瑞穂は見里を「割とこだわりの強い子だった」と回想する。 「自分の気持ちや意思を言葉にするのが下手でした。『お子様ランチのあのおもちゃが欲しい』とか『いつもの決まった遊具で遊びたい』などの理由で機嫌を損ねては、周囲を困らせていました」 母親は後に「朝希は、小学校卒業までに反抗期がすべて終わった」と話したという。本人にも長い間、話すことに苦手意識があり、小中高を通じて口数の多い方ではなかった。 小学校時代は、絵もよく描いていた。母方の祖母が画家で、折に触れて白紙の本やスケッチブック、クレヨンなどをプレゼントしてくれたこともあり、お絵描きや物語づくりは姉弟にとって常に身近だった。 見里は小1で魚の図鑑を模写し、3年生の時には「カメくんと消しゴムくんの大冒険」というシリーズマンガを描いた。