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出版と近代書誌学に関するshomotsubugyoのブックマーク (2)

  • 雑誌の巻号やら法定文字について - 書物蔵

    月曜夕方、アットワンダー2Fでの座談会「巻号ナイト2巻1号通巻2号」を見聞してきた(´・ω・)ノ 前半は雑誌歴50年になんなんとする成人漫画雑誌ボンの、コンテンツ変遷と、巻号表示についての話。後半は池川佳宏さんの巻号論。次のコピーも配布された。 池川佳宏. 雑誌書誌の巻号や日付に関する報告. マンガ研究. (24), 2018-03, 131-138. いろんな気づきがあった。何から書こうかな。 雑誌「漫画ボン」の100号飛ばし 事例として雑誌「ボン」は通号を100号分(マイナス方向に)飛ばすミスを1994年10月号でやらかしてしまっており、それが当時の編集長に聞いても、原因不明だったという話があった。 1994年9月号:通巻339号 1994年10月号:通巻240号 でも、それでさしたる問題もなく現在の539号(来なら640号)まで来ているとも現編集長さんの認識であった。 わちきが思う

    雑誌の巻号やら法定文字について - 書物蔵
    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/07/19
    書きかけメモで、真面目に文献読んでたら途中から必要以上に観念的になってしまったから、むしろ文献を見ずにツイッターにメタレベルのことを書きつくるなり。
  • 日本の古本屋 / 『明治出版史上の金港堂』

    金港堂と聞いて明治時代の巨大出版社と言える人は何人いるだろうか。相当な出版通でも《最古最大の教科書肆》と知る人は余りいないだろう。それもその筈金港堂は完全に忘れ去られた存在で、従来の近代出版史では業界伝説の対象でしかなかったのである。せいぜい文学好きなら文芸雑誌の嚆矢『都の花』、二葉亭四迷『浮雲』、永井荷風『地獄の花』の版元と答えるか、教育学者なら教科書疑獄事件の主役を連想する程度であろう。それらは確かに金港堂の一面を語ってはいるが、全体像からすればごく小さなパーツに過ぎない。一世を風靡したと言われる巨大教科書出版社は長く顧みられることなく放置されてきた。 誰もやる人がいないという単純な動機から、社史のない出版社「史」の解明に取り組んだのはもう40年も昔のことになる。明治8年岐阜の人原亮三郎が横浜に創業した金港堂は翌年東京日橋に移転するが、その後どのように出版活動を展開し、社業を発展させ

    shomotsubugyo
    shomotsubugyo 2019/04/25
    「参考になる先行研究は皆無なのだから、まず散在する関係史料の発掘から始めるより手段はなかった」近代出版史研究の草分け。その筆法は谷沢永一御大もかくやと思わせる。
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