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佐賀とデザインに関するlaislanopiraのブックマーク (4)

  • 「芸術」で地方経済は変わる?佐賀大の新機軸

    佐賀大学が文化教育学部を改組し、佐賀県立有田窯業大学校(西松浦郡有田町)を統合した「芸術地域デザイン学部」を4月に発足させて1カ月がすぎた。芸術分野で地域活性化に貢献する人材の育成を目標に始動した意欲的なカリキュラムは、地方大学の生き残りをかけた模索でもある。キャンパスで変化を探した。 4月下旬の佐賀市の庄キャンパス。新学部の115人があちこちで、スマートフォンで動画を撮っていた。前期に集中して受講する「共通基礎」の一コマ。1分間の自己紹介動画をグループで制作していた。 「今までにない大胆な科目設定」 地域デザインコースの中島実紀さん(18)は、趣味読書を紹介する動画をグループの仲間とアイデアを出し合いながらまとめた。「自分の新たな一面を見つけた。情報を受け取るだけの講義とは違い、新鮮」と充実した表情を浮かべた。 共通基礎は新学部の1年生全員が受講し、教員も全24人が関わる。1週間の2

    「芸術」で地方経済は変わる?佐賀大の新機軸
  • 有田焼の輸出支えたワラ包装 陰の職人技を一冊に 福岡:朝日新聞デジタル

    創業400年を来年に控える有田焼は、かつて盛んに海外へ輸出され、発展の礎を築いた。輸出を支えたのは稲ワラによる独特の包装技術。主役の陰で注目されなかった職人技に魅せられた研究者が、30年間の研究成果をにまとめた。 ワラ包装を研究しているのは、九州産業大名誉教授の宮木慧子(けいこ)さん(80)=福岡市東区。今春「陶磁器ワラ包装技術文化史」(吉川弘文館)を出版した。 同大でデザインを教え、有田焼の包装デザインのアドバイザーを務めていた宮木さんは1985年ごろ、佐賀県有田町を訪れ、ワラによる包装の美しさに圧倒された。「まるで、それ自体が作品のようだった」と振り返る。 宮木さんによると、有田でワラ包装を担ったのは「荷師(にし)」と呼ばれる職人。江戸期、佐賀・鍋島藩は荷師を許可制にして管理した。有田焼を収入の一つにしていた藩にとって、磁器を無傷で運ぶための技術は重要だったという。 宮木さんは、調

    有田焼の輸出支えたワラ包装 陰の職人技を一冊に 福岡:朝日新聞デジタル
  • 「原っぱ」で街なかを再生 佐賀発、驚きの中心市街地活性化手法

    佐賀市のある商店街の一角が、最近、にわかに賑わい始めた。きっかけは、コンテナを置いた“原っぱ”だ。コミュニティ形成からエリアの価値を高める、21世紀の新しい都市再生手法に迫った。 佐賀市の市街図を眺めると、驚くほど駐車場が多いことがわかる。駐車場は車を引き寄せるかもしれないが、人は惹きつけない。周囲が駐車場だらけの駅前商店街は、閑散としている。 しかし、一部だけ賑わっている通りがある。子どもたちの笑い声が響き、その子どもたちを見つめる母親たちが立ち話をする“原っぱ”があり、その向かい側には建築事務所を兼ねたコワーキングスペースがある。周辺には、饅頭屋、スポーツバー、ラーメン屋、NPOの事務所、プリントTシャツのショップなどもオープンしている。そこは、呉服元町の一角。ここで、官民連携による「21世紀型の都市計画」の社会実験が行われているのだ。 空き地を公園にせず、芝生の“原っぱ”に。芝生は地

    「原っぱ」で街なかを再生 佐賀発、驚きの中心市街地活性化手法
  • 目指せ九州のニセコ、改革のカギは海外にあり 有田焼400年を支えてきた技術革新と国際化 | JBpress (ジェイビープレス)

    400年の歴史を誇る有田焼がかつてのような輝きを取り戻すにはどうすればいいのか。前回は星野リゾート卒業生である南雲朋美さんの奮闘ぶりをお伝えした(「星野リゾート卒業生が有田焼再興に奔走中」)。400年の伝統にリゾート経営のノウハウを吹き込むというのも新しい挑戦と言える。 一方、有田焼はそもそもグローバルな意識があったからこそ発展してきた。その原点に帰ろうという取り組みも始まっている。有田に外国から陶芸に興味のある人たちを呼び込もうというのである。 その1人が徳永陶磁器の徳永隆信社長である。 同社は廃校になった小学校の校舎を利用して磁器を作っているが、大きな小学校だっただけに土地や建物に余裕がある。そこで、その一部を利用して海外から焼き物を体験したいという人を呼び込もうと言うのである。 有田焼を体験したい欧米人 「日海外から観光に来る人が増えていますが、ありきたりのコースでは満足せず、歴

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