大阪が本拠地の日本維新の会が躍進を続けている。一昨年の衆院選、昨年の参院選、そして今年の統一地方選で党勢を拡大。世論調査では政党支持率でも、次期衆院選の比例代表投票先でも野党第1党の立憲民主党を上回るが、どうにも腑に落ちない。格差を拡大する新自由主義路線をヒタ走り、醜聞が後を絶…
連載目次 岡本太郎作「地底の太陽」 写真提供:大阪府日本万国博覧会記念公園事務所 大阪の千里丘陵に位置する万博記念公園に立つ「太陽の塔」では現在、内部の整備工事が進行中だ。「太陽の塔内部再生」事業として、長く一般公開されてこなかった「生命の樹」や、行方不明のままだった四つ目の顔「地底の太陽」の復元やその設置場所の準備が、来年3月の一般公開に向け、急ピッチで行われているのだ。先日、私は岡本太郎財団の評議員を務める関係で、岡本太郎記念館館長の平野暁臣、美術史家の山下裕二、ワタリウム美術館キュレーターの和多利浩一の三氏と、その進捗の確認のため中に入った。内部はすでに耐震補強を終え、「生命の樹」を鑑賞するための通路を新たに確保する作業が進められており、もともと伽藍堂のように広かった空間は、何重にも入り組んだパズルのような足場で、上から下まで鉄の蜘蛛の巣のように埋め尽くされていた。こんな複雑な足場の
すべてを印刷 /[PDFファイル/4.7MB] 表紙・目次 / [PDFファイル/572KB] 発刊にあたって、冊子の構成と使い方 / [PDFファイル/583KB] 「差別と社会」(大阪市立大学名誉教授 野口道彦) / [PDFファイル/862KB] 用語解説 / [PDFファイル/456KB] 学習プログラム ■しあわせになりたい! / [PDFファイル/987KB] 趣旨とルールの説明 お互い聴きあおう しあわせな人生すごろく しあわせって、なんだっけ? 一人ひとりのしあわせのために資料「処世教訓出世競争すごろく」 / [PDFファイル/1.19MB] ワークシート「これってしあわせ?」 / [PDFファイル/638KB] ■子どもとおとな、何が違う? / [PDFファイル/1.02MB] 趣旨とルールの説明 わたしが子どもだったとき 子どもとおとな、何が違う? 子ど
「差別と社会」(大阪市立大学名誉教授 野口道彦)[1] 差別とは何か 差別とは何でしょうか。ある人は「これは、差別だ」といいますが、別の人は「差別ではなくて、区別だ」といって、意見が分かれることがよくあります。この差別と区別の違いの背景には、区別は「しても許されるもの」、差別は「してはいけないもの」というとらえ方があります。 では、1つの行為が、社会的にみて許されるのか、許されないのか。これらは、文化・宗教、価値観などによって大きく違います。また、時代によって大きく変化しています。長いスパンでみれば、過去から現在、未来と、人権のとらえ方は大きく進展しており、今の時代に生きる人が、差別だととらえていないことも、20年、30年後には、差別だととらえられることが起こるでしょう。その点、頭を柔軟にし、感性を磨いておかないと、次世代の人から、「古い、頭が固い」といわれるでしょう。 さて、差別とは、「
情報コンテンツサービス終了のお知らせ 2020年9月30日(水)をもちまして、以下コンテンツを終了いたしました。 【終了するコンテンツ】 Zing! 長らくご愛顧いただきました皆さまに感謝を申し上げますとともに、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。 トップページ - サイトマップ - お問い合わせ
なぜ人と政府との関わりは希薄になったのか 元サンフランシスコ市長であり現カリフォルニア州副知事である著者ギャビン・ニューサムは、ずっと疑問に感じていた。SNSで頻繁にメッセージを発信し、ポケモンGoで何百キロも歩いてモンスターを追いかけるアクティブな人々が、なぜこれほどまでに政治に関心を示さないのか。2011年にロサンゼルスで行われた重要な教育・環境に関わる住民投票の投票率はわずか12%に過ぎなかったことを、ギャビンは当然のこととして受け流すことはできなかった。 無関心の原因は政府や政治家にある、とギャビンは考える。新たなテクノロジーが人々の生活を驚くべきスピードで変化させているのに、「現在の政府は1973年だったら最先端だったろうと思える機能しか備えて」おらず、市民の関心を十分に引きつける存在になっていない。本書は、そんな現状を変えるためにテクノロジーにできることについて、ギャビンが多く
大阪の南に位置する西成区。日雇い労働者が集まるあいりん地区や、現在も遊郭として営業する飛田新地などが広がる、いわゆるディープで猥雑な大阪のイメージそのままの地域である。 「O才」展の舞台は、その西成の北東に位置する山王地区。昔ながらの商店街や長屋が建ち並び、昭和の時代を想わせる。どこか懐かしい日常の風景に、梅田さんは作品を紛れ込ませた。下町の路地でぽっかりと顔をのぞかせる空き地を出発点に、鑑賞者は山王の商店街や住宅街、さらには遊郭の飛田などの主に4ヵ所を巡りながら、作品と出会っていく。 とはいえ、どこまでがまちの日常で、何が、どこから作品なのかは、一見しただけではわかりづらい。有線から流れる戦前の大阪の流行歌。ゴルフ場に浮かぶ、巨大な黒い球。輪になって何やらゲームのようなことに興じるひとたち……。日常ではあり得ないような、でもこのまちならあってもおかしくないような、少し謎めいた光景がところ
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