日本最大の前方後円墳・大山(だいせん)古墳(仁徳陵古墳)を含む大阪府の「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(堺市、羽曳野市、藤井寺市)が7月、2019年の世界文化遺産登録を目指す国内候補に決まった。しかし、国の文化審議会は取り下げの可能性も示唆、登録実現への道のりは長い。今後、克服すべき課題を聞いた。【聞き手・林由紀子】
奈良県天理市の行燈山古墳を立ち入り調査する研究者ら=24日午後 宮内庁が崇神天皇陵として管理する奈良県天理市の行燈山古墳(4世紀初頭)を24日、日本考古学協会など考古学や歴史学の団体の研究者が立ち入り調査をし、墳丘の形や保存状態を観察した。 崇神天皇は第10代天皇だが、実在する最初の天皇とされる。古墳は東西方向に築かれた3段築成の前方後円墳で、全長約240メートル。宮内庁が1974年、75年に一部で発掘を実施。埴輪や土器が出土している。 16人の研究者は約1時間半かけて古墳を1周し、カメラで撮影するなどして墳丘を観察した。日本考古学協会の杉井健理事は、「墳丘の北側は段がよく見え、非常によく残っていた」と指摘した。
未登録の場合は「登録」ボタンをクリックします。 登録したい都道府県を地図から選択します。 確認ボタンをクリックすると登録が完了します。 ※登録した都道府県を変更するには「変更」ボタンをクリックします。 「崇神天皇陵」として、宮内庁が管理している奈良県天理市の古墳が、24日、研究者に初めて公開されました。 研究者に公開されたのは、4世紀に築かれたとされる奈良県天理市の「行燈山古墳」です。 古墳は、第10代の天皇、崇神天皇が埋葬されている陵墓として、宮内庁が管理しています。 陵墓へは、一般の立ち入りが制限されていますが、考古学や歴史学の研究者の団体からの要望に応じて立ち入りを認めていて、24日は、日本考古学協会の会員など、16人の研究者が宮内庁の職員に案内されて敷地に入りました。 行燈山古墳は全長約240メートルの大型の前方後円墳で、墳丘の部分は3段になっているとみられています。 研
明日香村の天武・持統天皇陵(7世紀後半)に日本考古学協会など15学会の代表16人が立ち入り調査を行った。宮内庁が管理する天皇や皇族の墓「陵墓」での立ち入り調査が認められてから10か所目となった今回、多くの知見が得られた一方で、課題も浮き彫りになった。 (早川保夫) 「3、4メートル中に入るだけだが、外から見ていただけのこれまでとは全然、違う」 参加した県立橿原考古学研究所付属博物館の今尾文昭学芸課長はそう意義を強調する。 立ち入りを許されたのは、ほかの陵墓と同じく墳丘の裾までだが、1時間半、地表や地形を見て回って、いくつかの成果があった。 参加者によると、墳丘の数か所では、石材が露出している様子が確認できた。隣り合い、作られた当時のままの位置にあるとみられる部分もあり、墳丘は、こうした石で飾られていたと推定されている。 同協会の森岡秀人理事は「露出した石には平らな面が作られており、二上山の
天武天皇と妻の持統天皇が埋葬された「陵墓」として宮内庁が管理している奈良県明日香村の古墳で、立ち入り調査が認められ、21日研究者らが古墳の様子を見て回りました。 立ち入り調査が行われたのは、飛鳥時代の天武天皇と妻の持統天皇を埋葬したとされる奈良県明日香村の野口王墓古墳です。 宮内庁は、天皇や皇族を埋葬した「陵墓」への立ち入りを制限していますが、考古学や歴史学の研究者の要望に応じて、野口王墓古墳への立ち入り調査を認めました。 21日は日本考古学協会の研究者など16人が宮内庁職員に案内されて敷地内に入り、およそ1時間半をかけて古墳の様子を見て回りました。 野口王墓古墳は、形が7世紀末の天皇の墓の特徴とされる八角形であることが明らかになっているほか、古墳の盛り土の部分には、おごそかな墓にするため加工された石が積まれていたとみられることがこれまでに分かっています。 参加した日本考古学協会の清家章理
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