任天堂を世界的なテレビゲームメーカーに押し上げた前社長で、相談役の山内溥(やまうち・ひろし)氏が19日、肺炎のため死去した。85歳。京都市出身。通夜は21日午後6時、葬儀・告別式は22日午後1時、京都市南区上鳥羽鉾立町11の1、任天堂本社で。喪主は長男、克仁(かつひと)氏。 早大在学中の昭和24年、先代社長で祖父の積良氏が病に倒れたことを受け、22歳で社長に就任。平成14年に取締役相談役に退くまで半世紀余り、社長を務めた。 昭和58年に家庭用テレビゲーム機「ファミリーコンピュータ」を発売。ファミコンの愛称で親しまれ、日本中にブームを巻き起こした。ファミコンの後も携帯型ゲーム「ゲームボーイ」など新商品を次々開発。それまで花札、カードゲームのメーカーだった任天堂を世界的なゲームメーカーに育て上げた。 平成14年に社長を退き、代表権のない取締役相談役に就任。溥氏まで3代続けて創業家出身者が社長を