ひと・人により意見は違う。 だから、社会のことは政治的に決めなくてはならない。 議場では、誰かが相手に意見を譲ることが前提になる。 この場合、小異を捨てて大同につく。 無哲学・能天気では、大同 (哲学) はない。 大同がなければ、小異にこだわらざるを得ない。 ここでは、大同につく話が小異を足して二で割る話にすり替えられている。 小異は山ほどある。‘議論は、まだまだ尽くされていない’ ということになる。 政治家は、結党と解党を繰り返して、離合集散を本分のようにしている。 政治哲学の無いところに、政治音痴は存在する。温故知新が必要である。 国民に‘我々は何処から来たか。我々は何者であるか。我々は何処に行くか。’ を考える習慣がないと、政治は迷走する。 所詮、この世は仮の世。真っ当な世の中はこの世の外にある。 住み慣れたこの世に別れを告げて、まったく新しい来世に暮らすことになったら、あなたはどの