの日、報じられた“美談”から私は逃れられなかった震災後、「奇跡」のストーリーを追うメディアの取材が相次いだ。釜石で起きたことに、「奇跡」という言葉は当にふさわしいのか。 東日大震災に襲われた岩手県釜石市。小中学校に通う子どもたちほぼ全員が避難し、津波を逃れた。 人口約4万人の市内で1000人を超える死者・行方不明者が出る一方、小中学生の99.8%が無事だったという事実は、一般に「釜石の奇跡」と呼ばれる。 なかでも、釜石市鵜住居地区で中学生が小学生の手を引いて避難したことは、徹底した事前の防災教育の成果で子どもたちが自主的に動いたと受け止められ、高く賞賛されてきた。 菊池のどかさん(25)は中学3年生だったあの日、小学生の手を引いて避難した。震災後、「奇跡」のストーリーを追うメディアの取材が相次いだ。中学校では防災を担当する委員会で委員長を務めていた。 だ

    「釜石の奇跡」は奇跡じゃない。あの日、報じられた“美談”から私は逃れられなかった
  • 地震後30分の犠牲者行動データ、「TOKYO 2021」の大画面で実名入り展示

    会場の一番奥にある展示室の暗がりに入ったら、画面を見つめているうちに動けなくなり、無言になってしまう──。悲しい出来事の教訓を後世に伝えるため、思い切った展示が2019年秋に行われた。 今回のデジタル活用(デジカツ)はいつもと趣が異なる。ただ、自然災害が頻発している今のタイミングだからこそ、1人でも多くの人に知っておいてほしいので、このコラムで取り上げることにした。 とにかく、下の大型ディスプレーの画面を見てほしい。赤と青の線が真っすぐに動いたり、赤と青の点が止まったままだったりする。これは11年3月11日に起きた東日大震災の地震発生直後からの30分間に、岩手県陸前高田市の中心街で行動し、そして亡くなった人たちの最後の行動記録である。居場所が詳細に判明した1326人のデータが詰め込まれている。 地元新聞である岩手日報社による聞き取り調査を基に、最後の30分を見える化した。地元紙だからこそ

    地震後30分の犠牲者行動データ、「TOKYO 2021」の大画面で実名入り展示
  • 「描き続けた映画看板 盛岡、絵師の小笠原さん死去」

    映画看板画家の小笠原正治さんが10月28日に亡くなりました。まると@イワテライフ日記@iwatelife さんの追悼ツイートをまとめました。

    「描き続けた映画看板 盛岡、絵師の小笠原さん死去」
  • 何のために働くか、人としてどうありたいか『奇跡の醬 陸前高田の老舗醤油蔵八木澤商店再生の物語』 - HONZ

    おととし、初めて「ふるさと納税」をした。納税先は、岩手県陸前高田市。「お礼」に届いたのは、ホタテやアワビなどの海産物。その滋味あふれるおいしさに感激し、「この魚介を育んだ陸前高田の広田湾とは、どれほど豊かな海なのだろう」と、まだ訪れたことのないその地に思いを馳せた。 だが皮肉にも、その「豊かな海」からやってきた津波によって、陸前高田は壊滅的な被害を受けた。書に登場する老舗醤油蔵・八木澤商店もその例外ではない。 八木澤商店は、3.11のあの日、昔の姿を留めた美しい街並みごと津波に呑まれ、200年以上の歴史をもつ土蔵も、150年使い込んだ杉桶も、そして醤油屋の命ともいえる「もろみ」も、製造設備のすべてを失った。 書は、八木澤商店の人たちが廃業の危機に直面し、次々に降りかかる困難と対峙しながらも、再び醤油を造り始めるまでの記録である。しかしそれは、一企業の事業再生物語にとどまらない。 震災か

    何のために働くか、人としてどうありたいか『奇跡の醬 陸前高田の老舗醤油蔵八木澤商店再生の物語』 - HONZ
  • 震災で不明のネコ、生きていた 飼い主と再会 岩手:朝日新聞デジタル

    震災の日、岩手県大船渡市の民家から姿を消したネコが9日、飼い主のもとに帰ってきた。見つかったのは約15キロ離れた陸前高田市。首輪に記された携帯電話の番号から、3年2カ月ぶりの再会が実現した。 陸前高田市気仙町の杉林にじっと座る黒いネコを地元の夫婦が保護し、大船渡保健所に届けたのは4月10日。首輪があり、人懐っこい。飼い主が現れるかも。保健所はしばらく様子を見ていたが、進展がないため、8日朝、地元紙に掲載してもらうため写真撮影をしようとした。 そのとき、首輪にうっすらと文字が浮かんでいるのに職員が気がついた。「ヤマギシ」という文字と携帯番号。なんとか判読し電話をかけると、山岸剛郎(たけお)さん(67)につながった。飼い主その人だった。

