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思想と教育といじめに関するlaislanopiraのブックマーク (4)

  • タグ : 私たちの気付かない漫画のこと 一覧ページ|Zing!

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  • いじめについて - 内田樹の研究室

    ある教育関係の媒体から「いじめ」についての意見を求められた。 かなりたくさん字数を頂いたので、長いものを書いた。 「いじめについて」 学校における「いじめ」とそれに対する対応のありかたについて意見を求められた。 悲観的な話から始めてしまって申し訳ないけれど、「いじめ」に対する即効的な対応策は存在しない。「いじめ」は80年代以降の学校教育を貫通している「教育イデオロギー」の副産物であり、ほとんど「成果」と言ってもよい現象である。 30年かかって作り込んできたものを一朝一夕でどうこうすることはできない。同じくらいの時間をかけて段階的に抑制してゆく気長な覚悟がいるだろう。 私たちが今向き合っている教育現場における「いじめ」現象には「太古的な層」と「ポストモダン的な層」がある。 「太古的な層」は人類と同じだけ古い歴史を持っている。こちらの方は、はっきり言って手の着けようがない。とりあえず「ポストモ

  • 赤坂真理「まったく新しい物語のために」第15回 日本の学校はなぜ軍隊じみているのか メルマガ「現代新書カフェ」より | 現代新書カフェ | 現代ビジネス [講談社]

    お前は何もわかっていない、というそしりは覚悟で書くが、「いじめの対策」として「管理者の失態」ばかりが追及されるのは、何かが少しちがうのではないか。 いや、もっと言ってしまえば、「管理側の論理と都合」が最優先された結果、「いじめ」は陰湿化と悪化をたどってきたのではないか、と思えてならない。そして「管理側の論理が最優先」というのは、なにも学校組織や教師にかぎらず、この日社会にあまねくあるものなのではないか。 ここでいじめを「他者を害することで己の存在と優位を確認しようとする行為」「他者を害することで快感を得る行為」と私は定義してみたい。「双方熱くなったときどちらかもしくは双方が手を出した」とかいうのとは、ちょっと区別したい。もちろん、「いじめ」はいじめられた側の心にこそ存在するから、その側がいじめられたと感じればいじめは成立する、これは当然であるが、前提にとどめる。家庭内暴力は、これを除外す

  • いじめについての続き - 内田樹の研究室

    ある媒体で、「いじめ」についてコメントした。それは昨日のブログに書いた通り。 それについて追加質問が来たので、これも追記として書き留めておく。 Q: 学校という場は社会の雰囲気とは切り離されたものではなく、一定程度の影響を受けていると思います。現実に、リストラが激しくなる一方ですし、1分1秒ごとに自己成長を求められる息苦しい世界になりました。この状況にあって、学校だけを過度な競争社会から切り離してある種のユートピアにすることは可能なのか、それとも競争を是とする今の社会を根底から変えない限り、社会に蔓延するいじめ体質はなくならないのか。この点はどう思われるでしょうか。 A: 学校は来は苛烈な実社会から「子供を守る」ことを務とするものです。それは学校というものの歴史的発生から明らかだと思います。 ヨーロッパで近代の学校教育を担った主体のひとつは、イエズス会ですけれど、それは「親の暴力から子

    laislanopira
    laislanopira 2012/07/13
    "自分のことしか考えない幼児的な市民ばかりになってしまった。自己利益よりも公共の福利を優先的に配慮する「大人」が一定数いなければ、社会は保ちません。"
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