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社会に関するsoleil266564のブックマーク (117)

  • 人間は「交換」することができれば、かなり満足できる。RANGER

    この嘘のような話も、「私たちは交換ができればそれでよい」という考え方を通すと満更でもないと思えてくるのだ。 手作りのクッキーでお菓子と「交換」し、 そのお人柄でお古のやCDを「交換」し、 日々の同僚との充実した人間関係の中でメッセージを「交換」する。 そして、これら沢山の交換が成立することによって谷さんは十分すぎるほど満足しているのだ。 こづかい0円の谷さんから学べる教訓とは一体何なのか? それは「自分が満足できる交換さえできていればお金など要らない」ということなのだと私は思う。 私たちにとって最も価値ある大切なことは「交換」というやりとりができることなのだ。 どのようにして「交換」というやりとりを成立させていくのか? 言うまでもなく、近代の資主義というのは「お金」を中心にして動いている。 しかし、マルクスが分析した通りお金はそれ自体にはなんの価値もない。 だが、そんなお金にも唯一の価

    人間は「交換」することができれば、かなり満足できる。RANGER
  • 自分は幸福になりたいのだろうか?幸福になりたいならば幸福とは何かを学んで自分の幸福を決めないとならないのだ。(後編)RANGER

    自分は幸福になりたいのだろうか?幸福になりたいならば幸福とは何かを学んで自分の幸福を決めないとならないのだ。(後編) 前回は、幸福になりたいならば幸福とは何かがハッキリわかった方がいい、という気づきがあった。 そうしていると、「世界幸福度ランキング上位13ヵ国を旅してわかったこと」の著者マイケ・ファン・デン・ボーム氏のこんな言葉が飛び込んできた。 幸福度の高い国の大半は何百年も前から”幸福を求める文化”をもっていたように思える。 その通りだ。 当たり前のようだが、腑に落ちる言葉だ。 幸福を求めずして幸福にはなれない。 そして、求めた幸福が間違っていても幸福にはなれない。 こう言われると、私の人生では幸福とは何かについてしっかりと考えるということがなかった。 幸福について周りの誰かが語るのを聞いたこともなかった。 日では幸福というものについていつから語るようになったのだろうか? さて、幸福

    自分は幸福になりたいのだろうか?幸福になりたいならば幸福とは何かを学んで自分の幸福を決めないとならないのだ。(後編)RANGER
  • 人間における最上の価値は、人間の欲望の本質である「自由の感度」だと知った。

    最近周囲から「Yogiboを買った」「Yogiboが欲しい」という声をよく聞くようになった。 あらためて言うまでもないが、Yogiboとは「人をダメにする」クッションの代表的存在である。 会社にYogiboがあるので休憩は必ずごろごろすることにしてるのですが、お昼休みってすごいスピードで時間過ぎてく感覚。小学生のころ20分休みで運動場出てドッヂボールとかしてたの信じられん。空見てたら20分おわる🌈 — たつみん|悟り系OL (@ayana_uzuz) April 11, 2022 疫病の発生以降、売り上げは右肩上がりに伸長中。 2022年7月時点で230億円強の売上になるとの予測も出ている。(*1) エクストリームスポーツのメインスポンサーにもなっており、今売れに売れている商品と言って異論のある人はいないはずだ。(*2) そんなヨギボーに続けと言わんばかりに「人をダメにする」系の商品は次

    人間における最上の価値は、人間の欲望の本質である「自由の感度」だと知った。
    soleil266564
    soleil266564 2022/04/13
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  • メンタルを携えスキルを磨く以前に、チャンと把握するべきことがある。RANGER

