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ブックマーク / dora-hikarilibrary.air-nifty.com (25)

  • [図書館]「非正規という事実は変えられないのだから、非正規のまま頑張ろうよ!」はもうウンザリ、でしょ。: DORA-LOG2

    図書館]「非正規という事実は変えられないのだから、非正規のまま頑張ろうよ!」はもうウンザリ、でしょ。 「公務員の司書に言われたくないよ。」と思うかもしれませんが、図書館における非正規に対する自治体の仕打ちは目に余るものがあり、日々心を痛めています。(当ですよ。) 経費削減と言いつつ、便利に臨時職員を使っておきながらいとも簡単に切るという現実は見るも耐え難いものがあります。 とは言え、公務員司書の椅子も少ないながら存在し続けているので、定年などの理由で空いた椅子に座ることも理屈では可能なのですが、現状では、空いた椅子に座る人を募集する方が稀で、多くの場合、お上が空いた椅子を片付けてしまうか、精々良くて、もっと安い椅子に取り換えてしまうかというところでしょうか。 当は、引き続き誰かが使うようにしなければいけない。 そう、例えば私が、不測の事態で居なくなったとするとどうなるでしょうか。

  • DORAの図書館日報: 居場所

    「子どもの居場所」「団塊の世代の居場所」 図書館そのものがこのような「居場所」になる事を決して否定している訳では無いのだけど、居心地のいい場所なら来の機能とは関係無く、何をやっていてもいいかと言うと、それはちょっと違う。単なる「居場所」だけの話であれば、以前あった話で、図書館に酒とつまみを持ち込んで酒盛りしている人がいたが、そんな人も容認しなければいけない。館内の視聴ブースでは、カップルが映画を見ていたらいいムードになって、とてもここでは書けないような行為に及んだ話もあるが、居場所の提供だけならば、これを受け入れるのも容認することになる。まさに無法地帯だ。(ただ、このような行為は「公序良俗に反する」として規則などに明記されているだろう。しかし、仮に条例規則などで明記されていなければ禁止することはできない。) 寧ろ今は、多くの人たちが社会の中での「居場所」を求めてさまよっているのかもしれな

    sugimo2
    sugimo2 2007/02/07
    続きに期待。
  • DORAの図書館日報: 今日から蔵書点検

    今日から4日間、蔵書点検です。 現実の人数体制では、4日間というのはキツイのかもしれませんが、それでも、できるだけ不自由を掛ける時期は短くするという考えの基、2日間で点検入力、残りの2日間で館内整備というスケジュールで進めたいと考えています。 毎年の蔵書点検では、棚の中から図書館を使う人の人間模様を垣間見ることができ、結構楽しいです。例えば、ティーンズ向けのが全然関係無い分類の書架のの後ろ側に大量に隠してあったり、同じくの後ろ側に飴のべカスが沢山捨ててあったり...の後ろにゴミを捨てるのはよくあるのですが、を隠すというのはどういう意図があるのでしょう?後でこっそり持ち帰るつもりだったのか、それとも単なるイタズラか? さて、今年はどんなドラマが待ち受けているのでしょう?

    sugimo2
    sugimo2 2007/02/07
    ボランティア募って人海戦術てのは難しいんでしょうか?昔バイトしてた書店では常勤より棚卸アルバイトの方が自給高い!ということもありました。
  • DORAの図書館日報: 人(司書)への期待

    最終的な目的は、「公共図書館に司書が必要だということが当たり前にする」こと。 でも、考えれば考えるほどに、貸出中心の公共図書館の現状では司書が必要なんて納得のいく説明ができないと思うように...。 doraさんは、この話について、 数ある図書館経営の選択肢の中で、専門職である司書を直接配置して経営する図書館が一番安上がりで効率的だよ、 という確固たる裏付けがあればいいなと思うのですよ。 ところで図書館に対する「人への期待」について、もう一度「空間」と「資料」への期待の部分を整理してみると、まず「空間」を必要として図書館に来る人は、別に人なんか必要としていない、寧ろ煩わしいと考えている人が多いと考えるのだが、どうだろう? 実際には、その「空間」を構成するのは「人」だけど、棚づくりや展示などの部分を見て「やっぱり専門職は必要だ」と言う人がどれだけいるのだろうか。物理的な空間を利用する

