タグ

medtoolzに関するairj12のブックマーク (58)

  • 【11】medtoolzさん - シロクマの粘土板

    id:medtoolz 全盛期:2013年6月以前 危険度:大丈夫 medtoolzさんは『レジデント初期研修用資料』を開設している内科医のひとのアカウントだ。はてな村はてなブロゴスフィアとの関係という意味では「twitterで言及したりブックマークしたりと盛んに触手を動かしているけれど、キャンプファイヤーの中心に踊り出して来るわけではない」という距離感で、このあたり、同じ内科医でも“渦中のひと”になることの多いfujiponさんとは対照的だった。 取り扱う話題という点でも、medtoolzさんは一種独特で、医療で体験したノウハウや情報の導線を他領域で応用できないか、あれこれ試行錯誤している文章を目にすることが多かったと思う。例えばこちらの記事などでは、ネット上のコミュニティやアーキテクチャについて、工学応用できないものかと思考を巡らせてらっしゃる。確か、medtoolzさんのご尊父は工

    【11】medtoolzさん - シロクマの粘土板
    airj12
    airj12 2013/12/13
    medtoolz&fromdusktildawnの両ブログさえ読めてりゃ満足だった時期もあるので非常に寂しい
  • グリーン車の効能 - レジデント初期研修用資料

    公平であることは大切だけれど、サービスを販売する側と受ける側とでは、「公平」の感覚は大きく異なってくる。 恐らくは「えこひいきせよ。その代わり屈するのではなく恩に着せろ」という立ち位置が、サービス業や、人間関係を円滑に回していく上での落とし所になってくる。横車を押す誰かに対して、グリーン車に相当する選択肢を用意することで、不快の機会を遠ざけることができるのだと思う。 岩手県議のこと 外来での待ち時間に憤った岩手県議のblog が閉鎖された。過去ログを掘れば掘るほど燃料が出てくる日記だったから、鎮火の手段としてはこれで正しいのだろうけれど、まだまだ燃えそうな気配は続く。 待ち時間が長いのは事実なのだろうけれど、自分たち病院の側から見ると、日記に書かれた県議の振る舞いは、炎上に見あった理不尽さに思える。逆に言うとこの人は、県議員という偉い立場の人なのに、どうして病院側に「俺を優遇せよ」と命じな

    airj12
    airj12 2013/06/13
    サービスには適切な値付けをした方がお互いハッピー
  • 称賛の時定数について - レジデント初期研修用資料

    小学生だった大昔、通っていた日能研の学習塾では、理科の授業ではいつも、「君は天才だね」という評価をもらった。 「天才だね」は理科の先生が口癖にしていた言葉で、理科の授業中は、クラスの誰もが「天才」で、問題に正解しようが間違えようが、あるいは口ごもった時にだって「君は天才なんだから」とおだてられ、とにかく自分の考えかたを口にできれば、先生からは「君は天才だね」のお墨付をもらえるのが常だった。 反応時間は短くなっていく いつからの機能なのか、Twitter で何かを書くと、専用ブラウザだと書き込みの横に、RTされた数が記載されるようになった。ブラウザでTwitter を眺めても、自分の書き込みがどれだけのお気に入りに登録され、どれだけのRTを獲得できたのか、書いた言葉の「価値」みたいなものを数字で把握できるようになった。 Twitter の最初の頃、いろいろ書いてはフォロワーの数字を眺め、数日

    airj12
    airj12 2013/06/06
    報酬が直接の目的になるとベクトル歪んで不健康に
  • 罵倒の運用について - レジデント初期研修用資料

    罵倒のようなやりかたにも使いかたがある。誰かを罵倒することで、その人の背中を強力に後押しするような効果を期待することもあるし、同じ罵倒のやりかたであっても、誰かを徹底的に否定してみせることで、その人から抵抗の意思を奪い去るような効果が期待できることもある。 海兵隊の教官は新兵を罵倒する 海兵隊訓練教官の罵倒を集めた記事を読んだ。 テレビ番組でときどき紹介される海兵隊の訓練風景は恐ろしいけれど、文章として罵倒の言葉だけを取り出すと、訓練教官をやっている人は、罵倒であっても相当に言葉を選んでいるのだろうなと思う。 訓練教官の罵倒は、読んでいて面白い。新兵に対して、何か「できなかった」ことを叱るのではなく、新兵ごとに到達点を仮想して、「やらなかった」ことを叱る。同じ「できない」を表現するにしても、結果を叱れば「お前は無能だ」というメッセージを送ることになる。できたはずの到達点を仮想して、そこに到

