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【岩田 聡氏 追悼企画】岩田さんは最後の最後まで“問題解決”に取り組んだエンジニアだった。「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」特別編 編集部:TAITAI カメラマン:増田雄介 123→ 4Gamerが任天堂取締役社長(当時)岩田 聡氏と,カドカワ(当時はKADOKAWA・DWANGO)川上量生氏の対談を掲載したのは,ちょうど一年前の12月末のことだった。 任天堂・岩田氏をゲストに送る「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」最終回――経営とは「コトとヒト」の両方について考える「最適化ゲーム」 連載の最後を飾るにふさわしいラスボス的なゲーマーは,岩田氏以外ないというお願いを快諾していただき実現した対談では,岩田氏自身の経営哲学からプログラマー時代の豪腕ぶりがうかがえるエピソードまでが本人の言葉で語られ,大きな反響を呼んだ。 岩田 聡(いわた・さとる):1959年北海道生まれ。1982年に
今をときめく「気になるあの人」が、どのような環境で育ち、どのように親が関わったことによってその個性が磨かれたのでしょうか。その『原石の磨き方』を明らかにしていく当インタビュー特集。俳優・監督でありリバースプロジェクト代表を務める伊勢谷友介氏のお母様、伊勢谷尤子さんにインタビューを行いました。 子育ては、教師として学んできたことが試せる“実験”のようでした 私が息子を産んだのは40歳の時です。それまではずっと幼稚園から短大までが一貫教育の学校で教師をしていたので、多くの子どもたちが育っていく過程や親御さんの姿勢を見ていました。だから、私にとって子育ては、今まで見てきたことや学んだことが試せる“実験”のようで、楽しかったですね。 とはいえ幼いころの息子は、道を歩いていても、穴があったら必ず覗かないと気がすまないし、池に魚が泳いでいるのが気になったら、そのままじゃぶじゃぶと入ってしまう……とにか
高木正勝は、今、里山の小さな村に暮らしている。 生まれ育った京都の亀岡市からさらに田舎の山奥へと引っ越したのが、2013年の夏のこと。見渡す限りの自然に囲まれた環境の中で、古民家を少しずつ改築したり、自ら畑を開墾して野菜を作ったりしながら、日々の暮らしを営んできた。地元の人たちともすっかり顔馴染みになったという。まるで、自身が音楽を手がけた映画『おおかみこどもの雨と雪』の主人公・花と同じような生活だ。そんな毎日を送りながら、トヨタやJR東海、JALなど多数のCM音楽、数々の映画やドラマのサウンドトラックを手がけてきた。 2年ぶりにリリースする2枚組のアルバム『かがやき』には、そんな彼の今の暮らしがそのまま刻み込まれている。DISC1は彼が暮らす山奥の村の様子を映すドキュメンタリーのような1枚。地元のおじいさんやおばあさんと一緒に歌ったり、鳥のさえずりの中でピアノを弾いていたり、蝉が鳴いてい
世界各地の土地柄と音楽について語り尽くした新著『HOSONO百景』(河出書房新社)の刊行を期に行った細野晴臣へのインタビュー後編。1940年代音楽の”再発見”など、ポピュラー音楽の豊かな鉱脈について語った前編に続き、後編では自身のキャリアを振り返りつつ、リズムに対する考え方や、音楽における"謎”について含蓄あるトークを展開してもらった。聞き手は小野島大氏。(編集部) 「僕がやってきた時代を通して、ずっと少数派でした」 ――文化の継承という点でいえば、この書にも、今の日本の音楽家はルーツの意識が薄らいでいるんじゃないかということを述べられてますよね(21P)。異文化を受け入れて自分のものにしていくという過程が欠如してるんじゃないか、と。 細野:まあそれも何にも知らないで言ってる意見なんで、実際はどうなんだか。昨日テレビ見てたら、リトル・リチャードに影響受けたような若いバンド…名前忘れちゃった
東日本大震災後の福島をどう描くか。第3回は福島県内の高校生らを主人公にした「はじまりのはる」(講談社)の漫画家、端野洋子(はの・ようこ)さんのインタビューをお届けする。 端野さんは福島県白河市在住。同県西郷村で生まれ、大学時代に酪農、畜産を学んだ。この経験を生かし、1巻では福島県内の高校で酪農などを学ぶ主人公、純が東日本大震災や東京電力福島第1原発事故で大きく変化する周囲の状況にのまれながらも自身で未来を切り開く姿が描かれている。 2巻でも震災、原発事故を設定に取り入れ、原木シイタケ農家の長男、研一を主人公に据えた。原発事故の放射性物質でシイタケ栽培が打撃を受け、実家が廃業を余儀なくされる中、「理系で科学好きだが、人の心の機微にうとい男子高校生」(端野さん)の研一が自分たちの世代で故郷を再生させることを誓い、奔走する姿を多くの取材を基に正面から描ききった。作品は雑誌連載時から大きな話題を呼
