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歴史に関するtsysobaのブックマーク (1,546)

  • 「俺の歴史的大発見を発表させろ!」地方の博物館に急増する“歴史的新発見おじさん”たち

    ※イメージ画像 歴史ブームも、光あるところに影がある。 若い世代には歴史をテーマにしたあらゆる形態の作品が人気を博したり『応仁の乱』や『観応の擾乱』といった、マニアックなジャンルの歴史書がベストセラーとなる昨今。だが、人気の裏にはさまざまな問題もあった。 「突然やってきて、展示物などに持論を語った上で『自分がやってきた研究成果を発表する機会をつくってほしい』という人が、最近多いんですよね」 そう話すのは、近畿地方にある郷土資料館の職員だ。すでに10年あまり資料館で働いているが、最近になり、リタイアした団塊の世代による独自研究の「持ち込み」が増加しているという。 「ちゃんと、これまでの歴史を学んだ上で新たな視点を提示するような研究なら聞く価値があります。でも、だいたいはトンデモ論。原典になる史料や基文献、学術論文をあたることもなく、一般読者向けの軽めのだけをたくさん読んで『これまでにない

    「俺の歴史的大発見を発表させろ!」地方の博物館に急増する“歴史的新発見おじさん”たち
    tsysoba
    tsysoba 2018/05/28
    各層に一定の割合でこうした方が存在するのであれば、退職後のおじさんが増えれば絶対数も増えるか…
  • 連載「戦争と平和のリアル」第26回 東野利夫「歴史に学ぶ」物語として消費された「九大生体解剖事件」

    1945年5月から6月にかけて九州帝国大学(現九州大学)医学部で、陸軍によって連行されたアメリカ人捕虜8人が、実験手術で死亡した。のちにGHQ(連合国最高司令官総司令部)に厳しく裁かれたこの「九大生体解剖事件」は、遠藤周作の小説「海と毒薬」(1958年)のモチーフにもなった。現場に医学生として居合わせたのは、現在92歳になる医師の東野(とうの)利夫さんだ。一体どんな手術を目撃し、どんな思いを抱いていたのか。話を聞きたくて福岡まで訪ねた。 いくら話しても、戦争のことは次世代に伝わらない 最初に、事件が起きた当時、どう過ごしていたのかを聞こうと思っていた。これまで多くのメディアに出演していらしたのだから、饒舌(じょうぜつ)に話していただけるだろうと考えていた。しかし東野さんは「……それは話しても、いつも全然伝わらない」と語り始めた。 「あの時代は日人であれ外国人であれ、もう当に良心のかけら

    連載「戦争と平和のリアル」第26回 東野利夫「歴史に学ぶ」物語として消費された「九大生体解剖事件」
    tsysoba
    tsysoba 2018/05/23
    アメフトでの事件のような状況が、戦争においてはより徹底した形で生じることがよくわかる。
  • 『会って笑えば恨みも消える』

    「荒波を渡り尽くせば兄弟あり、相逢うて一笑恩讐ほろぶ」 魯迅の「三義塔に題す」という詩の一節である。「避けられない災難や苦労を乗り越えてこそ真の友愛が生まれるのである。たとえお互い憎みあっていても、私たちはもとより兄弟である。実際に会ってにっこり笑えば即座に長年の恨みも消えてしまうであろう。」というような意味である。「三義塔」は現在も私の田舎の近く、大阪府豊中市にある。先の一節は魯迅が一人の日人に送った詩の一部。日人の名は西村真琴という。 西村真琴博士は、北海道でマリモの研究をする植物学者であった。49歳の時、中国北方で満州事変が、翌年には上海事変が起こる。そんな時代の学者である。西村教授は多くの中国民間人が死傷したことを知るや、医療援助団を組織し中国に渡り、医療援助活動を展開する。帰国時、上海三義で傷ついて飛べなくなった鳩を見つけ日に連れ帰った。彼は鳩の傷が癒えるのを待ち中国に返そ

    『会って笑えば恨みも消える』
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    tsysoba 2018/04/27
    魯迅が日本人(西村真琴)に贈った詩を、南北会談を評する言葉として選んだとは。ハイコンテクスト…
  • 街頭をゆく 田中泰延 橿原市紀行(1) - 橿原神宮編|奈良新聞デジタル