    先日、飲み屋でカウンターの隣りに座った男性が、あまりにもいい男(ルックスがいい)だったので、思わず「男前ですねえ」と声をかけたところ、「人は中身だ!」と軽くあしらわれてしまった。 この後の話でその方がそのように言った背景がわかり、自分が思ったことを安易に口にしてしまったことを後悔したのだった。 また、こんなこともあった。 また、別の飲み屋ではそこの店長を常連さんがこんなやりとりをしていた。 店長「いらっしゃい、あれ、生きてたんだ?」 常連「バカ言っちゃいけないよ。」 店長「しばらく見ないからさあ。」 常連「いそがしんだよ。そんなにこんな店に来てられっかよ。」 店長「あの店はつぶれたんじゃねえのかよ?」※常連さんは飲店経営 常連「バカ言ってんじゃねえよ。」 他の常連さん曰く、店長とその常連さんのこの軽いケンカのようなやりとりは、いつもの調子なのだそうだ。 店長も常連さんもどこか楽しげだった

    メンタルを携えスキルを磨く以前に、チャンと把握するべきことがある。RANGER
  • 「依存症」から抜け出すには、苦痛を減らすことに尽きる。私は「快感の自家発電」もしていきたい。RANGER

    現代の商品やサービスがそれにはまるように巧妙に作られているから、成り行きに任せずに意識的に習慣を変えるなどしないといけない、と警鐘を鳴らしている。 いかにして病みつきにさせるかが、ビジネス成功のポイントになっているというのだ。 上記若者の例は、快感を得るものが溢れている非常に豊かな時代にあってその豊かさを十二分に享受している人と、一方ではそこに興味がないかあるいはその危険をわかっていて避けている人が分かれている様を表しているように見える。 戦後の3S政策(スクリーン、スポーツ、セックス)が依存症づくりのスタートだったようにも感じられるのだが、自由を目指すが自由になれない私としては、自由の対極にあるような依存症、あるいは、依存について考えないわけにはいかない。 そういうわけでお付き合いをお願いしたい。 依存症とは 依存症とは、日常生活に支障をきたしているにもかかわらず、特定の物質や行動をやめ

    「依存症」から抜け出すには、苦痛を減らすことに尽きる。私は「快感の自家発電」もしていきたい。RANGER
  • ユヴァル・ノア・ハラリ「プーチンが歴史的敗北に向かって突き進んでいるように見える」 | 国というものは、物語の上に築かれる

    開戦から1週間も経たないが、ウラジーミル・プーチンが歴史的敗北に向かって突き進んでいる可能性がますます高くなっているように見える。たとえプーチンがすべての戦闘で勝っても、この戦争は彼の負けになりうるのだ。 プーチンが夢見るのはロシア帝国の再興だが、その夢ははじめからウソの上に成り立つものだった。並べられたウソ八百は、ウクライナ当の意味では国ではなく、ウクライナ人も当の意味では国民ではなく、キエフやハリコフやリヴィウの住民はロシアの統治を待ち望んでいる、というものだった。 だが、実際にはウクライナは1000年を超える歴史がある国であり、モスクワがまだ村でもなかった頃からキエフはすでに大都市だった。ロシアの独裁者はウソを何度もついているうちに自分でもそれを信じるようになってしまったに違いない。 裏目に出た「プーチンの賭け」 ウクライナ侵攻を計画したとき、プーチンには、すでにわかっているこ

    ユヴァル・ノア・ハラリ「プーチンが歴史的敗北に向かって突き進んでいるように見える」 | 国というものは、物語の上に築かれる
    soleil266564
    soleil266564 2022/03/02
    国というものは、突き詰めて言うと、物語の上に築かれるものだ。物語は戦車よりも重みを持つ。
  • 私は捨て石なのかもしれない。それでも生きる。RANGER

    人間は賢い生き物であるかもしれないが、それでも生き物としての法則にしたがっているところは他の生き物と変わらない。 他の生き物と同様に、種として生き長らえて、より良い子孫を残すために生きていると言える。 人間が、周りから無視されたり、バカにされたりすると、許せないという気持が湧いてくるようにできているのは、それがないと上記の種の目的を優利に進めることができないからだ。 人間が、賢くなることやお金持ちになることを求めるのは、これらのことが、上記の種の目的を優利に進めることになるからだ。 人間が、キレイだと思われたり、格好いいと思われたり、褒められることが気持ちいいと感じるようにできているのも、これらのことが上記の種の目的を優利に進めることになるからだ。 ところで、これらのことは人間が生まれてから学んだことなのだろうか? どうもそうとは思えない。 もともとそういう仕様で産み落とされるのだと思う。

