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韓国とこれはひどいに関するmatsuokahajimeのブックマーク (2)

  • NEWSポストセブン|韓国に拿捕された船長 73日間毎日丸麦1合と大根葉の塩漬2回

    領土を守る行為とは、その土地に日の丸を掲げ、「ここは日領だ」と叫ぶことだけではない。むしろ、名もなき市井の人々がその土地に築いてきた生活の営みこそ、「日領土」たる揺るぎなき根拠である。ここでは竹島をめぐるエピソードを紹介しよう。 韓国が竹島を不法占拠して以降、韓国側は竹島近海で操業する日漁船に対して、銃撃や拿捕を繰り返すようになった。日韓漁業協議会の調べでは、1965年に日韓基条約と漁業協定が締結されるまでに、拿捕された日の漁船は328隻、抑留された船員は3929人、死傷者は44人に上った。 1953年9月に拿捕された第28海鳳丸の久保田伴良・船長は帰国後、国会の小委員会で壮絶な投獄体験を証言している。 済州島周辺を航行中、韓国海軍の巡航艇に大砲2発を発砲され拿捕された海鳳丸だったが、船長は小銃を突きつけられた状態で軍幹部に反論し、警察尋問では拳銃で脅されながら自分の証言と調書の

    NEWSポストセブン|韓国に拿捕された船長 73日間毎日丸麦1合と大根葉の塩漬2回
  • 常習的に侵犯する日本人を決死阻止した独島義勇守備隊

    1954年11月21日明け方、日の海上保安庁の艦艇3隻が独島(トクト、日名・竹島)に接近した。1000トン級PS-9、PS-10、PS-16艦は、左右と中央から島を包囲した。日の航空機も旋回した。600メートル前。拳銃の音とともに一斉射撃が始まった。M-1小銃が火を吹いた。迫撃砲弾はPS-9艦の甲板に当たった。PS-10艦も暗雲のような煙を吐き東に逃げた。(ホン・スンチル『この地がどこの地なのか』) 53~54年に入り独島を侵した日は痛手を負った。死傷者は16人。 恐れを知らずに銃と大砲を海上保安庁の艦艇に撃ちまくった彼らは独島義勇守備隊だった。日人の山座円次郞が独島を飲み込もうとする陰湿で凶悪な計略を出して50年余り、体で独島を死守した彼らが義勇守備隊だ。 独島義勇守備隊構想は機甲部隊の傷痍軍人出身ホン・スンチル(当時23歳)のアイデアだった。陵島(ウルルンド)出身で軍に入隊

    常習的に侵犯する日本人を決死阻止した独島義勇守備隊
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