有名歴史ブログ「戦国ちょっといい話・悪い話まとめ」の記事「 家康の例の話についての雛型? http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8378.html 」 から話が進み「歴史小説(あるいは実際の歴史を基にした架空歴史小説)の書き手はどうやって種本、種史料を探して、それを取捨選択して自分なりのスト-リーにするのか」についていろいろと雑談させていただきました。 「司馬史観とかよくいうが、その元はけっきょく徳富蘇峰なんじゃないか?」なんて話も含めて…。
まとめたtogetterでございます 家康など、歴史小説等の「出典・元ネタ」話〜山岡荘八、司馬遼太郎、田中芳樹、そして徳富蘇峰 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/653638 いろいろさらに補足したいのだが、時間ないので紹介のみにて。 途中に出てくる史料や書籍 司馬遼太郎 『覇王の家』 とその依拠史料 http://t.co/jRP3cwo9S9 「本稿では、今日の司馬評価を決定したと思われる『坂の上の雲』,後半部と同時期に書かれた『覇王の家』における依拠資料の分析と、その本文批判の水準を問題にしてみたい。さらに主人公・家康に対する司馬評価の… 歴史の読み解き方 江戸期日本の危機管理に学ぶ (朝日新書) 作者: 磯田道史出版社/メーカー: 朝日新聞出版発売日: 2013/11/13メディア: 新書この商品を含むブログ (9件) を見る司馬文学を解剖す
神無月久音 @k_hisane 「喧嘩両成敗の誕生」を読んでたところ、「仲間の一人を細川頼久の家中に殺された山伏が、集団で細川家(といっても細川和泉下守護家ですが)の屋敷を取り囲んで脅迫した」という話が出てきて、「すごいや!山伏が集団で屋敷を包囲するシチュエーションは実在したんだ!」とwktkしたり。 2013-03-19 20:17:48 神無月久音 @k_hisane しかも、山伏の圧力に屈した細川頼久は賠償として120貫文と田地16町を山伏側に払ったというので、ますます隆慶世界なノリで砂。集まった山伏がやたら多くて、しまいには神輿担いで屋敷内に乗り込もうとしてたというのもあったようですけど、個人的には包囲中、読経したかどうかぜひ知りたいところ 2013-03-19 20:22:03
吉村昭『総員起シ』に描かれている、悲劇の潜水艦伊第三三号。詳しくはWikipediaの当該記事を参照されたい。訓練中に沈没し、多数の犠牲者を出したこの呪われた潜水艦の最後の姿が、解体現場となった日立造船因島工場の関係者によって記録されていた。広島出身の友人の教えてもらったのだが、なかなか感慨深いので、備忘録として掲載します。 以下、悲運の伊33号潜水艦 三庄ドックでの最期の姿 読者から寄せられた写真 ( せとうちタイムズ )から引用。 いずれも撮影は昭和28年8月、とある。 撮影現場となったドックは、すでに埋め立てられてその痕跡も失われている。>>現場付近の航空写真 総員起シ (文春文庫) 作者: 吉村昭出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 1980/12/25メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 8回この商品を含むブログ (3件) を見る
さて、第一次世界大戦がどんな政治上の問題からどうやって始まったか、私はさっぱり解りませんが、連合国陸軍にとって世界大戦が勃発した直後からはっきりわかった事があります。それはイギリス軍やフランス軍の野砲部隊が装備する75ミリ級の軽野砲が、ドイツ軍の野砲部隊に配備されていた15センチ榴弾砲に威力の点で格段に劣り、射程でも圧倒的にアウトレンジされている、という現実でした。距離を置かれては射程が届かず、肉迫しては大威力の榴弾に撃ち負けるという、頭の痛い問題です。75ミリクラスの軽砲ゆえの機動性や発射速度の高さは野戦榴弾砲の火力を相殺できなかったのです。 それでも緒戦では野砲兵は何度も何度も敵前500m以下に躍り出て放列を敷き、敵弾を浴びながらも強力な榴霰弾射撃を行っています。銃火を浴びながらの直接射撃は野砲兵たるものの義務であり、開けた場所を突進してくる歩兵部隊には野砲が近距離で発射する榴霰弾は十
