昭和44年3月29日昭森社の創業者森谷均は亡くなった。4月3日に青山斎場で開かれた友人葬で神原泰が述べた弔辞が『本の手帖』別冊,昭和45年5月に掲載されている。 (略)森谷君は、絵を、彫刻を、詩を、文学を愛したが、更に人間を愛した。芸術を愛する以上に芸術家を愛し、芸術家を擁護し、援助した。(略) 森谷君よ、君を愛し、君を追慕する人は沢山あっても、君を憎み、君を恨む人は一人もいないであろう。天国がもし有りとするならば、それは当然君のものだ。 (略) 弔辞だから故人を悪く人はいないだろうが、同別冊を読んでいると、いかに森谷が詩人、作家、画家、学者、評論家、編集者などに愛されていたかがわかる。しかし、今回若杉美智子・鳥羽耕史編『杉浦明平暗夜日記1941-45 戦時下の東京と渥美半島の日常』(一葉社、平成27年7月)で戦時下の昭森社への批判を見つけた。 (昭和十六年) 十二月五日(金) 曇 (略)