走れメロスもつまらなかったな。 文学に親しむって学習テーマだったそうな。 太宰の中でもなんでメロスなのか。 どうせ誰でも高校大学あたりで太宰にかぶれるんだし、なにも中学生で取り上げなくても。 メロスって、ホモっぽいエンディングしか思い出せない。 メロス「わたしを殴れ!結婚式の二次会で女の子に囲まれて調子にのって、酒飲んで寝た!」 セリヌンティウス「わたしを殴れ!君を疑った!」 王様「わたしも混ぜてくれないか?」 一同「アッー!」 って話だよね?
走れメロスもつまらなかったな。 文学に親しむって学習テーマだったそうな。 太宰の中でもなんでメロスなのか。 どうせ誰でも高校大学あたりで太宰にかぶれるんだし、なにも中学生で取り上げなくても。 メロスって、ホモっぽいエンディングしか思い出せない。 メロス「わたしを殴れ!結婚式の二次会で女の子に囲まれて調子にのって、酒飲んで寝た!」 セリヌンティウス「わたしを殴れ!君を疑った!」 王様「わたしも混ぜてくれないか?」 一同「アッー!」 って話だよね?
字がものすごく汚い。いわゆるミミズの這ったような字を地でいく感じで実に字が汚く、いみじくも「じ」の多い一文になったことを心より恥じる。財前五郎。 字が汚いと自分の書いた字を見るのが嫌になるので書くこと自体が嫌いになる。なので僕は手書きで字を書くのが本当に嫌いだ。タイプライターに端を発する今もこうしてカタカタ叩いているような入力装置がこの世に存在しなかったら、僕が人生の中で書いた言葉の量は大袈裟な話じゃなく今の1万分の1くらいだったんじゃないかなと思う。 字を書くのが嫌いだったのは昔からのことだったようで、思い返せば漢字の書き取りドリルみたいなのが小学生の時にあったと思うんだけど、あれがもう苦痛で苦痛で仕方なかった。手は疲れるし時間は無くなるしでどうにも憎たらしかった。 そこで当時の僕は最も効率的にラクをするためにどうしてやろうかと考えた結果、漢字を分解することで単純作業の単純度を更に引き上
1: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2014/07/14(月) 19:36:45.25 ID:K+Rfy5c50.net
どうやら、そうでも無いらしい。 これは私にとって驚きの発見だった。 もし「白紙に近い答案=バカ」が成立しないのであれば、 そもそも記述式テストというものは成り立たないのではないか。 より正確に言うと、 ・充実した答案 => 知識を持ち合わせている は正しい。しかし、この逆である、 ・スカスカの答案 => 知識を持ち合わせていない は、必ずしも真ではない。 なので、記述式テストというものは半分までしか成立しない。 これを当然だと思う人と、発見だと思う人がいる。 私は後者であった。なぜかと言うと、 「知識を持っていれば、それを紙の上に落とせるのは当然」 と思っていたからである。 縁あって、私はテストを作って、採点する立場にある。 掛け持ちの非常勤ではあるが、とにかく先生と呼ばれるものの端くれである。 その記述式のテストやレポートで、時折、ほんの少ししか書かれていない答案を見かける。 わずか2〜
小学校の国語の教科書では定番の童話「ごんぎつね」。この物語に対する1人の小学生の感想が、2ちゃんねるのスレッド「姪っ子のごんぎつねの感想が問題になっているんだが……」で議論を呼んでいます。 覚えていない方のために簡単にあらすじをご紹介。いたずら好きなきつねのごんは、ある日兵十が病気の母親のために用意したウナギをわざと逃がしてしまいます。ところが、その後母を失って落ち込む兵十を見てごんは反省、償いのために魚や栗を兵十の家に届けはじめます。しかし、そうとは知らない兵十はごんがまたいたずらをしにきたのだと勘違いし、ごんを火縄銃で撃ってしまう。そこではじめてごんが食べ物を運んでくれていたことに気付くというお話です。 多くの子供は「ごんがかわいそう」という感想を持ったようですが、投稿者の姪は「やったことの報いは必ず受けるもの」「こそこそした罪滅ぼしは身勝手で自己満足でしかない、(兵十はごんの反省を知
思い切って、リベラルアーツでいうところの、文法学・修辞学・論理学をやったらどうだろうか。 文法学まず、文法学。 現在の国語の授業における文法論は特殊だ。 一応、中学で現代文の文法を、高校で古典の文法をならったけど、あれ意味がないように思う。 辞書と文法書さえ手にすれば、ドイツ語だってフランス語だって、素人でもなんとか作文はできるけど、その逆にアメリカ人に中学日本語の文法書と日本語の辞書を与えて作文が出来るとは思えない。 江戸時代の学者が、平安時代の文章を解釈するために成立させた学問がベースになっているためだろうけど。 思いっきり刷新したほうがいいと思う。 言語学的な内容も盛り込みつつ、日本語学校で教えるような実際に即した日本語教育というのが着地点かと。 修辞学ディベートとプレゼンを国語の枠で教えたほうがいい。 というか、なんで義務教育で今までなかったのか。 論理学国語教育に「論理的に考える
高知での一場面。田舎の駅の跨線橋の階段を、女子中学生同士が手を繋いで降りてくる。また腕を組んで駆け登っていく。大学近くの線路を渡ったところにある神社では、学生たちかデートをする光景もあり、のどかだ。地域文字はないか、と探すのは卑しい感じがしないでもない、自然に眼に入ってくるのを待つのだ。 「葛島」だ。歩き回っているうちに自然に着いた。空港からのバスの中からも見ていた所まで来てしまった。この「葛」は、ときどき字体に問題ありとして扱われる字で、教え子もこの字を丹念に観察して修士論文を仕上げた。皆さんのパソコン画面では、この字は、どういう字体で見えているだろうか。高知のその地名では、 かづら かずら と、仮名遣いも揺れているが、字体が気に掛かる。 「島」と、明朝かゴシック体で看板にあった。ほかに、 「島」と明朝体。 「島」と筆字とゴシック体。この手書き用とデザイン用の両方の書体が、互いに似てくる
うめぇヨーグルトソースでもいかがですか。個人差にもよりますが。もしよろしければ。 お久しぶりです。 最近うんめぇ〜と思ってるヨーグルトソースがあるので、書いていこうと思います。 ヨーグルトとハーブ類をもりもり使うので、そういうのが食べられない方にはうんめぇソースではないです。ごめんなさい…。もしよろしければお茶だけも…旦~ 【用意する…
2011年02月26日 ➥ 東大合格を激増させた灘校伝説の教師の授業は文庫本1冊読むだけ 123 comments ツイート 1:ハギー(愛知県)[]:2011/02/25(金) 18:29:03.10 ID:L3V9rO/90●?PLT(12000)ポイント特典 文庫本1冊を3年間かけて読み込む授業を行なう伝説の国語教師がいた。 生涯心の糧となるような教材で授業がしたい、 その思いは公立校の滑り止めに過ぎなかった灘校を、 全国一の進学校に導き、数多のリーダーを生み出すことになった――。 教師は、文庫本の一節を朗読すると、柔らかな笑顔を浮かべ紙袋を取り出した。 生徒たちは、今日は何が出てくるのか、と目を輝かせる。 出てきたのは赤や青、色とりどりの駄菓子だった。 教師は、配り終わると教室を制するようにいった。 「もういっぺんこの部分を読みます。食べながらでいいので聞いてください」 読み上げた
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