タグ

思想と歴史と東京に関するlaislanopiraのブックマーク (4)

  • 『国道16号線 「日本」を創った道』 - HONZ

    私が住む東京都町田市の小田急町田駅の東口の広場には「絹の道」という石碑がある。それをゼミ生に見せてからJR横浜線の下り線に乗り、八王子に向かう。その車中で、なぜ八王子と町田を結ぶこの街道が絹の道と呼ばれるか、学生たちに説明する。 このあたりの多摩丘陵の地形地質が桑畑に向いていて、それが地域の養蚕業を盛んにしたこと。そうして絹製品の産業基盤がこのあたりにあったところに、幕末期に盛んになった生糸輸出で、山梨や長野、群馬の生糸がいったん八王子に集まり、そこから輸出港横浜まで運搬されるルートができたこと。その流通加工拠点であった八王子には富が蓄積されたし、横浜までは生糸を馬の背に乗せて運ぶにも一日では歩ききれないので、行商人たちがその中間地点の町田で一泊してお金を落としたこと。横浜で生糸を売り捌いて懐が暖まった行商人たちが、おそらく帰路についた一泊目の町田で羽根を伸ばしたので町田には町の規模の割り

    『国道16号線 「日本」を創った道』 - HONZ
  • 荒川区から考えている|北田暁大

    東京の荒川区に住み始めたのは00年代の初めのことだから、かれこれ20年近くのお付き合いとなる。途中一回勤め先近くの台東区に浮気したが、どうしても荒川区の引力に抗えず、戻ってきた。区内で計5回引越している。引っ越し貧乏の典型である。 荒川区に住み始めたころ、わりとすぐに隅田川との関係を思うに至り、図書館とかで調べまくった。別に駐車場として使われているわけではない一階のある「高床式」の建物がやたらある、というのに気づいて「あ、これ水害対策かな」と思ったのがひとつ。あと、とにかく道・小路が入り組んでいて、直線という概念が適用できるのが尾竹橋通りぐらいしかなく(あと藍染「川」通り)、一歩間違えるととたんに迷宮になってしまう道の成り立ちを見て、「あ、永代借地権と暗渠の名残りかな」とおもったのがもう一つ。ようするに、隅田川(旧荒川)とその支流の小さな川(暗渠化している)の水害が酷くて、堤防が整備された

    荒川区から考えている|北田暁大
    laislanopira
    laislanopira 2019/10/14
    首都圏では西日本と違って部落差別なんかもう存在しない、という人は東京のどこを見ているのだろう
  • タグ : 私たちの気付かない漫画のこと 一覧ページ|Zing!

    情報コンテンツサービス終了のお知らせ 2020年9月30日(水)をもちまして、以下コンテンツを終了いたしました。 【終了するコンテンツ】 Zing! 長らくご愛顧いただきました皆さまに感謝を申し上げますとともに、ご理解を賜りますようお願い申し上げます。 トップページ - サイトマップ - お問い合わせ

  • 無言の箱 ニュースカイビル 2

  • 1