    震災で不明のネコ、生きていた 飼い主と再会 岩手:朝日新聞デジタル
  • 大震災3年:不明の愛猫戻る 首輪の電話番号が絆に 岩手 - 毎日新聞

  • 岩手の大学進学率の低さと、中卒がムラを仕切ることと、俺とお前と大五郎。 - 体調わる子の毒吐きブログ

    2013-09-13 岩手の大学進学率の低さと、中卒がムラを仕切ることと、俺とお前と大五郎。 学生時代 仕事 問題提起 お金 田舎 都会 世の中 教育 これをみた。 データえっせい: 都道府県別の大学進学率 2013年の都道府県別の大学進学率。 最高値:71.3%(東京) 中央値:49.9% 最低値:33.9%(岩手) おお、岩手県...。 自分の生まれ故郷が最低値を記録しているではないか。 しかも県民所得が高ければ進学率が高くて、県民所得が低ければ進学率も比例して低くなるとかなんとか。 相関関数は+0.7886にもなるってことで、結構強い正の相関関係なわけだ。 うーん。なるほどなー。 んで、思った。 岩手県って「進学クラスとかある普通校」とそれ以外の「商業、工業、農林、水産高校」の割合が「1:1」ぐらい?「1:2」までいく?いかない?ぐらいなんだよね(ざっくり)。 面倒くさくて計算した

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 「バーチャルでリア充を」「うちの嫁」――岩手県知事のツイートが淡々とオタクで面白い

    「『バーチャルでリア充を』が私の基方針」――岩手県の達増拓也(たっそ たくや)知事のツイートがサブカルに詳しすぎると話題になっています。萌えキャラを「嫁」と紹介したり、アイドルやアニメの知識を披露したりと、折りにふれ達増知事のネット民っぽさがTwitterに淡々とにじみ出ており、こうした投稿が多くのユーザーにリツイートされています。 達増拓也知事のTwitterアカウント インターネットが普及する前からパソコン通信を使って情報を発信していたという達増知事。YMOの影響で人民帽をかぶって大学に通ったことがある、聖子ちゃん派か明菜ちゃん派かと聞かれれば「戸川純」と答えるなどなど、往年のサブカル男子っぷりには目を見張るものがあります。 それでいて昨今のネットトレンドもキャッチしており、家では「乙」「つけ」「だめぽ」といったネットスラングを使うんだそう。「宇宙戦艦ヤマト2199」や、岩手県久慈

    「バーチャルでリア充を」「うちの嫁」――岩手県知事のツイートが淡々とオタクで面白い
  • 岩手県議:小泉氏、車内で自殺か ブログ「炎上」で謝罪- 毎日jp(毎日新聞)

  • 地元の観光地にヤバそうな車が放置されてる:キニ速

    laislanopira
    laislanopira 2013/05/24
    岩手から沖縄へ乗り捨て。どんな人が乗っていたんだろう
  • 震災・津波 流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」 | 大槌みらい新聞

    流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」 配信=2013/02/07 記事=耳塚 佳代 Tweet 大槌町町 臼澤良一 64歳 当日は自宅にいたんですよ。事業の報告書を書いていたんです。あとはファイルに綴じるだけだったので、るんるん気分でインデックスを付けていた。そうしたら、とんでもない大きな揺れ。一度も経験したことがない、当に恐ろしい揺れ。うちが潰されるんじゃないか、死んでしまうんじゃないかという。プリンタやパソコン、棚とかレコードとか、ぜーんぶ(崩れてきた)。前にも進めない。早く止まってくれないかと思っていたが、当に長いんですね。 やっと揺れが終わって、そしたらうちのが「お父さん津波だから逃げよう」って、1階から声が掛かった。テレビも電気も全部付かない。ラジオのスイッチ入れて聞いたら、3メートルの津波だと。親父の代からあそこに住んでいたけど、ここま