    「紐帯は、相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ」…この言葉はスポーツ大会の選手宣誓でしょうか。それとも結婚式のスピーチ? 『街頭をゆく』…のっけからどこかで見たような題名で始まりました。ですが、親しみのある名前というのはだいじですね。そもそも、司馬遼太郎先生の名前自体、どこかで見たような名前、つまり偉大な歴史著述家、司馬遷の名前をもじっているのです。 「司馬遷には遼かに遠く及ばないが、太郎の国、日歴史を語る者」というのが「司馬遼太郎」というペンネームの由来というのは有名です。そんなふたりの偉大な司馬さんに対し、私など「遼司馬遼三郎」と名乗りたいぐらいなのですが、自分の名前で書かせていただきます。 はじめまして。田中泰延(たなかひろのぶ)と申します。今回、奈良新聞社と橿原市からのお誘いで、丸一日、橿原市のさまざまな魅力を教えてもらい、いろいろ見て回って考えるという機会をいただきました。全3回

    街頭をゆく 田中泰延 橿原市紀行(1) - 橿原神宮編|奈良新聞デジタル
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    tsysoba 2018/04/26
    さりげに橿原市が皇紀復活させてる上に、橿原神宮の政治性が見事に脱臭されてて驚愕。橿原神宮の面白さは近代的な観光開発と宗教と政治の絡み合いだと思うので、どうも物足りない…
  • なぜ新潟や石川が「人口日本一」だったのか? 都道府県の人口推移から見る、日本近代化の歴史 (1/4) - ねとらぼ

    はじめに 日の人口は2017年10月1日時点で1億2670万人ほど。都道府県の人口1位はもちろん東京都で、1372.4万人。最下位となる47位は鳥取県で、56.5万人。その差は約24倍にもなります。 現在ではあまりにも当たり前の東京の人口1位。しかし、かつては東京が人口1位ではなかった時代が続いたことは、あまり知られていません。 現在は東京が1372万人、ぶっちぎり 逆に人口ワーストは山陰と四国、北陸の県。 元来日はここまで東京一極集中ではなく、その地方に応じた産業が活発で、今より地方が元気な時代がありました。 人口の統計がはじまった1872年から見てみると、実は東京ではなく、意外な都道府県がトップに立っていることが分かります。そんな思わぬ再発見の多い「歴代人口ランキング」(※)を見ていきましょう。 ※:採用する人口データは、1872~83年までは籍人口。1884~1907年までは乙

    なぜ新潟や石川が「人口日本一」だったのか? 都道府県の人口推移から見る、日本近代化の歴史 (1/4) - ねとらぼ
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    tsysoba 2018/04/24
    府県合併の影響が大きいとはいえ、それでも地域や時代の特色が出るんだなあ。
  • (書評)『満州天理村「生琉里」の記憶 天理教と七三一部隊』 エィミー・ツジモト〈著〉:朝日新聞デジタル

    ■証言が問いかける、宗教と個人 奈良の天理市に拠点を持つ天理教は戦前、旧満州に開拓団を送り込んだ。他の開拓団でもよく聞くように、満州人の家屋と畑をわずかな金で手放させ、そこに天理教の人々が移り住んだ。その村と日軍の七三一部隊が隣接していたという。細菌戦研究のために人体実験を行っていた悪名高い部…

    (書評)『満州天理村「生琉里」の記憶 天理教と七三一部隊』 エィミー・ツジモト〈著〉:朝日新聞デジタル
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    tsysoba 2018/04/07
    書評出たか。
  • 歴史学者廃業記 歴史喪失の時代(與那覇潤) - 個人 - Yahoo!ニュース

    大学で歴史の教員をしていた際に開設した「史論家練習帳」を、この原稿をもって閉じることにしました。まずは長年更新できなかったことでご心配をおかけした(かもしれない)読者のみなさま、また稿の掲載にあたって懇切なサポートをいただいたYahoo!ニュース個人のスタッフのみなさまに、ふかくお詫び申し上げます。 昨秋に、開設時の勤務先を離職しましたので、職業的な意味での「歴史学者」を廃業しているのは自明のことです。それにいたる経緯は、日刊行となる『知性は死なない 平成のをこえて』(文藝春秋)にまとめたので、ご関心のある方はそちらをご参照いただくとして、最後にこの場をお借りして、より質的な意味での、私にとっての「歴史」の喪失について記したいと思います。 歴史を語らなくなった識者たち歴史学者という肩書で、雑誌に連載を持たせていただいたとき(2012年)、初回の一行目に「歴史というものは、人間の社会

    歴史学者廃業記 歴史喪失の時代(與那覇潤) - 個人 - Yahoo!ニュース
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    tsysoba 2018/04/06
    新著を読んでないので大間違いかもしれないし、本人的には素直な別れの言葉なのかもしれないけど、「歴史学者」に対する檄文として読んだ。
  • 自衛隊「必要最小限」の概念はいつできた?国際政治学者が経緯を検証(篠田 英朗) @gendai_biz

