技術と無線に関するBUNTENのブックマーク (2)

  • 佐世保の重要文化財、針尾無線塔がフェス会場みたいになって興奮した日

    1986年生まれ佐世保在住ライター。おもに地元の文化歴史、老舗や人物などについての取材撮影執筆、紙媒体のお手伝いなど。演劇するのも観るのも好き。とトムヤンクンも好きです。 前の記事:長崎県佐世保市の老舗「白十字パーラー」の2階レストランが70年の歴史に幕。これまでの歩みを聞いた > 個人サイト ヤマモトチヒロのブログ 長崎県佐世保市の重要文化財「針尾無線塔」とは 針尾無線塔(※正式には「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設」)は、1922(大正11)年に旧日海軍によって155万円(現在の約250億円)の費用と4年の歳月を投じて建てられた。 てっぺんまで見上げようとすると首が痛くなるほどでかい 針尾町の景色ではおなじみの光景である 3の塔はどれも136mで、300mの間隔を置いて三角形に配置されている。 1941(昭和16)年12月8日に、太平洋戦争の口火を切ったとされる“ニイヤマタ

    佐世保の重要文化財、針尾無線塔がフェス会場みたいになって興奮した日
    BUNTEN
    BUNTEN 2023/09/19
    「佐世保の重要文化財、針尾無線塔がフェス会場みたいになって興奮した日」長波通信用だったらしいので、このサイズも納得。
  • 「iモード」とは何だったのか その本質と功績、iPhoneに駆逐された理由

    NTTドコモは11月30日、iモード公式サイトのサービスを終了した。ある意味で日の2000年代を支えた存在の終了であり、1つの時代の終わりともいえる。 一方で、「iモードとはどういう意味を持った存在であるか」については、少々誤解も多いように思う。iモードの全てが日独自で悪いものではなかったし、現在の目で見て無価値なものではない。 iモードがなぜ盛り上がり、そしてスマホの勃興とともに消えていったのかは、業界構造を含めた理解が必要になる。 そしてそのことは「ガラケー」と呼ばれるフィーチャーフォンが、当はどういうものだったのかを考え直すきっかけともなる。 今回は改めて、「iモードとは何だったのか」を考えてみたい。 この記事について この記事は、毎週月曜日に配信されているメールマガジン『小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」』から、一部を転載したものです。今回の記事は2021年12月6日に

    「iモード」とは何だったのか その本質と功績、iPhoneに駆逐された理由
    BUNTEN
    BUNTEN 2021/12/10
    従来型ケータイのインターネット利用は日本独自だったからダメだ、的な物言いに反感を感じていた俺は大筋賛成。それでも料金が高かったからケータイは音声専用を貫いていた俺。
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