「よむ」というと、何をよむか、となり、そりゃあ現在では、テキストを、ということになるだろう。 テキストを読むことを、漢語で「読書」というしね。 しかし、やまとことのはたる「よむ」は、もともとテキストがやまとのくににない時代からあった動詞なわけである。 ということから「よむ」の語誌文献を調べてみたところ、9件ほど見つかったのだが。 ちょっと問題なのは、9件のうちいちばん面白い議論を展開している兵藤裕己説(1990)が語誌の専門書誌や、汎用雑誌記事索引で見つけられないことである。 ん? なんでわちきがそんなもんを知っているのかってか? 魔人ぢゃよ。文献魔人に教えてもらったのぢゃよ。それはともかく。 本居宣長以来「よむ」はもともと物を声を出して数えることだということになっているんだ。「月読みのミコト」という神様の名前、それが文字のない時代によむが使われている例なんで、月齢を声を出して数えるという