    憲法改正に向けて議論が進んでいる。自民党は9条に関して「2項維持」「自衛隊明記」とする案を取りまとめた。そして、「必要最小限の実力組織」という文言は削除される。「必要最小限」という概念は一体いつ登場したのか? 国際政治学者の立場から憲法解釈の混乱や誤解を解いてきた篠田英朗氏が、その知られざる歴史を検証する。 「必要最小限」は政局がらみの産物 自民党の憲法改正推進部が、「必要最小限の実力組織」という表現を取り除いて、9条改憲案をまとめる方針を固めた。 私はそれをとても良い動きだと考えている。「必要最小限の実力」が、非常に曖昧で、長い間、混乱を招いてきた概念だからだ。 【自民党の憲法改正推進部の改正案(3月22日時点)】 9条の2 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣

    自衛隊「必要最小限」の概念はいつできた?国際政治学者が経緯を検証(篠田 英朗) @gendai_biz
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    tsysoba 2018/04/02
    会議録 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/022/0388/02206160388023.pdf 読むと「必要最小限」に関する論点は核と爆撃機のようにも見えるがそこはスルーか…
  • (近代を問い直す 明治維新150年)国策に尽くした「日本史」 欧米と並ぶ国つくるために:朝日新聞デジタル

    明治時代半ば以降120年以上、日々「日史」が編まれている場所がある。 東京大学郷キャンパスの赤門をくぐり、すぐ左側にある東京大学史料編纂(へんさん)所だ。古代~近世が専門の研究者約50人が籍を置く。 「1901年に刊行が始まった、古文書や日記を年代ごとに整理した史料集『大日史料』の編纂が…

    (近代を問い直す 明治維新150年)国策に尽くした「日本史」 欧米と並ぶ国つくるために:朝日新聞デジタル
  • 上海で戦中発行「幻の雑誌」発見 井伏鱒二ら未発表小説:朝日新聞デジタル

    太平洋戦争末期、国際都市だった中国上海で発行された日語雑誌があった。これまで「幻の雑誌」とされてきたが、最近、北京などで実物がみつかり、その内容が明らかになった。小説「黒い雨」で知られる井伏鱒二(いぶせますじ)ら著名作家たちが未発表の小説や随筆を掲載しており、終戦直前の海外での日メディアの実像に迫る発見として注目される。 月刊誌「大陸」中国歴史紹介 みつかった雑誌は、月刊誌「大陸」(B5判48ページ、2色刷り)。国会図書館などの日の公共図書館で所在が確認できなかったが、秦剛(しんごう)・北京外国語大学教授(日近代文学)が昨夏、北京の中国国家図書館で、1944年11月の創刊号から45年5月号まで5冊分をまとめた合(45年3、4月号は欠)を発見。さらに木田隆文・奈良大学准教授(日近代文学)も別のルートで45年3月号を入手し、2人分合わせて計6冊の存在が明らかになった。 秦さんに

    上海で戦中発行「幻の雑誌」発見 井伏鱒二ら未発表小説:朝日新聞デジタル
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    tsysoba 2018/03/26
    「日本大使館調査室資料之印」が表紙にあり。「内容カード記入済」印も気になる。
  • 『ウルティマ オンライン』MMORPGの元祖がもたらした、多数の発明とは? “ロード・ブリティッシュ”らが明かす開発秘話【GDC 2018】 - ファミ通.com

    アメリカ・サンフランシスコで実施されたゲーム開発者向けカンファレンス“GDC 2018”最終日、同作を手掛けた4人のクリエイターによるセッション“Classic Game Postmortem: 'Ultima Online'”が行われた。登壇したのは、プロデューサーであり、ゲーム内の“ロード・ブリティッシュ”でもあったリチャード・ギャリオット氏、ディレクターを務めたスター・ロング氏、リードデザイナーを務めたラフ・コスター氏、アソシエイトプロデューサーを務めたリッチ・ヴォーゲル氏だ。 『ウルティマ オンライン』が生み出した画期的な仕様や、サービス開始前/開始後の苦労、ゲーム内で起こった驚くべき事件などについて語られたセッションを、詳しくリポートしていこう。