大友宗麟が製造 最古の国産大砲か? ロシアの博物館に展示 2011年9月29日 20:31 カテゴリー:社会 九州 > 大分 ロシア・サンクトペテルブルクの国立軍事史博物館に展示されている大砲が、戦国時代の豊後国(大分県)のキリシタン大名・大友宗麟(1530―87年)が、日本で初めて量産化に成功した国内最古の大砲「ファルコン砲」(石火矢(いしびや))とみられることが29日までに、東京大史料編(へん)纂(さん)所の調査で分かった。 同編纂所が9月に実施した現地調査に参加した豊後中世砲史研究会(大分県)の神田高士代表(45)=同県臼杵市教委職員=によると、大砲は青銅製で、口径80ミリ、全長264センチ。砲身に「FRCO」と刻まれている。 宗麟は、キリスト教の洗礼を受けた1578年以降、洗礼名「フランシスコ」を図案化した印章を手紙などに刻印していた。調査団は、この形と砲身の印章が一致すること
バイカル湖は中央アジアとシベリアの中間に位置し、周囲を深い原生林に囲まれた三日月型をした巨大な湖である。長さは640キロほどで総面積は31,500平方キロもあり、平均深度は730メートル。この巨大な湖に約350の河川が流れ込んでいる。 別な表現で言えば、琵琶湖の面積の50倍、水量では850倍である。これは北米の5大湖の全水量に匹敵する。つまり、地球上の全淡水の2割の量を占めていると言えば、バイカル湖がいかに巨大な湖なのかわかるだろう。 この巨大な湖は、一年のうち半分は氷に閉ざされ、湖面全体が凍ってしまうという極寒の気象条件下に置かれている。凍った巨大な湖面はシベリアの真珠とも謳われ大変美しいものである。しかし、この湖の底には今も、25万とも言われる大量の人間の魂が眠っているという事実は意外に知られていない。歴史の闇に葬られてしまった悲しい史実の一つがここにある。
「坂の上の雲」の時代に一気に世界の表舞台に躍り出た日本。それからわずか30年あまりで戦争への道を突き進んでいくことになる。日本はなぜかくも短期間のうちに世界の趨勢から脱落することになったのか。太平洋戦争70年の年に問いかける大型4回シリーズ。 戦後、軍関係者や研究者が、国策決定に関わった旧軍人や外交官を対象に膨大なヒアリング調査を実施した。その「幻の肉声」の山を手がかりに、第1回は、なぜ日本が孤立していったのかを探る。 NHKスペシャル|日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第1回“外交敗戦”孤立への道 番組のサイトはこちら↓ NHKスペシャル|日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第1回“外交敗戦”孤立への道 http://www.nhk.or.jp/special/onair/110109.html 以前内容をまとめました、『日本海軍 400時間の証言』と同様に、現場証言ともいえる音声記録
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 人類の歴史は、究極的に人口とエネルギー源という、2つの要素の変動に駆動されているのではないか。これが、30年以上専らエネルギー問題を考えてきた筆者の偽らざる実感である。産業革命も、その後の経済成長・変動も、戦争や革命や自爆テロも、人口とエネルギー源の量的・質的変動の観点から見てみると、通常学校で習ったり、新聞・テレビ等で解説されたりする姿と随分と違って見える。 実は、この2つは歴史的に環境問題とも裏腹の関係である。残念ながら、これまで主流の歴史学や経済学、政治学、あるいは社会学などでは、これら2つの要素が等閑視されているが、これらを抜きにして歴史や社会・経済変動を語っても表層的理解しかできないし、従って、人類の未来を展望することも困難と筆者は
リュティ元大統領の伝記を執筆したテュートラ博士。元大統領の墓碑の前で「彼の生き様を検証することがフィンランド国民にとって大切」と語った 第二次世界大戦で祖国を守るため対ソ連戦争を指導し、重要戦争犯罪人(日本でのA級戦犯に相当)として裁かれたフィンランドの故リュティ大統領(1889~1956年)。戦後、ソ連の圧力を恐れフィンランドで功績が公に語られることはなかったが、ソ連崩壊後、初めて公式に伝記が出版されるなどリュティの名誉回復が進んでいる。昨夏のグルジア紛争でロシアの権威主義が顕在化する中、「救国の戦犯」に強い関心が寄せられている。 フィンランド西部の小作農の家に生まれたリュティは幼少期から読書好きで、ヘルシンキ大学に進んだ。英オックスフォード大学に留学し西欧の自由主義に親しみ、1925年に中央銀行・フィンランド銀行総裁に就任した。ところが、39年11月、運命を変える事件が起きる。独ソ不可
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