  • ネタ切れの効能 - レジデント初期研修用資料

    インターネット上に日記を公開することの効能というものは、書いている人が「ネタ切れ」の状況を体験できることにある。 ネタが尽き、なおも何かを書きたい人は、見慣れた日常風景を見なおして、なんとかそこから新しいネタを引き出せないものかと考える。そうした試行錯誤を繰り返すと、その人は一つの同じ風景から、切り口を変えた複数の文章を生産できるようになってくる。 日常の風景を様々な角度から描写する練習は、世の中のニュースや風景を、様々な目線で眺めるための助けになるのだろうと思う。 ネタは使い果たしたほうがいい これからインターネットで日記を書こうと考えるのならば、まずは一刻も早く「ネタ切れ」の状況に到達することを、とりあえずの目標にすべきなのだと思う。 「このネタは面白すぎるから、人気が出て文章力がついてからまとめよう」と考えるのはやめたほうがいい。面白い事件に遭遇したとか、どこか珍しい場所に旅行をした

    airj12
    airj12 2013/04/17
    一度書き出せばその事に頭を囚われなくなって新しいモノが見える様になるのかなー、とか
  • 人格否定の使いかた - レジデント初期研修用資料

    今日アルバイトの面接に行ってきた という記事の感想。 リンク先冒頭、アルバイトの面接に出向いた作者の人は、面接担当の人から 「なんでもっと頑張らないんだ!?こんな貴重な体験をしてきたのに、もっと能動的に動かないともったいないぞ!」と叱られ、否定され、その割に不思議と、否定を行った面接担当者に親近感を覚えたんだという。 否定の入り口は「取り返しのつかない過去」 面接担当者は冒頭で、まずは作者の話に耳を傾ける。話を十分に聴いてから、「こんなに貴重な経験を積んできたのにそれを生かせないあなたはだめな人間だ」と否定を行使する。 否定というのは強い感情だけれど、初対面の誰かから「お前はだめなやつだ。クズだ」なんて面罵されたところで腹が立つだけで、その人を信頼しようとか、その人の言うことに耳を貸そうという気分にはならない。 否定の感情をぶつけるためには根拠が必要で、根拠は相手の過去にある。否定の対象と

    airj12
    airj12 2013/03/18
    『 否定の入り口は「取り返しのつかない過去」』おおこわい
  • 団体競技としての刑事尋問 - レジデント初期研修用資料

    冤罪を扱ったを読んで思ったこと。 警察で行われる被疑者の取り調べ、とくに「それが冤罪であった」と断じられた刑事尋問というものは、被疑者と捜査官の戦いというよりも、むしろ「たしかな記憶などどこにもない」ということをルールの前提にした、一種の団体戦であるように思えた。 空白の時間は大切 トイレでその場を離れた誰かに対して、「さっき君がトイレに立った時に聞いたんだけれど、みんなずいぶん君のことを嫌っているみたいだね」とささやいてみせても、嫌なことを聞かされたその人には、ささやきの真実性を検証できない。「君のことを嫌っている」と断じられた誰かに問いただしたところで、その人の言葉が真実かどうかもわからないし、もちろんささやいた人間が嘘をついているのかどうかも証明できない。 検証できない時間の空白に猜疑心を植え、それを踏み台に人間関係の分断を試みるのが、誰かの信念を書き換えるときの基的なやりかたで

    airj12
    airj12 2013/03/18
    「問題に関する温度差に断絶が感覚できたそのとたん、人の心は簡単に折れてしまう。」気を付けよう
  • 御札はどうして売れるのか - レジデント初期研修用資料

    神社の御札は、機能がないのによく売れる。構造は簡単で、恐らくは寸分違わぬコピーを量産することも容易であって、神社で販売されている物にしたところで、売っているのは職ではなくアルバイトであることも多い。 熊野神社の牛王符宣誓あたりになると、そもそもあれは和紙に印刷された木版画であって、同じ品質、同じ材料で、レーザープリンターで何枚でも量産できる。同等の機能を持った安価なコピー品をいくらでも作れるはずなのに、神社の御札を求める人達は「物」を求めて、山奥にある神社までわざわざ出向く。 映画であったり音楽であったり、同等機能を持ったコピー品が安価に出回る昨今にあって、神社の御札にはなんのコピープロテクトもかけられていないのに、コピー品を求めるユーザーがどこにもいない。あれはヒントなのだと思う。 宣誓は大事 熊野神社の熊野牛王符は、お守りとして飾られる場合と、誓約書として使われる場合とがあって、

    airj12
    airj12 2013/03/18
    対象に対して畏敬の念が(少しでも)あるか否か だと思ってる
  • 概算について - レジデント初期研修用資料

