AKBとか、本当に日本社会の生きづらさを体現していて見ていてつらいです。彼女たちのショウに「システム」とか「権力と身体」とか「暴力」とかが透けて見えないひとは、こういうのを支えている中年のだらしなさと程よく折り合って生きているに違いない。ということを、誰かもっと言うべき。
アイロニカルな没入(笑)~統計データを無視して若者のナショナリズムに拘泥する大澤真幸自身がね!~ | あざみの効用 2006/08/17 メモした貧乏人は自白しろというニュースは結構衝撃的でした…日本は国家補償のハードルの高さ(=無罪放免)に比して、報償が低すぎるし。あとはマッチポンプ宮台の言い訳メモと。先日、また頭を抱えたくなるものを見てしまいました…。 視点・論点 「シリーズ戦後 『若者のナショナリズム』」 京都大学大学院准教授 大澤真幸 >8月15日は、日本人にとって、ナショナリズムという問題を考えずにはいられない日です。そこで、今日は、若者のナショナリズムについて論じてみたいと思います。90年代中盤以降より、右傾化やナショナリズムの傾向が若者の間で高まっている、と言われています。 もう、この時点から嫌~な予感がしていたんですが…それでもまさか大澤氏までもが半径3m妄想社会学者の仲間
自分探しが止まらない (ソフトバンク新書) 作者: 速水健朗出版社/メーカー: ソフトバンククリエイティブ発売日: 2008/02/16メディア: 新書購入: 22人 クリック: 1,118回この商品を含むブログ (306件) を見る 相方が某バンドのライブに出掛けてしまったので、お留守番を兼ねて上記の著作を自宅でノンビリ読了しました。ところで、この本は「自分探し」に嵌る「ベタな若者」を「メタな視点」で揶揄するシニシズムに溢れた按配なのかなぁと思って読み始めたのですが、著者はおそらく本書のための取材や資料研究を通して帰納的に、「自分探し」という普遍的な現象の背後に横たわる現代の情報消費社会の構造的な問題を提示する方向にシフトしていったのではないかと、感じた次第なのでした。 なので、あまりシニシズムというか「メタのメタのメタのメタ・・・」といった無限ループのポジション取りでベタや低層メタを揶
ホブズボームの『創られた伝統』以来、いま現在一見「伝統的」と見なされている事物が実は近代になってから創作されたものであるという認識枠組みは、社会学や人類学方面ではそれなりに一般化していますから、その意味ではその通俗音楽分野への応用研究ということでだいたい話は尽きるのですが、 http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334035907 「演歌は日本の心」と聞いて、疑問に思う人は少ないだろう。落語や歌舞伎同様、近代化以前から受け継がれてきたものと認識されているかもしれない。ところが、それがたかだか四〇年程度の歴史しかない、ごく新しいものだとしたら? 本書では、明治の自由民権運動の中で現れ、昭和初期に衰退した「演歌」――当時は「歌による演説」を意味していた――が、一九六〇年後半に別な文脈で復興し、やがて「真正な日本の文化」とみなされるようになった過
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