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軍事に関するfrivolousmanのブックマーク (2)

  • 引き揚げられた伊第三三号潜水艦の写真 - 虚構の皇国

    吉村昭『総員起シ』に描かれている、悲劇の潜水艦伊第三三号。詳しくはWikipediaの当該記事を参照されたい。訓練中に沈没し、多数の犠牲者を出したこの呪われた潜水艦の最後の姿が、解体現場となった日立造船因島工場の関係者によって記録されていた。広島出身の友人の教えてもらったのだが、なかなか感慨深いので、備忘録として掲載します。 以下、悲運の伊33号潜水艦 三庄ドックでの最期の姿 読者から寄せられた写真 ( せとうちタイムズ )から引用。 いずれも撮影は昭和28年8月、とある。 撮影現場となったドックは、すでに埋め立てられてその痕跡も失われている。>>現場付近の航空写真 総員起シ (文春文庫) 作者: 吉村昭出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 1980/12/25メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 8回この商品を含むブログ (3件) を見る

    引き揚げられた伊第三三号潜水艦の写真 - 虚構の皇国
    frivolousman
    frivolousman 2011/10/25
    …化け物のような潜水艦だな…
  • いろいろクドい話 » 砲兵の仕事 3 (砲弾大量消費時代)

    さて、第一次世界大戦がどんな政治上の問題からどうやって始まったか、私はさっぱり解りませんが、連合国陸軍にとって世界大戦が勃発した直後からはっきりわかった事があります。それはイギリス軍やフランス軍の野砲部隊が装備する75ミリ級の軽野砲が、ドイツ軍の野砲部隊に配備されていた15センチ榴弾砲に威力の点で格段に劣り、射程でも圧倒的にアウトレンジされている、という現実でした。距離を置かれては射程が届かず、肉迫しては大威力の榴弾に撃ち負けるという、頭の痛い問題です。75ミリクラスの軽砲ゆえの機動性や発射速度の高さは野戦榴弾砲の火力を相殺できなかったのです。 それでも緒戦では野砲兵は何度も何度も敵前500m以下に躍り出て放列を敷き、敵弾を浴びながらも強力な榴霰弾射撃を行っています。銃火を浴びながらの直接射撃は野砲兵たるものの義務であり、開けた場所を突進してくる歩兵部隊には野砲が近距離で発射する榴霰弾は十

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