    小学校ぐらいの大昔、父親からときどき、「あの場所までは何メートルだ? 」とか、「あの建物は、重さで言ったら何トンぐらいあると思う? 」なんて質問された。 実家では年に数回、自動車方面の研究者がたくさん集まる機会があって、研究者の人たちはお酒を飲みながら、やっぱり「そこにないものの長さや重さ」について会話をかわして、誰もがみんな、だいたい似たような数字に到達していた。 父親は昔から概算が得意で、研究者にはそうした能力が必要なんだと教わったのだけれど、自分は当時、ついにそのからくりが分からなかった。 想像のものさしについて 概算している研究者を眺めていた子供の昔、「この人達は何か特殊な能力を持っていて、自分にはそれがないんだろう」と思っていたのだけれど、今思えばたぶん、たとえば「あの場所までの距離」ならば電柱の長さを比較すれば距離が概算できたり、重さだったら自動車の重量なりコンクリート密度なり

    airj12
    airj12 2013/03/04
    「概算の能力は、結果として議論の決定力に結びつく。」
  • 大きな話ができる人 - レジデント初期研修用資料

    少ないリソースをやりくりできる能力と、たくさんの人数や、大きな予算をその大きさなりに使ってみせる能力とでは、求められるものがずいぶん違う。 小さなタスクを正確にこなせる人が増えた一方で、世の中からはたぶん、大きな話を大きく論じられる人が減った。 大きさが変わると道具も変わる 同じ「切る」道具であっても、手術用のメス刃とチェーンソーとでは異なって、「丸太を切る」という問題があった時に、「大きなメス刃」は解答としてふさわしくない。大きな問題を論じるためには「大きな言葉」が必要で、大きな言葉はたぶん、小さな言葉の延長線上には存在しないのだろうと思う。 新人だったころの田中角栄は、選挙の第一声として、「みなさん、あの山を削っちゃいましょう。余った土は海に入れて佐渡ヶ島とつなぎましょう。山がなくなれば雪は全部関東の方にいく。新潟の耕作可能免責は飛躍的にひろがる」とマイクでがなった。 「大きな言葉」で

    airj12
    airj12 2013/02/27
    再ブクマな気もする
  • 邪悪の手軽さについて - レジデント初期研修用資料

    病院では定期的に心肺蘇生の講習会が開催されて、近隣施設の看護師や救命救急士、医師も含めて様々な職種、様々な年齢の人達が集まってくる。 講習会はチーム医療で、打ち解けるための時間は少なく、和やかな空気は切実なのだけれど、誰もが初対面の当日、実現するのはなかなか難しい。 講習会は人形相手に「どうしましたか! 大丈夫ですか! 」と大声で呼びかけたりする必要があって、やっぱり初対面のみんなを前にこれをやるのは気恥ずかしさがあって、声を出すのをためらったりなんとなく笑ってしまう。チームは和やかに打ち解ける必要があり、同時に講習会の空気は引き締まっている必要があり、これを両立させるのはやっぱり難しい。 新人でチームを和ませる 講習会半ば、講師として参加していた消防の人たちと話す機会があって、「こういう時に新人がいると便利だったよね」という部分で一致した。 見知らぬ人がたくさん集まる状況においては、参加

  • 信頼地形の使いかた - レジデント初期研修用資料

    信頼されている人は、誰かに背中を任されることが多くなる。同時にたぶん、誰かの背中に回りこむのに成功すれば、結果としてその人から信頼を獲得できる。 信頼という感情と、誰かの背中という地形とは等しい価値を持つ。誰かから信頼されようと思ったら、内面の道徳を磨くことよりもむしろ、その人の背中を奪う方法を考えたほうが早いのだろうと思う。 背中は信頼の基礎 たとえば「返す当てはないが金を貸してくれ」というお願いを、机を挟んで向かい合った相手から切りだされても、たいていは断られてしまう。机を挟んだ相手なら跳びかかったり殴ったりするのは難しいだろうし、相手の振る舞いは机を挟んですべて見えるから、無理な依頼を受けたその人は、何があっても自分で対処ができてしまう。状況を自分でコントロールできる状況においては、依頼の内容は文言どおりに検討されて、信頼できない以来は断れる。 同じ無理なお願いを、後ろに回った相手が

