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ブックマーク / www.imishin.jp (1)

  • 私たちの知るアイヌの写真を撮った1人のポーランド人:パリでの自殺までの経緯。

    現在目にするアイヌの白黒写真のほとんどは、実は1人のポーランド人男性によって撮影されたものだという事をご存知でしたか。彼の名前は、ブロニスワフ・ピウスツキ。その人生は、時の情勢に大きく翻弄されたものでした。 ブロニスワフ・ピウスツキは、1866年、現在のリトアニアのズウフという村で生まれました。弟は後に新生ポーランド共和国初代国家元首となるユゼフ・ピウスツキです。1886年、ブロニスワフはロシアのサンクトペテルブルク大学の法学部に入学しましたが、翌年の1887年、時のロシア皇帝アレクサンドル3世暗殺計画に関与したことを理由に、シベリアよりもさらに僻地の北樺太へ流刑とされてしまいます。 Wikimedia はじめは刑の一環として大工の仕事に従事させられましたが、高学歴だった彼はすぐに原住民とその文化を調査する�特命を受けます。その傍ら、北樺太の原住民族ニヴフの子供達のために識字学校を設立。ア

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