  • DORAの図書館日報: 資料への期待

    >> 「空間」として期待されるためには人や資料がまず無ければならないと思うのです。 そうですね。実際にdoraさんが求めているのは「人」への期待をどう導き出すかというところにあります。最終的には「図書館への期待=司書への期待」としたいところですが、現実にはかなり険しい道程です。 だから現実的なところで、図書館の空間構成と資料構成をつくる部分での「人(司書)」の役割をもっと明確に浮き彫りにしよう、というのが今の考えでして...そんな前置きから、今日は「資料への期待」の部分を一席。 結論から言いますと「資料への期待」は殆ど存在しないということ。図書館への資料に対する期待とは、殆どが「物流」に関する期待なんですよね。そもそも高々10万冊や20万冊の資料にどれだけの期待が集まるかって...そんなの火を見るより明らかでしょう。要は資料が期待に応えるためには、空間を使った演出と人による収集と運用の部分

  • DORAの図書館日報: 空間への期待

    図書館への期待...doraさんは最終的には「人」への期待を増幅させることで、図書館への司書絶対的必要論へと導くことを目論んでいます。それは言い換えれば「コストダウンだけのための指定管理者制度導入は断固容認せず」そのためには、いま現場で何をしなければいけないのか、ということです。 その過程において、「空間への期待」というのは当然あるべき要件となります。結局は空間を演出するのは「人」であって、「人」の必要性の認識を生むためには、その「人」がどんな事をしていなければいけないかという所に回帰してくる訳ですから。 そこで、先日残したメモ「空間への期待」についてもう少し考えてみました。 doraさんは、ごく普通の市民が図書館に来るための要件を探る意図から、現在おおよそ期待されていると思われることを列記しました。勿論これは物理的空間としてのイメージです。 ・や新聞雑誌の閲覧できる場所 ・勉強(自

  • DORAの図書館日報: だからと言って質問が来るのを待っていてもレファレンスは成立しない

    要するに貸出の延長上にレファレンスが存在するという論法は、貸出という餌で図書館に人をおびき寄せて、その人たちから質問が出ればお答えしますという事でしょう。 だから、レファ中心とか言って貸出とは関係の無いところで質問を待っていても来るはずがない。 という理屈を某所で聞きましたよ。 「ふーん...」と妙に納得しました(^^;) これまでの考えをまとめると、一般の市民(citizen)が図書館に何を期待するかと言えば、それは精々を借りるぐらいのところ。困った時に相談しようなんて腹を持っているなら、それこそ何処ぞかの法律相談所のように行列が出来てしまいます。 だから、「質問にお答えします(できます)」みたいな看板を掲げているのが今のレファじゃないかと...そう、タダでさえ図書館の機能をTVの平均的視聴率ぐらいしか理解できていない人たちを相手に、そんな地味な看板を掲げていても目に入る訳ないだ

  • DORAの図書館日報: おりがみでおみせやさん

  • DORAの図書館日報: 誕生日特集

    sugimo2
    sugimo2 2007/01/23
    いいかも
  • DORAの図書館日報: いま必要なこと

    それは、「公共図書館の経営を司書の手に取り戻すこと」じゃないですか。 いま、doraさんはそんな目的を達成する手段として、情報発信を活用することを主軸にした話を書いています。 さて、その過程において「課題解決型図書館」を目指す某先生の最近の言説の中の気になった部分があるのですが、それは、 「黙って棚に並べておいたら利用の少ない資料の利用をいかに増やすかで司書は勝負すべき」というものです。 この言葉を聞いて、実際に私たちの図書館の中を再点検してみると、選書、蔵書構築(棚づくり)、そして蔵書の利用までのプロセスにおいて司書の役割が重要であると言う割に、棚に並んでいる資料を利用者が見付け手に取るかどうかは利用者任せになっているような感じがしました。確かに資料を棚からカウンターに持って来るまでのプロセスにおいて、「場所がわからない」「貸出中かどうか調べる」以外で司書を介する割合がどのくらいか