    airj12
    airj12 2013/02/18
    洗脳の入口みたいな
  • 名付けの効果について - レジデント初期研修用資料

    医局でたまたま、免疫について話題になった。 漠然と「抵抗力」のような意味あいで使う免疫という言葉は、医療従事者も「ある」という前提で違和感なく会話をするのに、「免疫力」みたいなものをきちんと測定できるようなパラメーターが存在しない。免疫グロブリンの量を測定することはもちろん可能だけれど、それはあくまでも特殊な蛋白質の量であって、いわゆる的な「免疫力」とは少し違う。 ないものには商売の種がある 「免疫力を向上させる」と自称するオカルトグッズはたくさん販売されているし、実際よく売れている。効果を検証して反論しようにも、そもそもどんなパラメーターで「免疫力」を代表させればいいのか、グッズを売る人と反論を試みる人との間で見解が共通することはありえないだろうから、難しい。 誰もが「ある」と思っているのに測定できない何かを探し出せば、それを商売の種にすることが出来る。あるいは当然測定できると認識されて

    airj12
    airj12 2013/02/06
    "retina"と"4K"の差
  • 0から1を作った経験 - レジデント初期研修用資料

    たとえば爆弾テロの事例がニュースで報じられれば、たいていの人はたぶん、それを「ひどい事件だな」と思う。テロリストの側に与する人が同じニュースを聞けば、もしかしたら「よくやった」と思うかもしれない。ニュースに対してどんな態度をとるにせよ、ニュースというものはほとんどの人にとっては消費の対象であって、それを経験として蓄積できる人は少ない。 同じニュースを聞いても、見聞した事例を通じて自分の経験値を高める人もいる。爆弾テロの事例ならば、爆弾を自分で作り、爆薬の威力というものを知っている人がそれであって、こういう人がニュースを見ると、「なるほどそういう仕掛けかたもできるのか」と、爆弾の仕掛け方がより凶悪になってみたりする。 どんな分野であれ、ゼロから何かを生み出す経験をした人は、あとは事例を見るほどに、自身の経験が増していく。 経験には2種類ある 100年続くチームを引き継ぎ、体育会のキャプテンと

    airj12
    airj12 2013/01/12
    「 よく勉強した人は、新しい教科書が出版されないと新しく学べない。専門家はたぶん、道を歩いていても、事例に当たれば事例から経験を学べる。」
  • 暴力の工学的な側面 - レジデント初期研修用資料

    顧問の体罰が集中して、キャプテンの学生が亡くなった事例は、あれは「暴力を用いた統治」というものを考えると、ひどい事例とはいえ、工学として理にかなっているようにも思えた。 暴力は疲れる。暴力を行使する側は、「統治」という目標を達成するために投じる暴力量は、できることなら減らしたいだろうから、そこには「効率」の考えかたが入ってくる。説得みたいなやりかたは、暴力を好む人には甘すぎるように見えるだろうから、たぶん最初から選択肢に入らない。 選択枝を持たない人を探す 生徒を死に追いやった顧問の先生は、キャプテンに対して体罰を集中したらしい。 暴力を統治の道具として行使するときには、「選択枝を持たない」人間を選ばないと意味が無い。暴力というのは不快なやりかただから、その人に付き従う以外の選択肢がある人に暴力を振るったところで統治は達成できないし、警察に通報されれば詰んでしまう。 「いつでもやめられる」

  • 制約を身につける - レジデント初期研修用資料

    「ここまでは得意ですが、ここから先はできません」という制約を持つ人が得意分野に熟達すると、その人は専門家と呼ばれるようになる。 「得意不得意こそありますが、私は基的になんでもやります」という人が全方向に頑張ると、その人は「熟達した使い走り」になってしまう。 制約は知恵を引き出す たとえば300文字程度の考えを文章化しようと思ったときに、Twitter はいい道具になる。簡単なサービスだからすぐに書けるし、つながった誰かの反応をもらうこともできる。何よりもTwiter には「140文字しか書けない」という制約があって、アイデアを文章化するときには、こうした制約が役に立つ。 アイデアを文章化するのに必要なのが300字なら、Twitter ではそれを2回に分けて書く必要がある。ベタ打ちしたアイデアを途中できるのはみっともないから、思いついた何かは必然的に、140字で語れるだけの大きさに分割され

    airj12
    airj12 2013/01/07
    嫌な事は素直に拒否した方が結果的に皆幸せなのは確か
  • 正しさをテストで記述する - レジデント初期研修用資料