    『ウルティマ オンライン』MMORPGの元祖がもたらした、多数の発明とは? “ロード・ブリティッシュ”らが明かす開発秘話【GDC 2018】 - ファミ通.com
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    tsysoba 2018/03/26
    「もはやゲーム運営は都市運営と変わらなくなり、実際にチームメンバーは政治の関係書籍を読み始めた」。なるほど…
  • 10万人死亡「東京大空襲」の翌朝、政府が何と言ったかご存じですか(大前 治) @gendai_biz

    頻発する空襲を経てもなお「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」と言い続けた日政府(前回記事を参照)。この方針は、一挙に大規模となった東京大空襲の被害を目の当たりにしても、変更されなかった。 一度始まった政府方針は、簡単には修正されない。それでも、当時の政府方針に立ち向かおうとした議員がいた。その渾身の言葉に耳を傾けて、いま私たちはどう生きるべきか考える糧にしたい。 10万人が死亡しても「空襲を恐れるな」 1945年(昭和20年)3月10日の深夜0時08分、約300機のB29爆撃機が東京上空に飛来し、約2時間で33万発以上の焼夷弾を投下した。「東京大空襲」である。 現在の江東区・墨田区・台東区を中心に、千代田区や江戸川区も含む広範囲が焼け野原となった。一夜で10万人が死亡し、罹災家屋は27万戸にのぼった。 この大惨事を受けて、さすがの日政府も「逃げずに火を消せ」の方針を変更するかと思いきや

    10万人死亡「東京大空襲」の翌朝、政府が何と言ったかご存じですか(大前 治) @gendai_biz
  • いま明かされる、戦中日本軍の「あまりに愚かな」逸話の数々(井上寿一×鴻上尚史) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

    2017年11月に同時刊行した講談社現代新書、井上寿一『戦争調査会 幻の政府文書を読み解く』と鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』。 多くの人に知られていない文書に光をあてた前著は7刷、後著は10刷と版を重ねています。10万部を突破した『不死身の特攻兵』では、「必ず死んでこい!」と命令されながら、9回生還した特攻兵に迫り、合理性を欠いた日軍について考察しました。 敗戦へと突き進んでしまったのは何故だったのか。今回は、著者お二人が、太平洋戦争当時の日のあり方や、歴史を語り継ぐ意義について対談しました。 日人自らの手で戦争を検証する 鴻上: 井上先生が今回の著作のテーマに選んだ「戦争調査会」は、終戦間もない頃、幣原喜重郎首相の強い意向によって、日が敗戦に至った理由を調査するために設置された機関なんですね。 井上: ええ、東京裁判が連合国による戦争責任追及の場であったと

    いま明かされる、戦中日本軍の「あまりに愚かな」逸話の数々(井上寿一×鴻上尚史) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
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    tsysoba 2018/03/03
    合理性より組織や個人の体面が判断基準となる愚が身にしみる。末尾の何故新書という媒体を選択するのかという話も重い。
  • 360年続く出版社を訪ねて 〜後編〜 - HONZ

    360年続く稀有で貴重な出版社に乗り込んだHONZ! 大火に見舞われながらも続いてきた版元、その名は「檜書店」。能の謡を出し続けてきた。江戸時代の大、大、大ベストセラーとなった「謡」とはどんなものなのか。檜書店の内部にさらに迫ってみよう。久しぶりの出版社訪問レビューは続く。(※前編はこちら) ここで、実際に謡を見せてもらうことにしよう。 檜 これです。『高砂』の謡と小謡です。こういった和綴じを今も使っているのは、仏教関係や、邦楽関連、そして、能の謡くらいだと思います。 H 確かにそうですね。印刷をした和紙を束ねて、右側の部分を糸で手作業で綴る、というものですね。美しいですね。この表紙のマークは……? 檜 これは「観世千鳥」といって、観世大夫が将軍から拝領された、能の面を入れる「面箱」にあった模様です。 H 薄い布が、背の部分についていますね。 檜 「角裂れ」と呼び、の補強の

    360年続く出版社を訪ねて 〜後編〜 - HONZ
  • 360年続く出版社を訪ねて 〜前編〜 - HONZ

    の出版社の数は3370社もあるそうだ。数は最近減ってはいるものの、それでもまだまだ世界的に見れば、出版活動が盛んな国だと言えるだろう。そんな出版社の中で一番古いのはどこか? と言われれば諸説あるのだけれど、360年続くという出版社が東京にあり、しかも書店を開いている! と聞き及び、これは行かねばなるまいぞ。ということで、今回は久しぶりの出版社訪問レビューだ。前後2回、よろしく~。 さてさて、やってきたのは東京、都営新宿線の小川町の駅からすぐのこちら。御茶ノ水や神保町の駅からも歩いていける便利な場所だ。

