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ブックマーク / watashinim.exblog.jp (7)

  • メモ67 | 私にも話させて

    以下は大宅壮一「日人民共和国の可能性」(『大宅壮一の8』サンケイ新聞出版局、1967年)からの抜粋である。文章の末尾に「二十五年十一月」とあるので、1950年11月に書かれたもののようである。「草の根の強固な天皇制イデオロギー」などといった主張よりも説得力のある、興味深い指摘だと思うが、大宅が指摘している特徴は、管見の範囲では在日朝鮮人にも当てはまる(ただし国の韓国の人間には当てはまるとは言えない)ので、「日民族の性格的な特異性」というよりも日文化の特徴と読み替えた方が良いであろう。 <明治革命がかくも微弱な抵抗と摩擦をもって完成したということは、天皇制に原因があるのではなくして、日の民族的な性格に根ざしているとしか思えない。天皇制という錦の御旗が大きな役割を果したことは明らかであるが、そういうものにかくも大きな役割を果させるところに、日民族の性格的な特異性が存するのである。

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  • 「宮廷革命」方式の蔓延 | 私にも話させて

    「慰安婦」問題をめぐる議論で最も奇妙なのは、安倍政権の下での「解決」が可能、という前提である。安倍晋三やその周辺が歴史修正主義者であり、NHKの「慰安婦」番組に介入したことは周知の事実である。ならばそのような首相の下でなぜ「解決」が可能なのか。もしくは、そこで可能となる「解決」はそもそも「解決」と言えるものでありうるのか。 普通に考えればそうだと思うのだが、現在のマスコミ・社会運動圏・アカデミズム内の主流の思考法は逆で、むしろ、安倍政権下であるからこそ「解決」は可能、という認識なのだと思う。彼ら・彼女らの中では、保守派のニクソンだからこそ訪中して米中和解ができた、という実例が金科玉条になっている。保守派が政権を握っているがゆえに、左派の主張を実施しても、右からの反発を抑えることができる、という定式だ。あとは、政権の要人や世論に影響力のある人物に裏で説得(もしくは利益の提供)をかければよいわ

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  • 社会分析と「専門家」 | 私にも話させて

    最近読んで、全くその通り、と思ったチョムスキーの発言を引用しておこう。『チョムスキーとの対話 政治・思想・言語』(ミツ・ロナ編、三宅・今井・矢野訳、大修館書店、1980年。原著は1977年刊)からのものである。 「イデオロギーの分析の場合、視野の広さと知力とがいささかあり、それに健全なシニシズムがあればたくさんだ。たとえば、ぼくたちの社会と同じような社会におけるインテリの役割といった問題をとってみよう。この社会階級は、大学教授、歴史家、ジャーナリスト、政治評論家などをふくむもので、社会の現実を分析し、提示することを任務としている。かれらは、その分析と解釈とによって、社会的な諸事象と大衆とのあいだの仲介者の役目を果たす。すなわちかれらがつくりだすのは、社会生活のイデオロギー的な正当化だ。(中略)イデオロギーの宣伝機構から自分を引き離すだけの用意さえあれば、問題にされている諸現象が透けて見える

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  • ちくま・イデオロギー(2) | 私にも話させて

    (1)で挙げたようなモノ書き連中への批判としては、私は、丸山真男の『日の思想』(岩波新書)一冊を読んでおけば足りるのではないかと思う(念のために述べておくと、「筑摩VS岩波」などと考えているわけでは全く無い)。 丸山は、同書の中で、ヨーロッパ的伝統への必死の抵抗として生まれた反語や逆説(丸山は例として、まさにニーチェを挙げている)が、日のように生活のなかに無常観などの逃避意識がある中では、実生活上の感覚と適合し、現実への反逆よりも順応として機能しやすいことを指摘している。また、丸山は、日の思想史の特徴として、思想に対する批判を行なう際にその内在的な価値や論理的整合性から批判するのではなく、その思想が現実を隠蔽している、美化している点を暴露することに主眼を置いて批判を展開していることも指摘している。 このほか、丸山は、思想批判の「伝統」として、「イデオロギー一般の嫌悪あるいは侮蔑」「論

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  • 左派陣営に在日朝鮮人が少なかった影響 | 私にも話させて

    一部のネット右翼によれば、日の左派陣営(いい言葉が見つからない)は帰化者を含めた在日朝鮮人に支配されているらしい。恐らく、ナチスのプロパガンダを意識しているのだろうが(余りにも荒唐無稽すぎて大して広がっていないように見えるが)、私の印象では、むしろ日の左派陣営には在日朝鮮人が少なすぎるように思われる。文化人は確かに見かけるが、端的に言って、現役で活躍しており、カミングアウトしている在日朝鮮人の社民党員や日共産党員を聞いたことがない。 これは当に印象論で来ちゃんと実証すべきなのだが、海外のニュースを読んでいてよく思うのは、海外の左翼政党や左派の政治家には、移民などのマイノリティ出身者が多いことだ。近現代史を振り返っても、ドイツの社会民主党の理論家などユダヤ人ばかりである。確か、ワイマール共和国期のドイツ国内におけるユダヤ人の人口比率は、大体0.5~1.0%(奇しくも戦後の在日朝鮮人

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  • ちくま・イデオロギー(1) | 私にも話させて

    2ちゃんねらーやネット右翼の思想的教祖を、小林よしのりとする見方がある。北田暁大が確かそうだった。2ちゃんねらーを彼のように「政治的ロマン主義」と見る立場(私には馬鹿らしく思えるが)に立たず、単純に右翼的な人々と見る人たちも、2ちゃんねらーは小林よしのりや西部邁らの右派系文化人に洗脳された人々と見る傾向があるのではないか。 私は違う認識を持っている。非常に大雑把かつ図式的に言えば、むしろ、2ちゃんねるやネットの全体としての右翼的な傾向を作ったのは、竹田青嗣や加藤典洋といった、90年代に筑摩書房などの出版物で活躍した文化人の影響を強く受けたコテハンや、ネット上の書き手の存在である。 あくまでも私の印象であるが、数年前の2ちゃんねるは、ネット右翼ばかりというよりも、むしろ、左派知識人や市民運動の諸活動を「ルサンチマン」として嘲笑・否定しはするが、「右翼」との距離を強調するようなコテハンが、雑多

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  • 東浩紀の嫌韓流容認論 | 私にも話させて

    少し前に出た東浩紀と大塚英志との対談である『リアルのゆくえ』(講談社現代新書、2008年8月)を読み、東の発言内容の酷さに驚いた。私は東の文章を大して読んでいなかったのだが、昔からこんななのだろうか。 枚挙に暇がないのだが、私が最も呆れた箇所を挙げておこう。 「東 ぼくが言っているのは、むしろ了解可能性の拡大を大切にしたいということです。たとえば、日のサヨクが2000年代になぜ急速に影響力を失っていったかというと、リベラルな人たちはリベラルではないということが大衆レベルで分かってしまったからです。リベラルは、みんながリベラルになることを望んでいる。たとえば、みんなが在日に対して優しくしようとリベラルは言う。でも世の中には、在日を差別する人がいっぱいいる。その現実はどうするのか。/ネット右翼の問題も同じです。彼らが言っているのは、左翼は出版メディアを握っている、みなが自分たちのようにリベ

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