バブル期の投資で抱えた約1000億円の損失を「飛ばし」という手法で10年以上隠し続け、不正な会計操作の末に処理したオリンパス事件。渦中の元社長、マイケル・ウッドフォード氏は今、何を考えているのか。話を聞いた。 バブル期の投資で抱えた約1000億円の損失を「飛ばし」という手法で10年以上隠し続け、不正な会計操作の末に処理したオリンパス事件。2011年12月に公開された第三者委員会の報告書でその概要が明らかになったが、東証は2012年1月、組織的な犯行ではなく、利益水準や業績トレンドを継続的に大きく見誤らせるものであったとまではいえないとして上場維持を決定した。 次の焦点は第三者委員会の報告書で求められた、新経営陣への移行。4月20日に開催される臨時株主総会では新経営陣の選任が議案となるが、総会に出席するために来日したマイケル・ウッドフォード元社長に今後の方針などについて尋ねた。 米国の機関投
エリオット スティーブとは1980年に出会い、その後、6年間アップルにいた。アップルを辞めた後、ネクストやピクサーの時代にも付き合いがあった。 私がアップルを辞めたのはスティーブが辞めた1年後だ。その後はいくつかの事業を始めたが、スティーブとの交流は蘇ったり、途絶えたりを繰り返していた。彼の基調講演にも何度か出向いたことがあるよ。 ただ、アップルにいた6年間は、ほぼ毎日、1日24時間、週に7日、彼とともにいたようなものだね。 ―― 彼とはどのようにして出会ったんですか? エリオット 私は当時、ロスガトスに住んでいて、スティーブもそこに住んでいた。私は近くにあるメキシコ料理のレストランにいて、ラウンジエリアで妻を待っていた。妻はちょっと遅れていたんだ。 ラウンジで私は少し落ち込んでいた。IBMを辞めてインテルに行ったものの、アンディー・グローブとは気が合わず、インテルも好きになれなかった。半
インターネットの普及、iPodなどデジタルミュージックプレーヤーの登場にともなって、「音楽配信」はますます大きな存在になってきている。これまでは“欲しいときにすぐ手に入れられる”というような利便性のみが注目され、クオリティは二の次という感が強かったが、「KRYPTON HQM Store」や「e-onkyo music store」など、CD以上のクオリティを持つデータを配信するサービスが登場し、そのイメージも覆された。 レコード、CD、そしてデータ……メディアの変化にともない、そのかたちだけではなく、「音楽の持つ価値」も変わってきているのではないか。 アルバムに“データ版”を用意したり、ライブを24時間以内にiTunesで配信するなど、意欲的な試みを行っている坂本龍一氏。音楽コンテンツの作り手として、そしていちリスナーとしての坂本氏の考えをうかがった。 ■今後の主流は音楽配信になっていく
ゲストは林文子さん。「わたしのほうが売れるかも」と自動車業界に入られ、ほどなくトップセールスウーマンに。現在、ビー・エム・ダブリュー東京の代表取締役社長として多忙な日々を送られています。ビジネスと人生について、成功のヒントをたくさんいただきました。 林 文子 (ハヤシフミコ) ビー・エム・ダブリュー東京株式会社 代表取締役社長 1946年、東京生まれ。東洋レーヨン、HONDAのセールスレディーなどを経て、87年、BMWの正規ディーラーであるBMW東京に入社。世田谷支店に配属され、91年12月に400台累計販売を達成。93年、新宿支店長に就任。95年に年間販売522台を達成し、ベストセールス支店に選ばれる。98 年、中央支店長に就任。99年、VOLKSWAGEN東京の社長に就任。2001年より、AUDI東京の代表を兼務。2003年8月よりBMW東京の社長に就任、現在に至る。 ※プロフィールは
日記だけで4億件のデータ ミクシィが運営するSNS「mixi」は、2007年7月末段階でユーザー数が1110万人。人が12人集まれば、1人はmixiユーザーというわけだ。ユーザーのアクティブ率(ログイン間隔が3日以内)は約62%と高く、2007年4月から6月の月間平均ページビューは117.5億に達した。日記だけでも4億件以上に上るなど、蓄積するデータ量も莫大。2004年3月のサービス開始から、わずか3年半で現在の巨大コミュニティーへと発展したのだ。 ミクシィは、「LAMP(OSのLinux、WebサーバのApache、DBMSのMySQL、開発言語のPerl、PHP、Python)」と呼ばれるWebシステム向けの標準的なオープンソースソフトウェア(以下、OSS)でシステムを自社開発し、安価なPCサーバを1000台以上連ねる超分散構成でmixiのサービスを支えている(広告配信など周辺機能では
