生野の街から鉱山跡までは思ったより遠いな。ここか、立派な門柱があって、駐車場も綺麗に整備されてる。まずは坑道巡りをやってからミュージアムに。生野鉱山って歴史もムチャクチャ古くて、 「大同二年に開坑ってなっとるけど、本格的に採掘が始まったのは天文十一年からで良さそうや」 元号で言うな。わかんないじゃないの。大同二年は八〇七年だから平安時代が始まった頃で、天文十一年は一五四二年だから戦国時代の初期ぐらいかな。初期の産出量はえっと、えっと、 「天文十一年から天和二年の一四一年間で六百三十六トンだから年平均で四・五トンぐらいだよ」 天和年間って将軍綱吉の時代になるそうだけど、そこから幕末の安政年間までの年平均が一・八トンなのか。これがどれぐらいなのかわかりにくいけど、 「家光の時代が最盛期やったみたいやけど、一か月で一五〇貫いうから五百六十キロぐらいやな」 それでも年間にしたら五トンぐらいがマック