大背美流れ(おおせみながれ)[1][2][3]または背美流れ(せみながれ)[5]は、1878年(明治11年)に和歌山県東牟婁郡太地(現・太地町)沖で起きた捕鯨船の海難事故。不漁続きで悪天候の中、沖合まで出漁した捕鯨船団が壊滅し、100人以上の漁師が行方不明となった。日本の捕鯨史上最大の惨事とされる[2]。 背景[編集] 江戸時代初期の1606年(慶長11年)に紀伊国太地で始まった網取法による捕鯨だったが、幕末になると日本列島近海に到達したアメリカ合衆国の捕鯨船による乱獲が原因で、急速に鯨の数が減少した[9]。帆船で鯨を外洋まで追って捕獲するアメリカ式の捕鯨と異なり、陸上から鯨を探し出漁範囲も沿岸に限定される網取法は捕獲頭数に限界があった[10]。 網取法による捕鯨の復元模型(くじらの博物館蔵) 大量の人員や資本を必要とする鯨組の経営では、鯨の不漁が経営の悪化や解散に直結した。 網取法による