□『碧空(あおぞら)のカノン 航空自衛隊航空中央音楽隊ノート』 ■自衛官と演奏家のギャップ テロや大停電など危機的な状況下での緊迫感のある物語を紡いできた。今作はずいぶん趣が違う。等身大の20代女性を主役に据えた軽やかな連作短編集に仕上がっている。 「いつもの血なまぐさい話は封印して温かくて優しい感じに、と。私のメンタルは完全におじさん。男性主人公の方が自分が入っている気がしますが…」と笑う。 舞台は、東京・立川に実在する航空自衛隊航空中央音楽隊。音楽大を卒業しアルトサックスを吹いている鳴瀬佳音(なるせ・かのん)は少しドジな女の子。個性的な仲間に恵まれ、自衛官としての厳しい訓練と練習に励んでいたが、市民との親睦(しんぼく)コンサートを控えたある日、自分が担当するパートの楽譜が消えてしまう。 誰もいない学生寮の部屋で鳴り響く目覚まし時計に込められた思い、中学校の吹奏楽部での楽器パーツ紛失事件
「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」などで知られる映画監督の大島渚(おおしま・なぎさ)さんが15日午後3時25分、肺炎のため神奈川県藤沢市内の病院で死去した。80歳だった。 【2012年に亡くなった主な方々を写真で追悼】森光子さん、吉本隆明さん… 京都市生まれ。京都大卒業後の1954年、松竹大船撮影所に入所。59年「愛と希望の街」で監督デビュー。60年には「青春残酷物語」「太陽の墓場」を発表し、作品の社会性と斬新な演出で、同時期に入社した吉田喜重、篠田正浩両監督と並んで“松竹ヌーベルバーグ”と称された。 61年に松竹を退社し、独立プロ「創造社」を設立。「飼育」(61年)、「白昼の通り魔」(66年)、「絞死刑」(68年)、「儀式」(71年)など次々に問題作を発表した。創造社解散後の75年、フランスとの合作で「愛のコリーダ」を製作。激しい性描写が物議を醸し、映画のスチール写真を掲載
赤塚不二夫の原稿をなくしてしまった編集者。しかし、翌日には原稿を印刷所に渡さなければなりません。大変な状況にもかかわらず、赤塚不二夫はまったく怒ることなく「ネームがあるからまた描ける」と言い、さらに何と言ったのでしょうか? この連載は書籍『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』(アスコム)から抜粋、再編集したものです。 自己啓発書は、読んでいるときは内容に思わず納得。しかし読み終わると書いてあることを忘れ、実行に移せている人は少ないと思います。本書は、そんな問題点を解消する画期的なものです。 インパクトの強いエピソードをクイズ形式で紹介しているところが、本書の最大の特徴です。イチローや黒澤明、スティーブ・ジョブズといった一流の人たちの考え方が、問題を解きながら楽しく学べます。さらにクイズを友人や知人に出題することで、記憶の定着は倍増するでしょう。 著者は「タイムショック
これはもちろん、落ち込んでいる編集者を気遣っての言葉です。呑んで戻った赤塚は、また数時間かけて同じ話を描きあげて「2度目だから、もっとうまく描けたよ」と言い、その原稿を編集者へ渡したそうです。もし私が編集者でこんなことをされたら、帰りのタクシーの中で号泣してしまうこと間違いないです! この話には後日談があります。紛失した原稿が、1週間後にタクシー会社から赤塚不二夫宛てに郵送されてきました。「2度と同じ失敗を繰り返さないように、おまえが持ってろ」と、赤塚不二夫からその原稿をプレゼントされた編集者は、その後35年間も自分への戒めとして持ち続けたそうです。 そして、赤塚不二夫が亡くなったとき「この原稿の役目は終わった」と、フジオ・プロ(赤塚不二夫のプロダクション)を仕切る、娘のりえ子さんに原稿を戻したのです。だから、フジオ・プロには現在、『天才バカボン』の同じ回の原稿が2つ存在するのだそうです。
歌舞伎界きっての人気俳優の一人で、テレビなどでも活躍した中村勘三郎さんが、5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため、東京都内の病院で亡くなりました。 57歳でした。 中村勘三郎さんは、昭和30年に東京で生まれ、昭和34年、3歳で五代目中村勘九郎を襲名して、「昔噺桃太郎」の桃太郎役で初舞台を踏みました。 立役から女方までまでさまざまな役柄を器用にこなし、歌舞伎界きっての人気俳優の一人となりました。 「元禄忠臣蔵」や「髪結新三」、それに勇壮な獅子の舞を表現する「鏡獅子」などの演技で高い評価を得ました。 また、歌舞伎の魅力を幅広い世代に伝える活動にも力を入れました。 平成6年から、東京・渋谷の劇場で、古典歌舞伎の演目を再構成した「コクーン歌舞伎」を上演したほか、平成12年には、江戸時代末期に浅草にあった芝居小屋を「平成中村座」として復活させました。 その4年後の平成16年、アメリカのニューヨ
