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ブックマーク / tanken.com (3)

  • 東洋一の星製薬と阿片事件 | 探検コム

    大航海時代、ヨーロッパ人のアジア進出を阻んだ大きな壁が、蚊が媒介する感染症マラリアでした。 南米ペルーに自生するキナという植物がマラリアに効くことは17世紀から知られていましたが、成分を薬にまで精製する技術はありませんでした。 ようやく19世紀の初頭、キニーネというアルカロイド成分の分離に成功、これがマラリアの特効薬となったことを受け、東南アジアの植民地化が進みました。 ペルー原産のキナは、その後、オランダ領ジャワに移植され、20世紀初頭にはジャワ産が世界市場を独占していました。 どうしてペルー原産の植物がジャワ島に移ったかというと、あるイギリス人がペルーの山中でもっとも医薬品に向いたキナ種を探し出し、これをイギリス政府に献上したものの、政府はまったく関心を示さない。そこで、この人物はオランダ政府にこの種を買ってもらったのです。キナの将来性に気づいたオランダ政府が、ジャワに移植し、特産品と

    tano13
    tano13 2020/09/22
  • 最暗黒の東京・下層社会を行く | 探検コム

    「どこに住んでいるのだね」 「四谷の鮫河橋という貧民窟です。今はメクラの男と夫婦になって、小さい子供がゴチャゴチャ5人もいるのです。アンマで暮らしを立てているのです」 「お前に姉さんがいると言ったが、その人はどうしているのかね」 「鮫河橋に一緒にいます。お母さんの手をひくために。そして、今のお父さんの子供と夫婦になっています。車夫ですが、酒のみで、バクチ打ちで、悪党なのね」 (坂口安吾『明治開化安吾捕物 時計館の秘密』) その昔、東京には数多くの貧民窟がありました。代表的なものが3カ所あって、それは下谷万年町(上野駅のそば)、芝新網町(浜松町駅のそば)、四谷鮫ケ橋(赤坂離宮のそば)です。この3カ所は江戸時代から続く大スラムで、明治30年(1897)の調査では、下谷万年町が875戸、芝新網町で532戸、四谷鮫河橋谷町で1370戸の細民長屋がありました。 貧民街に住む人たちはどういう生活をして

  • 日本を破滅させた無能海軍 | 探検コム

    が第2次世界大戦で負けた原因はどこにあるのか? こう聞くと、たいていの日人は「陸軍が悪かった」と答えるのですが、これは当でしょうか? 戦史を丹念に追っていくと、無能で権威主義だった帝国海軍こそが日を敗戦に導いた根的原因だと判断せざるを得ません。しかし、戦後60年以上経った今でも「東京裁判史観」が幅をきかしているわが国では、いつまでたってもそうした見方は支持されないのです。 僕の知り合いだった故佐藤晃さんは、終戦以来ずっと「陸軍悪玉論」に疑問を感じていました。そこで、退職後に戦史研究を始め、その成果を執筆してきました。テーマは一貫して「海軍無能論」です。そこで、その成果の一部を紹介したいと思います。 (当初、ご遺族から全文公開の許可をいただいたのですが、翻意されたので、法的に問題ない範囲での紹介にとどめます) 海軍の誕生と消滅 1867年、明治維新が成立すると、明治新政府は、日

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