有名歴史ブログ「戦国ちょっといい話・悪い話まとめ」の記事「 家康の例の話についての雛型? http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8378.html 」 から話が進み「歴史小説(あるいは実際の歴史を基にした架空歴史小説)の書き手はどうやって種本、種史料を探して、それを取捨選択して自分なりのスト-リーにするのか」についていろいろと雑談させていただきました。 「司馬史観とかよくいうが、その元はけっきょく徳富蘇峰なんじゃないか?」なんて話も含めて…。
<BODY> <P>このページは、フレーム機能をサポートするブラウザで表示するようデザインされています。このテキストは、フレーム機能をサポートしないブラウザで表示されます。 </P> </BODY>
小説は自由だ。何をどう読もうと勝手だ。 けれども、小説から快楽を得ようとするなら、その技巧を知ることは有意義だ。前立腺やGスポットの場所を知らなくてもセックスは可能だが、より快楽に貪欲になるのなら、知っておいて損はないのと一緒(訳者の柴田元幸はもっと上品に、「ショートカットキー」に喩えてた)。「ヤってるうち自然と身につく」という奴には、「愚者は経験に学ぶ」という箴言を渡す。快は無限だが、生は有限。読める数は限られている。 同時に、小説書きにとってはバイブル級。読者を快楽の絶頂へ導く手引きが解説されているのだから。プロットやキャラといったハウツーを超え、マジック・リアリズムや異化、多声性、メタフィクションといった本質的なレベルで語られる。しかもサリンジャーやナボコフ、ジョイスといった練達者のテクストが俎上乗っている。心してかかれ。 ただし、いそいで付け加えなければならないのは、「知る」ことと
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く