    私は捨て石なのかもしれない。それでも生きる。RANGER
  • 私は弱さを知って強くなるRANGER

    社会心理学は、社会というもの、あるいは組織というものが、個人の心にどういう影響を与えるかを研究する学問である。 私はこの学問に最近興味を持って、この学問のを読み始めると止まらなくなってしまっている。 この好奇心はなにゆえのものなのかと考えた時に、その理由はどうも「人間の弱さを知りたい」からであると気づいた。 社会心理学では社会に翻弄される人の様を紹介するケースが多くて、そこに人間の弱さを知ることができる。 人の弱さを知ることは落ち込んだり、絶望するだけのように思われるのだが、そこに惹かれるのはなぜなのか? 自分の性は弱いことを知って快感を得るマゾヒストなのだろうか? いやそうでもないはずだ。 どうも、自分の弱さから逃げられないから、人間の弱さを知ってみんなそうなんだと、安心したいのではないだろうか? 自分の弱さの克服ができないから、弱さを知ることにメリットを見出したいのかもしれない。

    私は弱さを知って強くなるRANGER
  • 不要不急問題を考えることに意味があるのか?RANGER

    朝起きて意識がはっきりしてくると、瞬間瞬間に「やりたいこと」が自分から湧き出てくる。 トイレに行きたくなったり、美味しいものをべたくなったり、仕事を始めたくなったり、と。 これら以外にやりたいものを探すと、「疑問が生まれて、その疑問を解決したい」という欲求があることに気付く。 この解決したい疑問の多くは、仕事や生活に関わることであり、解決しないと支障が出る類のものだ。 目の前に問題が急に現れて、解決する必要に迫られたりする。 ところが、その一方では何も困ってなくて今解決する必要はないのだが、それでも解決したい疑問がしばしば湧いてきていることがある。 湧いてきたその疑問は、常に意識しているわけではないのだが、自分のどこかにずっとひっかかっていてずいぶん経過した後にそれを認識したりすることになるものだ。 この解決する必要のない疑問は不要不急の疑問とでも言ったらいいだろうか。 例えば、 愉しく

    不要不急問題を考えることに意味があるのか?RANGER
    soleil266564
    soleil266564 2022/01/31
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  • 大きいものに屈しはしない。~あまのじゃくのすすめ~RANGER

    人は常に大きいものに憧れて、その大きさに安心や権威を感じるものだ。 体が大きい人に対しては、危険を避けるため従順であらねばならないと感じるし、大きい車を所有している人を見るとお金持ちだと思い、勝手に引け目を感じたりする。 私の父親は、買い物に迷った時に「大は小を兼ねる」という言葉に頼って決断していた。 この口癖に子供の頃の私は違和感を覚えた。 「大」がいいとは一概に言えないだろう。 反意のことわざに「畳針で着物は縫えぬ」というのもある。 ことわざを学ぶことが無意味だと思い始めたのは、このようなところからだったかもしれない。 学生の頃は、大企業こそが安定していて良い選択である、という多勢の声を疑うことはなかった。 今では、一概によい選択だとは言えないと実感するようになった。 親はまた、あまのじゃく(天邪鬼)という言葉をしばしば私に使うことがあった。 あまのじゃくとは、ひねくれた性格という意味

    大きいものに屈しはしない。~あまのじゃくのすすめ~RANGER
    soleil266564
    soleil266564 2022/01/25
    従順で素直であることは、支配されているということだから、実は不健全で不健康なのである。独立したあまのじゃくであることが、健全で健康なのだ。
  • 「面倒くさい」を乗り越えるために、本当に重要なことは「幸せでいる」ことだった。

