font-da なんもおもろないんじゃ、ぼけ。(さすがに私を叩きたいがゆえに、被害者の文章をダシにするのはゆるせんね 「私は『見られる』」だの「<私>を見ている」だのと煩いから見てやったのに楽しんでいただけなかったのは残念至極、「見られながら、見る主体を確立してきた」割りに自分のことはなんにも見てない愚鈍さをダシにしたのであって、「被害者の文章」は関係ない。 要はGoogleの勝手宣教師を演じて狼少年の如く「大変化だ革命だ」と繰り返していた望夫と同じであり、Googleを「被害者の文章」に、「大変化だ革命だ」を「被害者を出さないための、決定的な方策」に置き換えてみれば、両者とも「具体的にそれは何か」については何も語らず己に酔っているだけであることは直ぐに分かるし、こんなものに積極的に騙されようとする大馬鹿者が、嘗て「梅田さん、梅田さん」と散々持ち上げていたはてなのバカどもであったのも道理。