やっぱり日本は強かった! 若き競技プログラマーが上海で世界トップレベルのアジア決勝戦を制す2015.01.19 11:00Sponsored 三浦一紀 日本の未来を変えるのは、君たちだ。 昨年11月、東京・秋葉原で行われた「CODE FESTIVAL 2014」。その模様はこちらの記事でお伝えした通り(主催者側へのインタビュー記事はこちら)。今までにないフェス型プログラミングコンテストということで、話題を集めました。 そして2014年12月21日。CODE FESTIVAL 2014を勝ち抜いた上位30名が、中国・上海においてアジア決勝大会「CODE FESTIVAL 2014 -ASIA FINAL-」に参戦。昨年はアメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)で開催されましたが、日本の学生が上位を独占するという結果になり、日本のレベルの高さを実感することができました。 しかし、今年はその
2012年8月に110万ダウンロードを達成し、CEDEC AWAED 2012ではゲームデザイン部門最優秀賞を受賞したスマートフォン向けパズルRPGの「パズドラ」こと「パズル&ドラゴンズ」のプロデューサー、山本大介氏が講演を行い、「私は万人受けするゲームを作れるタイプでは全然ありませんでした」と告白した上で、いかにして「パズドラ」が生まれたのかを語りました。 パズル&ドラゴンズ ~嫁と開発と私~ | CEDEC 2012 | Computer Entertaintment Developers Conference ガンホ―・オンライン・エンターテインメント株式会社のプロデューサーをやっております、山本大介です。実は昨年の7月にガンホ―に転職したばかりで、それまでは約10年間、ブレインドックという小さなゲームの企画事務所にいて、その後はハドソンに9年ほど在籍していました。 これまでの経歴か
Startup Datingでインタビュー連載を始めてみることになりました。さて連載の初回は、2011年に新卒としてクックパッドに入社し、現在UIデザイナーとして活躍する片山育美さん(@monja415)。片山さんが現職に就くまでの道のりや、クックパッドのUIに関する考え方、片山さんが手がけた具体的なUI改善の事例やヒントなどをたっぷりお伝えします。 美術大学で勉強、もともと職人になりたかった もともと絵を描くのが好きだし得意、高校のときから職人になりたいと思っていたと話す片山さん。美術大学に進学し、ファイン系とデザイン系でデザイン系を学ぶことを選択。ファイン系とは、絵画や彫刻などいかにも“アート”というもの。ファイン系が芸術だから、どこか自分の中で完結してしまうところがある。でも、職人って誰かのために技術を使える人なんじゃないか、と。情報デザイン学科を専攻し、サービスデザインやUXと言わ
「それ」でないと開かないドアがある @IT 教育に目覚めた、というわけではない。 まつもと 自分たちで先頭を切って教えようということにはなりませんが、そういう基準が必要な場合、自分たちに何かできることはあれば協力はしたいと思っています。 @IT われわれ@ITも、アールラーニングとの協業で認定ビジネスに取り組みます(関連記事:@ITとアールラーニング、「Rails技術者認定試験」で協力)。すでにRubyアソシエーションを設立して、Ruby認定試験を開始している関係者の1人として、Rails認定はどうご覧いただけていますか? まつもと まつもと個人としては、Rubyが広まることも、Railsを使う人が増えてRubyが広まることも、それによって多くのエンジニアがハッピーになるのであれば望ましいことだと思っています。だから、私が役立つことであれば応援したいと思っています。私自身、Ruby認定試験
第11回 Linuxカーネルハッカー流「自力で食える技術者」チームの育成法 金武明日香 (@IT自分戦略研究所) 赤司聡(撮影) 2010/9/6 高橋浩和(たかはしひろかず) VA Linux Systems Japan 技術本部 本部長。北海道生まれ、北海道大学出身。VAX全盛の時代から、各種OSの設計などに取り組む。Linux Kernelハッカーとして、毎年オタワで開催される「Linux Kernel Developers Summit」に招待される。2005年度日本OSS貢献者賞受賞。「詳解Linuxカーネル」の監訳者であり、著書として「Linuxカーネル2.6解読室」(共著)がある。最近は、「Xen」による仮想化技術の開発を行っている。 ■「当時、Linuxの評判は散々だった……」2000年前後のLinux業界 これまでずっと、OS関係の仕事をしてきました。Linuxと初めてか
若くしてITベンチャー企業を立ち上げ、数年で上場、時価総額を急激に拡大させていき、プロ野球チームや放送局の買収に動く……。 6月17日に発売された『拝金』は、そんなどこかで聞いたことがあるような筋書きの小説だ。著者は、証券取引法違反で一審、二審で有罪判決を受け、現在、最高裁に上告中の元ライブドア社長、堀江貴文氏。『拝金』は発売2カ月で5万部を突破、加えて電子書籍として1万部以上販売しているなど、静かなロングセラーとなっている。 かつてライブドアがたどってきたような道をなぜ今、小説として書いたのか堀江氏に尋ねた。 堀江 NHKドラマ『ハゲタカ』で描かれていたようなITベンチャー企業像に違和感を持ったからですね。社長室には神棚があるといったことが描かれていたのですが、いわゆるITベンチャー企業でそれはないと思いますよ。酉の市で売られている熊手も見たことがないというくらい、基本的に神頼みのような