    最近読んでいたの中で、私にとって遥かに大きな発見となったことの一つが「幸せは、めんどくさいを乗り越えるための精神的な原資」というものである。 生きていると「面倒くさいなあ」と思うことに多々遭遇する。 経験上、仕事において言えば、面倒くさいことを実行することが求められる場面は非常に多い。 そして、成果とはこういうものを積み重ねていった先にようやく現れるものだ。 したがって「面倒くさいはどうすれば乗り越えやすくなるのか?」は、私の人生において長らくの間、大きな関心毎の一つとなってきた。 以前、こうした背景から下のような記事を書いたこともあった。 参照:「面倒くさい」という「老化」の原因に立ち向かう手段は、色々とありそうなことが分かってきた話。 私の知る限り、多くの場合「面倒くさい」が行動しない理由の「音」だ。 掃除をしないのは、面倒くさいから。 発信をしないのは、面倒くさいから。 運動しな

    「面倒くさい」を乗り越えるために、本当に重要なことは「幸せでいる」ことだった。
    soleil266564
    soleil266564 2022/01/12
    新しく書いた記事です。以前から「幸せ」はよりよく生きる上で重要な概念だと認識していましたが、まさか、予測不可能な時代を生き抜くための精神的な原資になってくるとは。
  • 天才哲学者マルクス・ガブリエルもやはり同じようなところに至ったようだ。RANGER

    ドイツの哲学者マルクス・ガブリエル(1980年生まれ)は、史上最年少の29歳でボン大学の教授に着任。 六か国語(ドイツ語英語、イタリア語、ポルトガル語、スペイン語、フランス語、中国語)を自在に操り、古典語(古代ギリシャ語、ラテン語、聖書ヘブライ語)にも習熟しており、天才哲学者、哲学会のロックスターなどと言われる。 ウィキペディア(Wikipedia)より 彼の著書で哲学書としては異例のセールスを叩き出したがこちら。 著書「なぜ世界は存在しないのか」 [itemlink post_id=”8880″] マルクス・ガブリエルの新実在論 哲学には、実在論と観念論という反対の立場がある。 実在論は、人間の認識や知覚に依存しない事物の客観的実在を認める立場。 観念論は、外界は人間が観念で認めた、仮象の世界にすぎないとする立場。 人は通常、自分が見えているものをすべて事実だと思ってそれに反応しなが

    天才哲学者マルクス・ガブリエルもやはり同じようなところに至ったようだ。RANGER
    soleil266564
    soleil266564 2022/01/10
    新しく掲載された記事です。人生とは、つきることのない意味に取り組み続けること。
  • 50代で浮かび上がってくる承認欲求のヤバさ - シロクマの屑籠

    togetter.com 正月明けに、「50代くらいになると何をやっても褒められなくて、不安になり、承認欲求をこじらせる人が多い」というtogetterを発見した。 当だろうか? だとしたら世知辛い世の中だ、大変ですね、でも自分も無関係とは言えないな、などと思った。 そもそも、50代にもなって他人に褒められたい、それも、褒められているとはっきりわかるかたちで他者からの承認をいただきたい心境とは、どんなものだろうか。 私は、そのような心境は ・心理発達のプロセスが厳しかったことのあらわれか ・その人を取り囲む環境が特に難しくなっているか のどちらかに思われ、どっちにしても滅茶苦茶厳しいよね……といった風に思った。しかも、案外他人事とも思えなかったりもした。今回は、それらについて書いてみる。 「50代になって、わかりやすく褒められなきゃ不安ってどういう心理発達なのよ」 まず心理発達のプロセス

    50代で浮かび上がってくる承認欲求のヤバさ - シロクマの屑籠
    soleil266564
    soleil266564 2022/01/07
    「大人になるとみんなホメてもらいたいんだけど、みんながみんなそう思っているのでなかなか自分の順番が回ってこない。」みうらじゅんさんの言葉を思い出しました。
  • 「全く最近の若いもんは・・・」はヤバイ