    震災・津波 流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」 | 大槌みらい新聞
  • 『気仙川』畠山直哉(河出書房新社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「見えること」と「見えないこと」のはざまに立つ もっと早くにこの写真集を取り上げたかったのに、時間がとれないまま11月になってしまった。もっと早くに、と思ったのは、東日大地震の惨状を写した写真への世間の関心が、日に日に遠ざかっていくように感じられたからだったが、出てから2か月近く経ったいまこれを書こうとして、出版直後とは別の思考が自分のなかに延びているとも感じている。 B5サイズの横幅をカットした縦長のだ。ページを捲ると上半分は白い余白で、文章だけがあり、このようにはじまる。 「何かが起こっている。いまここではない遠いところ、ほら懐かしいあの場所で、何かとてつもないことが起こっている。その様子がいま僕のいるところからでは、よく見えない」 「よくわからない」ではなく、「よく見えない」と書かかれていることに注視しよう。書のテーマがここに集約されている。この世には「見

    『気仙川』畠山直哉(河出書房新社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 東京新聞:夫の遺志 旅館再建 被災した場所…「これで良かったか」:社会(TOKYO Web)

    東日大震災の津波で被災した岩手県大船渡市の旅館が再建された。只野八百子(やおこ)さん(80)は、再建を見届けて病死した夫昭雄(てるお)さん=享年(83)=の遺志を継いで、復興工事の関係者らの寝を支える。ただ、再建したのは流されたのと同じ場所。「当にこれで良かったのか」との思いを拭えないでいる。 (立石智保) しゃしゃしゃしゃっ-。昨年三月十一日、砂利を巻き込んで進む波の音を聞いた八百子さんと昭雄さんは、海から約八百メートルにある只野旅館最上階の三階に逃げた。三階への階段まで海水が迫ってきた。 三日目の朝に救助された。テレビ局の取材に「再建しましょう」と答え、昭雄さんは「再建おじいさん」として話題になった。旅館を手伝う長女英理子さん(51)も被災直後からがれきを片付け、再建に強い意欲を見せた。英理子さんからは「お父さんが『再建、再建』と言うのはお母さんを元気づけるため」とも告げられた。

    laislanopira
    laislanopira 2012/10/25
    「また再建しましょう」の人、今年9月に亡くなっていた
  • 「自然対人間」:サンフランシスコ近代美術館で畠山直哉作品展

  • 東日本大震災:津波に襲われる男性…最期の場面、偶然撮影 - 毎日jp(毎日新聞)

    佐々木宏さん(左)の写真スタジオのパソコンで、津波の写真を見る石川スミさん。何枚もの中に、猛さんの写った写真もあった=岩手県陸前高田市で2012年3月18日、市川明代撮影 津波に襲われながらも、車の運転席から窓の外へはい上がり、最後まで生きようとしていた。岩手県陸前高田市の石川猛さん(当時60歳)。市内で写真スタジオを営む佐々木宏さん(58)が高台へ逃げながら津波を撮った写真に、偶然その姿が写り込んでいた。「何を思いながら、逝ったんだべな」。写真を引き取った義母スミさん(83)は、涙なしでは見られなかった。【市川明代】 ◇義母「何を思い、逝ったんだべな」 あの日、休暇だった猛さんは朝早く、エメラルドグリーンの特徴あるワンボックスカーで家を出た。解禁されたばかりの渓流釣りのため気仙川上流へ向かったらしい。だが揺れの後、スミさんを助けようと海が近い自宅へ戻ろうとした。 孫の車で逃げ無事だったス

  • 田畑ヨシ - Wikipedia

    田畑 ヨシ(たばた ヨシ、1925年〈大正14年〉1月6日[1] - 2018年〈平成30年〉2月28日)は、日の岩手県宮古市田老地区出身の津波防災教育活動家。 昭和三陸津波体験をもとに紙芝居『つなみ』を自作し、地区内外の児童に講演で津波の恐怖を語り続け、地域の防災教育に貢献してきた。東日大震災を機に、30年以上にわたる彼女の地道な啓発活動が脚光を浴び、「津波の語り部」として全国的に知られることになった[2]。社団法人・全国海岸協会による「海岸功労者」の2006年度表彰者の1人[1]。 来歴[編集] 岩手県下閉伊郡田老村(現・宮古市田老地区)に生まれる。幼少時からかつて明治三陸地震の大津波を体験した祖父より、津波の恐ろしさを毎晩のように言い聞かされながら育った。身をもって津波の恐ろしさを知っていたヨシの祖父は、家族以外、特に他の土地からの転居者にも津波のことを語り続けてきた[3]。 1