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Okinawaに関するume-yのブックマーク (66)

  • 朝日社説 米兵少女暴行―沖縄の我慢も限界だ : asahi.com:朝日新聞社説 - finalventの日記

    これ社説で扱ったか。今回の事件だが、やはり現地にいないせいか、どうもディテールがわからない。広義に基地被害としてもいいのだが、犯罪が確定していないふうにも見える現状、この個別の問題への言及は控えたい。 思い出されるのは、95年に起きた米海兵隊員3人による少女暴行事件である。この事件をきっかけに米兵による犯罪や事故に対する県民の怒りが大きなうねりとなり、抗議の県民集会には8万5千人が結集した。 このとき私は沖縄に暮らしていて、事件後数日でこの事件を知った。タイムスも新報も報道したがそれほど大きな扱いではなかったかと思う。ただ、連日報道し続けたので経緯を見ていた。その間、私は土大手紙の情報もワッチしていたのだが、当初時事に流れただけで、その後、二週間くらい空白があった。その空白があまりに奇妙だったので、こういう事件があるというのをパソコン通信に書いたり、知人とも話をしたりした。沖縄の知人とも

    朝日社説 米兵少女暴行―沖縄の我慢も限界だ : asahi.com:朝日新聞社説 - finalventの日記
    ume-y
    ume-y 2008/02/13
    「もしかすると神が存在して、私がすがりつこうとした死の勝利のようなものを打ち砕かれたのかもしれない。私は生きたいと思うようになったのだから」
  • どうでもいいけど、ペリー来航 - finalventの日記

    はてなブックマーク - 幕末、ペリーが浦賀にきましたが、その際に彼が乗ってきたものは何だったでしょうか - はてなスター大喜利(β) 大喜利は関心ないんだけど。 ⇒黒船来航 - Wikipedia 琉球来航 上海で巡洋艦「サスケハナ(サスクェハンナ)」に旗艦を移したペリー艦隊は5月17日に出航し、5月26日に琉球王国(薩摩藩影響下にある)の那覇沖に停泊して、首里城への訪問を打診したが、王国側はこれを拒否した。しかし、ペリーはこれを無視して、武装した兵員を率いて上陸し、市内を行進しながら首里城まで進軍した。王国は仕方なく、武具の持込と兵の入城だけは拒否するとして、ペリーは武装解除した士官数名と共に入城した。ペリー一行は北殿で茶と菓子程度でもてなされ、開国を促す大統領親書を手渡した。さらに場所を城外の大美御殿に移し、酒と料理でもてなされた。ペリーは感謝して、返礼に王国高官を「サスクェハンナ」

    どうでもいいけど、ペリー来航 - finalventの日記
  • 朝日社説 集団自決検定―教科書会社は筋を通せ説 - finalventの日記

    おや?と思った。今日も共産党大会の話題がない。これはなんかあるな。なんだろ。大筋で朝日は上海閥の鼻息フンっがなければ傍観的暢気な胡耀邦シンパだろうと思うのでその流れでなんとなく親胡錦濤系だろう。現状の流れでいうと上海閥掃討みたいなことは不可能っぽいし。 で、煙幕社説は何の話題か? と読むと、どうでもいいや、こんなの。私は文科省イラネだし。というのと、朝日のこの社説に顕著なんだけど、実は史実に関心ないのな。それと何が問題かを明確にしない。「日軍に強いられた」のは否定できるわけでもない。それが問題なのかとすればほぼナンセンス(否定できるわけないのだから)、それとも問題は日軍が軍の指揮系として住民を軍に組織化して自殺を命じたかということかというと、そのあたりはボケている。というか、大筋で「日軍に強いられた」のは否定できるわけでもないのだから、その指揮系の問題をどう評価するか。そしてその史実

    朝日社説 集団自決検定―教科書会社は筋を通せ説 - finalventの日記
    ume-y
    ume-y 2007/10/17
    "なにより、実際の戦死者の個別の状況の解明やいまだにガマに眠る住民の遺骨収集などを進めて記録していただきたい、というか、それを事実上放置しているに近い状況では沖縄戦の史実の解明が進んでいるとは思えない"
  • finalventの日記 - 朝日社説 小田実氏死去—市民参加の道を示した

    おやおや朝日新聞が社説で。そういうものかと読む。ベ平連の話から「その後」でイラク戦争が接合されている文章というのは珍妙なものだなと思った。文革もポルポトもない戦後左翼の歴史か。 こうした市民運動のやり方は、さまざまな住民運動のほか、のちの非営利組織(NPO)や非政府組織(NGO)の活動にも影響を与えた。その原点をたどれば、組織よりも個人の自由な発想を大事にする小田さんの個性があった。 小田さんはその後も、阪神大震災の被災者救援や、憲法を守る「九条の会」などで、いつも社会にかかわっていくという姿勢を貫いてきた。 いま、イラク戦争に反対する声が世界に満ち、反戦デモもあちこちで見られるが、日では大勢の人々が加わる反戦デモは影をひそめた。ベ平連が活発に動いていた時代の熱気は失われた。 沖縄で暮らしながら私は私なりにベトナム戦争の傷跡を探った。沖縄はベトナム戦争の当事者に巻き込まれていた。内地人に

    finalventの日記 - 朝日社説 小田実氏死去—市民参加の道を示した
    ume-y
    ume-y 2007/07/31
    「だがそのなかで生きて行かなくてはならない人間は反戦活動をするのではなく、恋をしたりロックを歌う」
  • 沖縄本土復帰記念日: 極東ブログ

    今日は沖縄土復帰記念日だが何十周年という節目でもないせいか、大手新聞でも社説で触れるところがなかった。社説執筆者が単に失念していただけのことかもしれないし、こんなのネタにならないよ、と見なされたのかもしれない。どっちだろうか。私も、なぜかこの話題に今日触れたいとも思わないのだが、昨日の琉球新報の記事を読んでしばし天を仰いだ。 記事は”「核密約」遺書でわびる 密使として関与の故・若泉敬氏”(参照)だ。標題を見て推測がつく人も多いだろう。 著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」の中で沖縄返還交渉において、自らが佐藤栄作首相=当時=の密使として核持ち込み密約にかかわったことを告白した元京都産業大学教授・若泉敬氏(1996年死去=享年66歳)の遺書の写しがこのほど、関係者の手により明らかになった。遺書は1994年6月23日の日付で、県民と、当時の大田昌秀県知事(現参院議員)あて。この中では、核持ち込

  • [書評]沖縄ダークサイド: 極東ブログ

    宝島のムックで「別宝Real 沖縄ダークサイド」(参照)が出たのは二〇〇四年七月。沖縄で八年暮らしていた私としてはふーんという感じではあった。企画倒れということはないし、こういうがあるのはどっちかというといいことなんだが、ちと取材が甘いな薄いなという感じはした。執筆陣が微妙というのもあるし、書けないことも多いのだろう。 沖縄の日差しは強く影も濃い。ダークサイドっつうなら「ランタナの花の咲く頃に(長堂英吉)」(参照)の世界や、一見ダークには見えないけど沖縄の言論界みたいのからから事実上シカトされているような「美麗島まで(与那原恵)」(参照)に描かれている人脈なども別の視点から描けないとか……しかしそんな話ではナイチ受けはしないか。 このムックもこれで終わりかと思っていたら、二年後文庫で「沖縄ダークサイド」(参照)が出たのだが、帯はこうある。 LD関連事件 野口英昭氏はなぜ沖縄で死なねばな