    いつかオッサンになったら、私も「全く最近の若いもんは・・・」と言うのだと思っていた。 何しろこの言葉、かの有名な兼好法師の徒然草にも、こんなことが書かれているくらいである。 「近頃の親は、子どもに変な名前をつけて喜んでいるようだが、全く無益である」*1 今でいう、キラキラネームへの苦言と言ったところだろうか。 徒然草が編まれたのは14世紀はじめのことなので、実に700年も前の知識人ですら「全く最近の若いもんは・・・」と愚痴をこぼしていたのである。 エジプトのピラミッドにもそのようなことが書かれていたという俗説を聞いたこともあるが、それが当であれば、実に4000~5000年前まで遡れてしまうではないか。 その真偽はともかく、要するにはるか昔からオッサンたちは、「全く最近の若いもんは・・・」と言い続けてきたことだけは間違いなさそうだ。 しかし私はというと、情けないことに何歳になっても「最近の

    「全く最近の若いもんは・・・」はヤバイ
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    soleil266564 2021/12/28
    「全く最近の若いもんは・・・」は、自分が統制できない誰かの行動や価値観に対するストレスの現れ。もしくは、自分には使いこなせない新しい価値観に対する、無意味な遠吠え。
  • 一周まわって答えがわからないところから、新たな世界が始まる。RANGER

    引き続き、社会心理学について感じたことを書いてみる。 今回の結論は、いろいろ考えた末に答えがないところが新たな世界のスタートになる、というものだ。 『格差という虚構』著:小坂井 敏晶 [itemlink post_id=”8661″] 格差の何が嫌なのか? 格差とは、同類のものの間における、程度などの差や違いである。 また、社会問題の一つとしての意味合いを込めても用いられる語であり・・・ (ウィキペディアより) 「この同等なものの間における」というのがどうも微妙なニュアンスだ。 同等なのに差ができることに、人は不満を感じるものだ。 「同等」とはどういうことなのだろうか? 人間であるのいうのが、同等に当たるわかりやすい区分ではある。 確かに「同じ人間なのに・・・なぜ違う?」という不満、嫉妬である。 それを不平等だと感じる。 この平等という言葉は曖昧なものだ。 平等論の究極は、人が生まれたから

    一周まわって答えがわからないところから、新たな世界が始まる。RANGER
  • 歴史に学ぶこと、学べないこと。RANGER

    前回の記事では社会心理学を知って、その感想を書いた。 引き続き、何冊かを読んで見ると、社会心理学という分野に自分の興味が重なっていることを感じる。 社会心理学:個人に対する社会活動や相互的影響関係を科学的に研究する心理学の領域の一つ。 今回も、前回に引き続き、社会心理学者の主張に感じたことを書いてみたい。 その内容は、私がかねがね感じていた、 「昔の日人から学んで現代の生活に活かすことはなんなのか?」 「歴史に何を学ぶべきなのか?」 という疑問につながることになった。 今回の著者は、社会心理学者 山岸 俊男氏だ。 『日人という、うそ』山岸 俊男 著 [itemlink post_id=”8618″] 『きずなと思いやりが日をダメにする』長谷川 眞理子・山岸 俊男 著 [itemlink post_id=”8619″] ノスタルジー、ないものねだり 映画『ALWAYS 三丁目の夕日』

    歴史に学ぶこと、学べないこと。RANGER
  • 「当事者経験」は、見える世界の見方をガラリと変えることがある。

    最近、大好きな「ジャンプ+」に期待の漫画が立ち現れた。 知っている人も多いだろう。 「サラダ・ヴァイキング」である。 第一話を乱暴に要約すれば、 「地球の命をすべてい尽くしてやる!」という目的で、地球の外からやってきた狩猟生命体である主人公レオが、ひょんなことから「野菜」をべることになり、その美味さにぶったまげて畑をはじめる、という具合になるだろう。 直感的に現代にふさわしい企画、テーマ設定だと感じた。 個人的に刺さったのは、野菜を「地を這う草」程度のものとして舐めきっていた主人公レオが野菜をべた時の感想である。 キュウリをべた時のレオの感想 なんだこの瑞々しさは・・・どこにこんな水分が隠れているんだ? この清涼感・・・ 日差して火照った体を内側から癒やしてくれる・・・ そしてなによりこの心地いい歯応え・・・ 味覚だけではない・・・咀嚼音・・・ 聴覚も至福を感じている・・・ (出典

