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色々ありまして、「地元の町内会」にかかわる機会がちょこちょこあります。町内会の青年部というものが、青年部という名前なのに過半が60歳以上で、30歳以下の人など数えるほどもいないということを最近知りました。 で、例えば地元のお祭りの時とか、何かしらお手伝いをすることもあるんですが、そこでまとめ役のおばあちゃんがいます。地元では誰もが名前を知っているような人で、多分80歳くらいで、小さくて、物腰や話し方は穏やかなんだけど非常に元気なおばあちゃんです。いつも電動自転車であちこち駆けずり回って、アンケートの回収に来たりします。 で、その方にメールアドレスをお伝えしたのが2年程前。当初は、PCから頑張って書いたんだろうなあと想像できる、拝啓から敬具まで書かれた丁寧なメールが時折届くのにとどまっていましたが、1年半くらい前から、調整さんへの招待メールが届くようになりました。 息子さんにでも教えてもらっ
夕飯時、奥様とした会話。 私「ゲド戦記、3巻までで映画化すれば良かったのにねー。1巻だけとか2巻だけとか」 奥様「2巻どんなのだっけ?」 私「テナーが出てくる話」 奥様「あー」 私「ゲド戦記も3巻まではすっごい面白かったんだけどなー。4巻以降は、どうも、作者の思想の為に書かれた話って感じで」 奥様「んー、けど、作者の意図を考えながら読み進めるのも楽しいと思うけどなあ」 なるほど、これは好みの問題かも知れない。 以前も書いたが、私は、ゲド戦記の4巻と5巻があまり好きではない。3巻までは、有色人種差別というテーマこそあれ、作者の思想がそれほど前面に出てきているという印象はなかったのだが、4巻以降、ゲド戦記は余りに「フェミニズムを表現する為のお話」になってしまったように思うからだ。端的に言って、私はゲド戦記1巻から3巻は「ゲドの生涯を綴る為の話」であるのに対し、4巻、5巻は「フェミニズムを主張す
ちょっと前、「子どもに「こんなこと勉強して何の役に立つの?」と言われた時、「こんなことも出来ないお前は何の役に立つの?」と返すのが最強」とかいうコピペをみて、心底アホかと思った。まさか親や教育者が本気にはしないと思うが、こういう一言は容易に知性を殺す。 「お前は何の役に立つの?」という言葉には、勿論「お前も今は役に立たないけれど、将来は役に立つだろう?それと同じだ」という含意があると思われる。子どもはこの含意を理解しない。「お前は役に立たない」と受け取る。これは、言ってはいけない言葉だ。こういう言葉が、子どもから学習自体を奪う。 子どもはどんな時に「こんなこと勉強して何の役に立つの?」というかというと、要はその分野が面白くない時、意味が分からない時、とにかくその勉強をしたくない時に言うのであって、つまり「どんな役に立つのか」→「役に立たないでしょ?」というのは勉強しないことの理由づけないし
バルスのことなんですけど。 大多数のネットユーザー諸兄はご存知かと思うが、バルスは天空の城ラピュタにおける「滅びの言葉」である。劇中ラストシーンにおいて、家伝の飛行石を手にしたシータとパズーが「バルス!」と叫ぶと、なんか飛行石がやたら光ってムスカさんが目が目が星人になったりラピュタがぶっ壊れたり、色々とエラいことになる。 「バルス=滅びの言葉」という図式の定着度・認知度はWeb上では恐ろしい程であり、ラピュタ放映時には実況板が「バルス!」の書き込みとAAで埋め尽くされるという。 まず考えなくてはいけないのは、このバルスという命令は一体何の為に用意されたAPIなのかということである。 ラピュタは人工物なので、当然設計者や開発者がいた筈である。そして彼らは、管理権限キーっぽい小さな飛行石に、複数のコマンドを用意している。「困った時のおまじない」であるとか、「滅びの言葉」がそれである。飛行石を身
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