阿村(あむら)は熊本県の天草諸島、上島北部に存在していた村。現在の上天草市松島町阿村にあたる。 かつて日本最短の村名の一つであった。また、明治の町村制以後、日本国内に存在していた全ての市町村名を五十音順に並べたときに一番初めになる村名でもある[2]。 歴史[編集] 1889年4月1日 - 町村制の施行により、天草郡阿村が成立。 1955年4月1日 - 今津村、教良木河内村との合併で松島町が発足。同日阿村廃止。 脚注[編集]
「こうのとりのゆりかご」はこの項目へ転送されています。これを題材としたテレビドラマについては「こうのとりのゆりかご〜「赤ちゃんポスト」の6年間と救われた92の命の未来〜」をご覧ください。 ドイツの赤ちゃんポスト(内側から見た写真) チェコ共和国の"BabyBox" ポーランド 赤ちゃんポスト(あかちゃんポスト, Baby hatch, Baby box[1][注 1])は、諸事情のために育てることのできない赤ちゃん(新生児や子ども)を親が匿名で託すための施設、およびそのシステムの日本における通称である。 日本では、熊本県と北海道の2カ所に設置されている(2022年5月時点)[4]。熊本県熊本市西区にある慈恵病院では「こうのとりのゆりかご」という名称を使用している[5][注 2]。慈恵病院は「こうのとりのゆりかご」の活動により、公益財団法人社会貢献支援財団より2014年度社会貢献者表彰「社会
金栗 四三(かなくり しそう〈読みについては後述〉、1891年〈明治24年〉8月20日 - 1983年〈昭和58年〉11月13日[1][2])は、日本のマラソン選手、学校教員。位階は従五位。 青壮年期にオリンピックのマラソン競走に日本代表選手として参加した。また裏方としても各マラソン大会や東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)の開催に尽力したり[3]、日本に高地トレーニングを導入したりするなど、日本マラソン界の発展に大きく寄与したことから「日本マラソンの父」と称される[4]。 生涯[編集] 金栗は、1891年(明治24年)8月20日に熊本県玉名郡春富村(現在の和水町)の15、6代続いた村の名家に8人兄弟の7番目として生まれた。名の「四三」は、誕生時に父の年齢が43歳であったことに由来する。四三は5歳頃までは異常体質と言われるくらいひ弱な子どもで、特に2歳の頃までは夜泣きをしては家中の者を困
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