    「当事者経験」は、見える世界の見方をガラリと変えることがある。
  • 「セクハラ回避のため、飲み会は男性だけで」は、もはや当然の選択。

    早いもので、もう師走ですよ。いやー早い。 今年はみんな忘年会するんですかね。できるんですかね。 そういえば、ハラスメントを未然に防ぐ「ハラミ会」なるものが以前話題になっていた。 女性がいつどう傷つくかわからない、うっかりセクハラしてしまう可能性がある。 だから飲み会には女性を呼ばずに男性だけで行こう、という考えのことらしい。 女性を排除することで、コミュニケーション齟齬によるトラブルのリスクを下げるこのやり方は、さまざまな議論を呼んだ。 「女性排除は差別」「解決ではなく逃避」とかね。 個人的なハラミ会への賛否はともかく、このご時勢、ハラミ会は「当然の選択肢」だと思う。 コミュニケーションリスクがめちゃくちゃ高い以上、相互理解なんて諦めてそもそも関わらないことことが、「最適解」になりうるのだから。 オンラインゲームなのにだれも発言しない理由 オンラインゲームをやる人であれば、「コミュニケーシ

    「セクハラ回避のため、飲み会は男性だけで」は、もはや当然の選択。
    soleil266564
    soleil266564 2021/12/10
    人間が話ができるのは、共通テキスト・共通認識の数による。それらが少なければ少ないほどコミュニケーションのミスマッチが発生するリスクが高い。こういう認識が無いあるいは薄い人とは一緒に飲みたくないですね。
  • 私が東京から移住したい理由。RANGER

    東京在住が人生で最も長くなってから久しい。 東京にはその便利さを含め、魅力がたくさんあるのだが、その反面、地価の高さ、異常な通勤混雑、異常な通勤時間などの、大変な面があることも周知のことではある。 東京から移住したいという私の気持ちは、何も今に始まったことではない。 時々、地方に旅に出ては、自然の素晴らしさを感じてきた。 今回、紅葉の京都を約40年ぶりに訪れたことが、自分の中に蓄積されていたいろいろな思いとつながって、移住したいという気持ちが今、高ぶっている。 そもそも、隣の芝生は青く見えるものだ。 私が東京に住んでいながら、東京の繁華街に最近出ていなかったから、そこに対する新鮮さも加わっている。 さらに紅葉の鮮やかさが評価を上乗せしていて、これらが過剰に組み合わさってしまっている。 相手のどの部分を見ても好きだと感じる、といった初期段階の恋愛のように、バランスが壊れた状態のようである。

    私が東京から移住したい理由。RANGER
    soleil266564
    soleil266564 2021/11/29
    コンクリートから脱出して土の上を歩きたい。
  • 「対話」は、なんとなく思ってきた通り、気軽に増やしたり減らしたりできるものではなかった。RANGER

    巷ではどうも「対話」というものが「気軽に増やしたり減らしたりできるもの」のように捉えられているところがある。 「親子の対話を増やしましょう」 「職場内のコミュニケーションを円滑にするために、社員同士の対話を増やしましょう」 「これからも、国民の皆様との対話を重ねて参ります」 私はこういうフレーズを見聞きする度に違和感をもってきた。 「いや、そんなに対話って簡単に取り扱えるものじゃなくね????」という感じに。 要は、感覚的なものだが「対話というものは、気軽に増やしたり減らしたりできるようなものではない」とずーーーっと思ってきたのだ。 コミュニケーションの括りでは同じだが、ただ誰かと話し合う「会話」とは別物。 会話よりも対話は難易度が高い。 ざっくりとだがこんな風に思ってきた。 しかし、この感覚に確信は持てず、対話とはどんなものなのかを誰かに分かるように説明することもできないまま、今まできた

    「対話」は、なんとなく思ってきた通り、気軽に増やしたり減らしたりできるものではなかった。RANGER
    soleil266564
    soleil266564 2021/11/24
    対話をすることは「生き方」の問題である。