    「厳密な人」と、「間違いにうるさい人」とを隔てているのは、その人が想定する正しさというものを、テストの形で記述できるのかどうかにかかっているのだろうと思う。 テストを作れる人は、テストを通じて、自分が想定する正しさに到達するためには何が不足し、どうすればそれを補うことができるのか、相手に提示することができる。 自分の学びをテストの形で記述できない人は、「俺はエビデンスを持っている。奴らは持っていない。俺は正しい。奴らはバカでこの世から放逐されるべき」とばかりに、せっかく学んだ貴重な知識を、単なる投擲用のクソとして消費してしまう。これはもったいないように思う。 哄笑の道具としてのエビデンス 専門家が喧嘩に参加する場面が増えたように思う。 会話の応酬が行われる場所はといえばせいぜい2ちゃんねるぐらいしかなかった昔、匿名の無数が対立する場に専門家が「降臨」すると、喧嘩の舞台は学びの場になった。も

    airj12
    airj12 2013/01/07
    「 「厳密な人」と、「間違いにうるさい人」と」
  • JASRAC の謝罪文について - レジデント初期研修用資料

    音楽著作権協会(JASRAC)が最近出した謝罪の告知 は、組織へのダメージを最少にするという意味において、上手な謝罪のお手に思えた。 以下引用。 雅楽演奏者へのお問い合わせについて. 昨日よりJASRACが雅楽演奏者の方へ著作物使用料の支払いを求めたなど、SNS等での書き込みや報道などがなされていることについて、ご説明いたします。. JASRACでは、全国各地で行われる演奏会などの催物において、JASRACの管理楽曲(以下「管理楽曲」という。)を利用される場合には、催物の主催者の方から手続きのお申込みをいただいた上で、 著作物使用料のお支払いをいただいております。管理楽曲の利用を確認せずに、著作物使用料のお支払いを求めることはございません。. 管理楽曲の利用が定かでない演奏会等の場合、主催者の方に電話や書面等でご連絡をし、管理楽曲のご利用の有無を確認させていただくことがあり、著作権消

  • 購買のソーシャル化 - レジデント初期研修用資料

    Kindle は線を引いたりページを折ったりといったことができないから、今はもっぱら漫画ばかりを買っているのだけれど、クリックひとつでもう購買が終了するこのやりかたは、お財布の底が抜けそうで怖くなる。 電子書籍を売る側の人たちは、もちろん読者にはもっとを買ってほしいのだろうから、電子書籍の購買は、そのうちゲームみたいになるのだろうと思う。 ソーシャル化の未来 そのうちたぶん、タブレット端末からKindle のアプリを立ち上げると、画面にはまず真っ先に「お友達の〇〇さんがこのを買いました!!」というアナウンスがプッシュされるようになる。Amazon で自分が何かのを買えば、当然その内容も他のユーザーに配信され、Amazon のサイトを眺めれば、ユーザーの興味に応じたランキングリストが用意され、自分がその中でどれぐらいの順位にあるのか、あるいはの購買を通じて得ることができた「称号」を閲

  • ゼロクリックの情報デザイン - レジデント初期研修用資料

    クリックをするまでもなく、否応もなく目に飛び込んでくる生活の風景や、あるいは何かのアプリケーションを立ち上げた際に最初に目にする画面のデザインをシンプルにすると、物事の見通しが良くなったりする効果が得られる。 シンプルなデザインを達成するために不必要なものを削ることは大切だけれど、削ることに熱心になりすぎてしまうと、もしかしたらデザインそれ自体が放棄されてしまう。シンプルなデザインはゴールであって、それが道徳になってしまうと、たいていろくでもないことになる。 棚は判断の基礎になる 物を捨てることの効能を説く人が増えたけれど、ごちゃごちゃしたものにあふれた部屋から「ごちゃごちゃ」を取り去ってしまうと、思考がかえって滞ってしまう人もいるのではないかと思う。 発想というものは、何もない風景から新しい何かを生み出すこともあるのだろうけれど、たぶん大部分の発想と呼ばれるものは、むしろ否応もなく目に