  • DORAの図書館日報: 公共図書館の期待されている部分

    思考メモ。 図書館の情報発信について、新たな原稿を書いていますが、その過程で考えたことをここにメモしておきます。ちょっと大事なことですので、もし思うところがあればご意見をお聞かせくださいね(^^)/ 普通に生活する人の視点で見た場合、図書館のどういう部分に期待するのか?というお話です。ここで、図書館を大きく3つのパートに分けて考えてみます。 ○空間への期待 ・や新聞雑誌の閲覧できる場所 ・勉強(自習)場所 ・暇つぶしの場所 ・居眠りの場所 ・インターネットが使える場所 ○資料への期待 ・ベストセラー ・実用書 ・新聞や雑誌 ・調べるための ○人への期待 ・貸出し手続き ・レファレンス さて、一応想定できそうな回答を書いておきましたが、重要なのは最後の「人への期待」です。現実に目を向けて考えれば、「実は殆ど期待されていない」というのが音だと思います。 それでは、

  • DORAの図書館日報: 都合のいい解釈

    【別冊からの転載】 別の記事を書いていた時にふと思ったこと。 親が子供に対してどういう態度に出るかという話だが、この2つのケースの共通点を考えてみたい。 ケース1 子供が、ほしいゲームがあって、「友達はみんな持っているから買ってほしい」と親にねだる。その時親は、「よその家はよその家、だから買いません。」と突っ撥ねる。 ケース2 子供に月2000円のお小遣いをあげていた親が、同級生の親から「うちは月1000円です。」という話を聞いた。よく聞くと、他の親たちも月1000円だという。そして親は「お友達はみんな月1000円だから、あなたも月1000にしましょう。」と言った。 おわかりかもしれないが、ここでの共通点は「親が自分に都合のいい方に物事を解釈する。」という所。 こんな妙な事例を持ち出して何が言いたいのかといえば、図書館経営においても、このような「都合のいい解釈」が存在するということだ。

  • DORAの図書館日報: 寄贈本のあり方

    今日の他人(ひと)言(2006年10月9日)-寄贈のあり方 >> 住民ら1万冊整理中 安芸市畑山の寄贈図書館 [高知新聞 2006年10月8日] 寄贈による図書館準備、矢祭の事例を含め、これまでに余り例の無い概念だったので最近話題になっているが、これはもしかしたら特別な概念ではないように思える。 例えば通常の図書館準備で10万冊の資料を揃えるという計画を立てるとする。通常は、第1に10万冊分の予算を計上し、第2に現在購入できるのリストなどを出し、そこから10万冊のを選び購入する。という流れでを揃える。つまりこの場合、図書館準備で用意するは購入が前提という訳になる。 ここでの問題点を1つ挙げると、寄贈により充当できる可能性のある資料も購入しているという所にある。doraさんはここで、1冊の同じを揃えるのであれば、購入しても寄贈に依存しても同じ事であると考える。そうであれば、

  • DORAの図書館日報: それでも図書館ができる

  • DORAの図書館日報: 図書館法

    貸出中心、民営化云々と御託を並べる以前に、図書館法第三条を読み返してください。 私たち公共図書館員は地域の人たちが健康で活き活きとした生活ができるように、元気な町づくりのために図書館サービスを通じてサポートしているのではないのですか? 貸出数を増やすことや、施設や設備を誇ることは、私たちの分ではないはずです。 (図書館奉仕) 第三条  図書館は、図書館奉仕のため、土地の事情及び一般公衆の希望にそい、更に学校教育を援助し得るように留意し、おおむね左の各号に掲げる事項の実施に努めなければならない。 一  郷土資料、地方行政資料、美術品、レコード、フイルムの収集にも十分留意して、図書、記録、視覚聴覚教育の資料その他必要な資料(以下「図書館資料」という。)を収集し、一般公衆の利用に供すること。 二  図書館資料の分類排列を適切にし、及びその目録を整備すること。 三  図書館の職員が図書

  • DORAの図書館日報: 矢祭町問題?