はてなが米国シリコンバレーに100%子会社、Hatena Inc.を設立してから約1年。先日、ついにHatena Inc.発の新サービス「はてなスター」と「はてなメッセージ」がリリースされた。 さらに8月にも新サービス「はてなワールド」の公開を控えている。 シリコンバレーでの試行錯誤が形になりつつあるなか、はてなの代表取締役であり、Hatena Inc.代表の近藤淳也氏に、この1年間に起きた変化、海外での活動状況、そしてこれからの1年間の展望を聞いた。 --改めてお聞きしたいのですが、そもそもアメリカにHatena Inc.を設立した目的は何だったのですか。 最初は3つくらいあったのかな。えーっと何でしたっけ(笑)。順番があった気がするんですけど。グローバルなサービスを作って展開することと、現地のエンジニアとかシリコンバレーの人的な関係構築みたいなこと。あと既存のビジネスパートナーとしても
米Red Herringが京都で7月23日から2日間開催した「Red Herring 2007 Insights Japan」にて、ソニーの前会長兼グループ最高経営責任者(CEO)で、コンサルティング会社クオンタムリープの代表取締役を務める出井伸之氏が7月24日に登壇し、Red Herring会長兼発行人Alex Vieux氏によるインタビューに応じた。その内容はソニーのCEO職を退いてから感じることから、日本の起業環境の問題点、起業家たちへのアドバイスにいたるまで多岐に及んだ。インタビューはすべて英語で行われた。 ――Vieux氏:とても大きな企業から、1人1人のスキルは高いけれども規模は小さいという特徴をもった企業に移られて8カ月が経ちますね。この間に学んだことを教えてください。 出井氏:大企業はマインドセットを変えることで、生産性を大きく向上させられるということです。 例えばハリウッ
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http://www.ohtabooks.com/hon-nin/ 今日発売の『hon-nin』最新号の、「hon-nin列伝」っていう吉田豪さんがインタビューするコーナー、ゲストが麻生久美子さんなんですけども、衝撃告白が多すぎる。 まず「吉田さんの『元アイドル!』がおもしろかったのであとでサインください!」って食いついてる時点でおもしろそうな人だな、っていうのは伝わってきたんですけど全然甘かった。 小さい頃、精神を患っていた叔母に包丁を振り回された 家が相当貧乏で、「食べるものには困りませんでしたよ、母がハンバーガー屋でバイトしてたのでパンを持って帰ってくれたりしたから」 「ザリガニはご馳走でした、バイ菌が多くて食べちゃいけないって大人になってから知った」 学校に体操服で行ってたので超いじめられてて、(比喩じゃなく)石を投げられたりしてた 芸能人になったらなったで、騙されて「すっぴん」と
スティーブ・ウォズニアック氏は、「もう1人のスティーブ」と見られることがあるが、Appleのトップでもなければ、メディアとの付き合いの達人でもない。 ウォズニアック氏(以下、ウォズ)は、ほとんど表舞台に姿を見せず、地元の学校や慈善団体の活動に参加している。また、Jazz Technologiesの上級副社長兼CTO(最高技術責任者)兼CVO(最高ビジョン責任者)を務めている。 しかし、ウォズは、最少限のチップと回路をエレガントに組み合わせ、「Apple I」と「Apple II」を作り上げたエンジニアだ。この2つのマシンは、シンプルな設計が強力な成果を生み出すことを今日的な形で証明した。そしてコンピューティングが重厚長大なものからパーソナルなものへと進化する先駆けとなった。 コンピューティングが現在のようなものになると予想したかという質問に対し、ウォズはこう答えた。「ほとんど予想しなかった
「ひとりでつくるネットサービス」第10回目は、行きたい場所を簡単に登録しておくことができる「あとで行く」を開発している石原淳也さん(34)にお話を伺った。 「弁当の買い出し」でコンピュータの面白さを知った 「プログラミングにハマったのは遅い方だと思いますね」。「田口元の『ひとりで作るネットサービス』探訪」の過去記事を読みこんできたという石原さんは笑う。 大学では機械情報工学科に在籍。授業でコンピュータを扱い、Cなどのプログラミングも教わったが「世の中にどう役に立つのかいまいちぴんと来なかったし、勉強としてのプログラミングは、大して面白いと思わなかった」そうだ。 初めて「コンピュータは面白い!」と思ったのは社会人1年生の時。就職した通信会社で、電話交換機のエンジニアとしてキャリアをスタートした。その会社では、新入社員に「部署内のお弁当買い出し係」という仕事が課されていた。 「『お弁当の買い出
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