肺カルチノイドで亡くなった流通ジャーナリストの金子哲雄さんの通夜が営まれた。生前に自ら斎場を手配して、遺影や祭壇に飾る花もわざわざ選んでいた。墓の準備も怠りなかった。 参列者に向けた会葬礼状には、ユーモアを交えた文章を用意。病魔と闘いながらも人生のエンディングに向け、完璧に近い「終活」を進めていた。 「人生における早期リタイヤ制度を利用させていただいた」 41歳の若さで2012年10月2日に死去した金子さん。3日の通夜の会場は、自らが選んでいた東京・港区の心光院だった。 祭壇に飾られた遺影は2012年4月に撮影されたもので、オレンジのフレームの眼鏡をかけた本人が優しくほほ笑む。飾られたバラの中にも、オレンジのものが見えた。この色はお気に入りだという。参列者にふるまわれた仕出しの料理も、にぎりずしからオードブル、煮物とこれまた金子さんが決めていた。 「にぎやかにしてほしい」との思いから、控室
肺カルチノイドで亡くなった流通ジャーナリストの金子哲雄さんの通夜が営まれた。生前に自ら斎場を手配して、遺影や祭壇に飾る花もわざわざ選んでいた。墓の準備も怠りなかった。 参列者に向けた会葬礼状には、ユーモアを交えた文章を用意。病魔と闘いながらも人生のエンディングに向け、完璧に近い「終活」を進めていた。 「人生における早期リタイヤ制度を利用させていただいた」 41歳の若さで2012年10月2日に死去した金子さん。3日の通夜の会場は、自らが選んでいた東京・港区の心光院だった。 祭壇に飾られた遺影は2012年4月に撮影されたもので、オレンジのフレームの眼鏡をかけた本人が優しくほほ笑む。飾られたバラの中にも、オレンジのものが見えた。この色はお気に入りだという。参列者にふるまわれた仕出しの料理も、にぎりずしからオードブル、煮物とこれまた金子さんが決めていた。 「にぎやかにしてほしい」との思いから、控室
2023年09月20日発売 あなたに太陽を~CDデビュー20周年記念ベスト 2003年11月26日にアルバム『ソプラニスタ』でセンセーショナルなCDデビューを果たして以来20年。圧倒的な歌唱力でジャンルにとらわれない名曲の数々を歌い上げるオリジナリティと独創的でゴージャスなコスチューム、個性的なキャラクターでクラシ... 詳細をチェック 購入する
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稲盛氏は京セラとKDDIの2つの大会社を設立された経営者として知られる。稲盛氏は自分の成功の理由は才によるものでなく、人間として正しいことを追求するという単純な、しかし力強い指針であったと解説する。混迷の時代だからこそ、稲盛氏の愚直なまでの人間らしく、そして正義を貫く姿勢は、現代に生きる「武士道」の実践者ともいえ、われわれに生き方の指針を与えるものである。 稲盛氏は現代で成功しようとするなら、不正や小手先では上手くいかず、「人間は何のために生きるか」という根本的な問いを自分に投げかけ、自分自身の中から「哲学」を確立することが必要であると説く。 人間、生きている間は、財産、地位、名誉などいろいろな欲望に惑わされる。しかし、それらは「死」とともに、すべて失うものであり、固執すれば見苦しい死を招くことにもなる。死んでもあの世に持って行けるものはただ一つ、「魂」だけである。 「魂」をもってこの世に
このプロジェクトは、2012-07-10に募集を開始し、270人の支援により1,810,500円の資金を集め、2012-08-12に募集を終了しました ▲本プロジェクトへの思いを為末本人が語っております。 去る6月、大阪で開催された日本陸上競技選手権大会兼ロンドン五輪代表選手選考競技会にて、壮絶なラストランの末、25年にわたる現役生活に自ら終止符を打った「侍ハードラー」為末大。 その姿はメディアでも多く取り上げられ、たくさんの人たちに強烈な印象を残しました。 そして、為末が現役を退いてはじめて本格的にプロジェクトを始動します。 ■為末大が考える、次の展開。「議論出来る人間を育てたい」 為末大オフィシャルサイト「爲末大学」のスピンオフ企画として、 8/18(土)に「爲末大学、開校~議論出来る人間を育てたい」を開催します。 上記ビデオの中でも為末大本人が語っているように、 今回のプロジェクトは
「妻ですか? そらもう相当、怒っていますよ。僕は妻と子供に謝り続けるしかない」と汗びっしょりでそう語ったのは、橋下徹大阪市長(43)。 ことの発端は、『週刊文春』7月26日号で飛び出した『橋下徹大阪市長はスチュワーデス姿の私を抱いた!』と題する不倫告発記事。’06年から’07年にかけて、知事選出馬の半年ほど前まで橋下市長と不倫関係にあったと元ホステスが暴露したのだ。 記事によると、橋下市長は当時、妊娠中だった典子夫人(43)を置いて、松下奈緒似のこの女性と肉体関係に。行きつけのラブホテルでは、CAやOLのコスプレをさせて喜んでいたという。同時期には第6子が誕生し、さらに第7子まで授かっている。そんな夫の裏切りに対し、結婚17年目の夫人の怒りは相当なものだったようだ。 「冒頭の会見の前日夜には、『娘に制服着ろとは言えない』『ものすごいペナルティが家で待っている』と語るなど、まだ余裕があ
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