    360年続く出版社を訪ねて 〜前編〜 - HONZ
  • 松前藩最古のアイヌ宛文書 ロシアの図書館で発見 - 産経ニュース

    江戸時代の1778(安永7)年に、当時の松前藩が北海道東部のアイヌ民族の有力者に宛てた文書がロシア・サンクトペテルブルクの国立図書館に保存されているのを東京大史料編纂所などの研究チームが発見した。松前藩がアイヌに送った文書としては最古の原とみられ、松前藩のアイヌ政策を知る上で貴重な史料となる。 文書は松前藩の「蝦夷地奉行」が「ノッカマップ」(現在の北海道根室市)のアイヌ有力者ションコに宛てたもの。内容は(1)けんか・口論の禁止(2)アイヌと和人が交易で使う小屋の火の元の用心(3)和人の漂流船への救助、対応の規定(4)和人の漂流民を和人が滞在する場所まで送り届ける指示-の4項目から成り、これらを守らなかった場合は処罰するとしている。 共同研究者の北海道博物館(札幌市)の東俊佑学芸主査によると、文書は2016年10月に図書館で日関連の史料を閲覧中に偶然、発見した。(共同)

    松前藩最古のアイヌ宛文書 ロシアの図書館で発見 - 産経ニュース
  • <訪問>「日本軍兵士」を書いた 吉田裕(よしだ・ゆたか)さん:どうしん電子版(北海道新聞)

  • アイヌ同化策に加担、教団の歴史直視 東本願寺で資料展示 : 京都新聞

    真宗大谷派とアイヌの人々に関する資料が並ぶ会場(京都市下京区・東願寺) 京都市下京区の真宗大谷派山・東願寺にある参拝接待所ギャラリーで、同派とアイヌ民族との歴史を振り返る展示が行われている。明治政府のアイヌ同化政策に加担した宗派の過去を直視する内容となっている。 同派は明治以降、国の意向を受け北海道開拓に乗りだし、アイヌの人々に布教した。会場では、当時の同派の北海道やアイヌに対する考え方がにじむ文書や絵が並ぶ。 明治2(1869)年、同派が政府に提出した「開拓出願書」のパネルには、アイヌを「土人」と記載。さらに「異教に流れる恐れがある」とし、開教や開拓を正当化している。 布教の様子を描いた「現如上人北海道開拓錦絵」(全19点)の3点も展示した。うちの1点には、屋外の地面にアイヌの人々を座らせ、座敷の上から「南無阿弥陀仏」と書いた「六字名号」を渡す光景が描かれ、当時の教団の差別的な態度

  • インパール作戦、火野葦平が克明に記録 現地の暮らしも:朝日新聞デジタル

    「麦と兵隊」「花と龍」などの小説で知られる作家火野葦平(あしへい)(1906~60)が残した「インパール作戦従軍記」が出版された。原は1944年、陸軍報道班員としてつづった「従軍手帖(てちょう)」。兵隊の側から克明に戦場を記録した作家の観察眼は、多くの犠牲者を出して大敗した旧日軍の無謀さを浮かび上がらせる。火野が亡くなって24日で58年となる。 火野は現在の北九州市若松区出身。名は玉井勝則。召集されて中国にいた38年、「糞尿譚(ふんにょうたん)」で芥川賞を受けたのを機に陸軍報道部に転じた。 多くの作戦に従軍し、その様子を手帖に書き続けた。戦場の実態や兵隊の様子に加え、現地の暮らしや自然などにも着目。日誌やメモ風の記述を細かな字で絵も交えて詳細に記した。20冊を超える手帖は現在、遺族が北九州市立文学館に寄託。このうち、インパール作戦は6冊に及ぶ。 インパール作戦は、連合国軍の補給路を遮

    インパール作戦、火野葦平が克明に記録 現地の暮らしも:朝日新聞デジタル
  • なぜマンガは新書判が多いのか? 〜コミックスの判型の流行と変遷〜

    無知で無防備な私のひと言から始まったやりとりが、日のマンガ研究の泰斗たちによってみるみると充実していった様をまとめてみました。改めて見るとほとんどのツイートが私へのリプライでもったいない! マンガ研究の一助になればこれ幸いです。だいぶ長くなってきたのでつまみ読み推奨。

    なぜマンガは新書判が多いのか? 〜コミックスの判型の流行と変遷〜
    tsysoba
    tsysoba 2018/01/15
    新書以外の判型についても言及あり。書店のマンガ棚がどう構成されていたかも関わってきそう。