1988年8月15日/LP/キティレコード 東芝EMIで発売中止になり、世間を巻き込んでの大問題となったアルバム。 当時、ソ連(現ロシア)のチェルノブイリ原子力発電所で放射能漏れ事故があり、原子力行政に対する不安が叫ばれていた。 清志郎としてはそれを含め、政治、戦争、テロリズムなど社会を脅かしている物事に対して、過去の名曲のカバー(替え歌)でプロテストソングを作り、自分なりの意見を発表したかっただけだったのだろう。 それがレコード会社からちゃんとした理由の説明がないまま、突然発売中止となってしまう。新聞には「すばらしすぎて発売できません」という冗談とも皮肉ともわからない東芝EMIからのおわび広告が掲載された。 理由は今もって不明だが、原発製造をも手掛ける親会社の東芝からの圧力、もしくはそれを恐れた東芝EMIの自主規制ではないかと言われている。 清志郎はそれによって一躍「反原発ロック」の時の