    自立を選択した矢祭町の人たちは、図書館を手に入れて、まさにこれから成長していくのだと思います。だから、既存の図書館を照らして見ると確かに心配な部分もありますが、そこで行き成り批判の狼煙を上げることに私は疑問を感じています。 図書館を運営していくうちに、住民からは古だけではない、新しいへの要求など徐々に出て来るのは当然の流れでしょう。だから、そのような課題が浮き彫りになった時に、この手法は良くないと批判するのではなく、私たちは図書館のプロとして心配し助言をし、より良い方向へ導くべきだと思います。 経営としてボランティアやを寄贈する善意にのみ依存するのは危険な部分があるのも承知の上、しかし、彼の町は自立を選択する時に自治体職員に全てを託すのではなく、住民ひとりひとりが力を合わせる、まさに自治の原点に立ち戻った訳ですから。この辺はもう少し見守っていくべきでしょう。 私がここで注目したいの

  • DORAの図書館日報: 図書館の必要性とか

    図書館、というよりも、公共的な事業を個人の感覚だけで必要か不要と論じていたら、必要な公共事業(サービス)なんか1つもなくなっちゃう。 健康で病気なんか絶対しないという自信があれば健康保険なんか要らないと思うし、電車に乗らない人は鉄道なんか必要ないと思う。なんか読まないという人には図書館って無駄なんだろうなーと思う。 でも、図書館のことをもっと根から考えてみれば、コミュニティの中で図書館が欲しいと思う人がお金を出し合って図書館を造るようなことで、そこにあるものを必要ないと言うのじゃなくて、少しでも多くの人が必要と感じるような、そんな施設にしなくちゃいけないのではないのかな。 民営化という論議も、何が問題だって言えば、最初から「民営化ありき」で物事考えているからであって、大切なのは住民がどう考えているかってことでしょう。 今は余り大作を書く程暇ではないので、取り敢えず一言だけ。

  • DORAの図書館日報: 地域に根ざす図書館づくりを進めるために(2)

  • DORAの図書館日報: 図書館が無かったという事実

    今日の他人(ひと)言(2007年1月3日)-図書館が無かったという事実 市町村合併と図書館、合併パターンとして、 ・図書館がある自治体同士の合併 ・図書館がある自治体と無い自治体の合併 ・図書館が無い自治体同士の合併 このような組み合わせがありました。そして合併により、図書館設置率はかなり上昇しました。 ここまでなら、そんな悪い話でもないのですけど、doraさんは合併前の自治体に図書館が無かったという事実は突然変えることができない。という事に若干危惧しております。 つまり、どうして図書館を造らなかったのか?という事をよく考えておきたいのです。図書館が無かった理由はいろいろあります。財政的に困難、要求が上がらない、別な優先課題がある等々...そして合併したからと言って、突然図書館の無かった自治体の職員や住民に図書館の必要性が醸成されるとは到底考えられないのです。 増してや、合併し

  • DORAの図書館日報: 一部の市民の図書館

    今日の他人(ひと)言(2006年12月11日)-一部の市民の図書館 「一部の市民の図書館」 現実を直視しないと、こうなってしまいますよ。(>_ 要するに、世間一般が求めようとする情報など、ちょっと知識があれば簡単に入手することができる。貸出が多いというのも結果として情報をしっかり提供しているという事の顕れにはなるけれど、要領のいい人は図書館なんかでフツーの情報を入手しようなんて思わないし、もし図書館に期待するとしたら市場では入手できない情報の累積の部分ぐらい。 図書館のスピードに我慢できない人は、例えばベストセラーなど、何百人もの予約を待ってまで借りようとは思わないか、複をたくさん用意しろと要求するだけ。 その辺りを考えて、時代の情勢に合わせてサービスの内容を修正しないと、「全ての市民の図書館」にはなれない。これからの図書館像とはそういうものだと理解している。