わたしはこの言葉を見たとき、胸の鼓動を抑えることができませんでした。「まさに、わたしのITエンジニア像と合致するじゃないか!」。さっそくアポを取り、晴れてディー・エヌ・エー(以下、DeNA)のITエンジニアに取材することになりました。これから2回にわたって、DeNAのITエンジニアが持つ魅力に迫っていきたいと思います! ■ DeNAとはどんな会社か!? DeNAでいま最も勢いのあるモバイルコンテンツ「モバゲータウン」について調べてみました。下の図はIR情報「月次推移のご報告(平成22年3月度)」からの抜粋です。 2010年に入ってから、モバゲータウンの会員数は毎月100万人ほどの増加ペースを維持しています。特に驚くべきは、月間PVの推移! 3月は月間616億PVと、けた違いの数値を出しています。 これだけのサイト規模を持つIT企業は、ごく少数です。これだけの規模を持つモバイルサイトを運営す
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読者の皆さんは、「Cyan」(サイアン)という言語をご存じないかもしれない。Cyanは、Lispのマクロを持ち、Python風のインデントによってブロックを表すプログラミング言語。2008年の春、林拓人という1人の高校生によって設計された。 連載第1回の竹内郁雄氏が「開発」の天才、第2回の五十嵐悠紀氏が「発想」の天才とするならば、今回の林氏は「プログラミング言語」の天才だ。 林氏がプログラミング言語に初めて触れたのは中学3年の夏休み。そこから冬休みまでの5カ月間に、5つのプログラミング言語を習得した。その後もいくつかのプログラミング言語を学ぶ中、林氏の興味はWebサービスなどのものづくりには行かず、ひたすら言語自体へと向かっていった。 高校2年の春、自身でプログラミング言語Cyanを作り上げた。Cyanを設計した林氏は、「U-20プログラミング・コンテスト」(以下、U-20プロコン)で経済
竹内郁雄氏(61歳) 撮影:大星直輝 竹内氏によると、Lispはすべての言語の原点なのだという。「いまRubyがブームだが、Rubyは要するにカッコのないLisp。XMLもぶ厚いカッコのあるLisp。いろいろなプログラミング技法を見ますが、『Lispにあった』ということが多いです」(竹内氏) 竹内氏の業績をひと言で語るのは難しい。1971~1973年、日本電信電話公社(現NTT) 武蔵野電気通信研究所 基礎研究部において、Lispを使った自然言語処理システムの研究を行い、1974~1979年、同研究所で人工知能研究を支援するための記号処理システムを次々に開発。1980~1986年、同研究所などで同社比約1000倍の規模の記号処理システムTAO/ELISを、ハードウェアからOS、応用ソフトまで一貫して設計・実装した。ELISについては竹内氏の功績を含めコン
「最低2~3年はいる」。そう言って日本を出、米国シリコンバレーに飛び込んだはてなの近藤淳也社長が、1年半で日本に帰ってきた。この4月、はてなは本社を東京から、創業の地・京都に移す。 米国でやり残したことは、たくさんある。それでも日本に戻ると決めた。日本の京都から、世界に通用するネットサービスを作りたい。任天堂が京都から世界に、「Wii」を送り出したように。 米国では「これから」だったが…… 2006年7月、米国シリコンバレーに設立した子会社Hatena.Inc。オフィスを構え、近藤社長は妻の令子さん、開発スタッフと3人で、現地に移り住んだ。 第一線のWebエンジニアが賞賛しあい高めあう、シリコンバレーが好きだった。渡米した直後に参加した、Webアプリのイベント「Future of Web Application」。「digg」や「WordPress」開発者がヒーロー扱いされるのを目の当たり
「人間関係図を再現する静的なSNSではなく、コミュニケーションによって日々変化する動的なSNSを目指した」――ミクシィの笠原健治社長は11月15日、「Web2.0 Expo」(11月15~16日、渋谷・セルリアンタワー東急ホテル)の講演で、mixiが国内SNSで独り勝ちした要因を説明し、将来の展望を語った。 今後は、Googleが提唱するSNS共通API「OpenSocial」に則ってAPI公開を進め、ユーザー自身が欲しい機能を追加できるようにしていくほか、小説や音楽など「文化的なコンテンツ」が集まる仕組みを整えていくという。 「動的」だから勝てた mixiがスタートしたのは2004年2月。米国で流行し始めていたSNSを参考に、「日記」「足あと」など独自機能を盛り込んで構築した。国内では当初「GREE」がmixiを上回る会員を集めていたが、同年秋ごろユーザー数でGREEを逆転。続々と参入す
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