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文学に関するmmddkkのブックマーク (47)

  • 小説(文章)を書くのに役に立つかもしれない豆知識

    登録:2000/02/21 改訂:2003/05/20 ● 小説(文章)を書くのに役に立つかもしれない豆知識 ● この豆知識は、基的には私個人の覚え書きのようなものです。なにか文章を書きたい、と考えている人の参考になればと思い作ってみました。小説以外にも、文章を書くときに役立つことを書いていこうと思っているので、参考になれば幸いです。 目次 ♪豆知識1…編について ♪豆知識2…原稿用紙について ♪豆知識3…禁則処理等について ♪豆知識4…文章構成の基について ♪豆知識5…点検と推敲について まえがき 小説を書くってなんだか難しそう、文章書くのは苦手という人は大勢居るとでしょう。実際書いて見るとそんなに難しいものではありません、上手下手はありますけど。要はどれだけ恥を捨てられるかです。度胸一発、一度書いてしまえば慣れます。どんどん書いていきましょう。 次ぎに文章力ですが、こ

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    mmddkk 2006/01/11
    「「!」と「?」の組合せは、「!?」にする」私もここはへぇーと思った。HTMLだったら、改行後の行頭の1文字空白はCSSで表現してる。
  • 本と活字をめぐる読み物 ドラえもん犯科帳

    一 その日。 会社の慰安旅行から帰ってきたのび太のパパは、 「温泉につかりながら、一杯やったんだ。ひさしぶりにのんびりと生き返ったような気がしたよ」 と、いったものである。 膳の上には、蜆の味噌汁、葱をきざみ入れた炒り卵に焼海苔などが出ていて、 「この蜆汁。さすがはママ、粉山椒が程よくきいている」 などとパパ、上きげんである。 二階の勉強部屋にもどりながら、のび太がドラえもんに尋(き)いた。 「温泉てそんなにいいものなの?」 「入ってみる?」 「つれてってくれるの?」 「いや」 いいながら、ドラえもんは、腹のポケットの中に手をさし入れた。 「この部屋に温泉が湧き出すんだ」 常日頃、のび太のわがままな要求に応えているドラえもんにとって、のび太の勉強部屋に温泉をしつらえるなど、 (まるで、気が抜けてしまうほど‥‥) に、たやすいことなのである。 「〔温泉ロープ〕!」 取り出したのは、一見何の変

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    mmddkk 2005/08/21
    「あの『ドラえもん』を、あの池波正太郎が書いたらどうなるか」うまいなぁ。
  • 【インフォシーク】Infoseek : 楽天が運営するポータルサイト

    日頃より楽天のサービスをご利用いただきましてありがとうございます。 サービスをご利用いただいておりますところ大変申し訳ございませんが、現在、緊急メンテナンスを行わせていただいております。 お客様には、緊急のメンテナンスにより、ご迷惑をおかけしており、誠に申し訳ございません。 メンテナンスが終了次第、サービスを復旧いたしますので、 今しばらくお待ちいただけますよう、お願い申し上げます。

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    mmddkk 2005/08/14
    !!!
  • アルベール・カミュ、1945年8月8日付け『コンバ』紙社説 - fenestrae

    1945年8月6日の広島への原爆投下のニュースを受けて、アルベール・カミュは、8月8日付けの『コンバ(Combat)』紙に、それを取り上げる社説を書いた。『コンバ』はもともとレジスタンスの地下新聞だったものが、終戦により日刊紙になったもので、カミュは1943年から編集に参加、45年当時は主筆を務めていた。 原爆投下直後に書かれたこの社説は、フランスでは、知識人の同時代証言として、高校の歴史の教科書で抜粋が収められたりして、かなり有名なものだ。たぶん日語にも訳されており、何かには収められていると思うが、ネットで検索しても、訳はおろか、引用も社説の存在への言及さえもほとんど見られない。知識人カミュにについてのはやりすたりということもあろうが、原爆の人類史への影響の歴史をを見る上で古典的ともいえるこの文章が、日のネット世代の人々の目に触れないのは惜しいので、以下に訳出する。ある程度くだいて訳

    アルベール・カミュ、1945年8月8日付け『コンバ』紙社説 - fenestrae
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    mmddkk 2005/08/10
    広島原爆の投下直後に書かれた社説。
  • 散人: なぞなぞ(文学系)「留学時代の漱石は大英博物館に通っていたのでしょうか?」

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    mmddkk 2005/08/06
    「もし夏目漱石が大英博物館を利用していれば、留学費の1/3を占めるほどの書物費を支出する必要もなかった」
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  • Hugo Strikes Back!: 内田百閒 ノラの迷い猫広告

    第1回 迷い広告 第2回 迷い広告 第3回 迷い広告 第4回 迷い広告 (英文) 久しぶりに内田百閒ネタで、百閒の愛ノラが行方不明になった時に、百閒が出した訊ねの新聞折込広告。 ノラが居なくなったのが1957年(昭和32年)3月27日のこと。この時の百閒の取り乱し様は随筆「ノラや」の中で自身が書いている。(引用しようと思ったんだけど、が何処にあるのか判らない。というか何で俺は仕事場に私物のをダンボール箱何箱も置いているのか?)「ノラや」の発表は「小説新潮 7月号」で失意の最中の執筆であった。前年の1955年6月25日には、盟友であった宮城道雄が列車から転落事故で死亡しており、百閒にとっては2年続けて親しきものを失う不幸に見舞われたことになる。 2回目の広告の周りに書かれている文字は、「たちわかれいなばの山のみねにおふる、まつとしきかばいまかへり来む」という歌で、が帰っ

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    mmddkk 2005/07/13
    ネコ。内田百閒。