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人生に関するhtnmikiのブックマーク (54)

  • ビヨンセ基準の人生――タワレコ渋谷店サイン会に駆けつけたガチファンBEYONCE JPNが愛と感動を語り尽くす | Mikiki by TOWER RECORDS

    ビヨンセのサイン会……? 2024年3月29日、日のビヨンセファン、R&Bファン、音楽ファンはその現実感のない言葉に釘付けとなった。ビヨンセが新作アルバム『COWBOY CARTER』のリリース日、突如来日してタワーレコード渋谷店にてサイン会を行ったのだ。 サイン会ではビヨンセの真摯な対応も話題となったが、参加したファンがSNSで発信する姿にも注目が集まった。中でもX(旧Twitter)で大きなバズを巻き起こしたのが、仕事の予定を変更してサイン会に駆け付けたBEYONCE JPNさんだ。その当日の一連の投稿には、熱心なファンの興奮が詰まっていた。そこで今回はその喜びを分かち合うべく、BEYONCE JPNさんに取材を依頼。サイン会の様子やビヨンセの魅力を聞いた。 〈やったるで!〉なディーバマインドに共感 ――ビヨンセを好きになったきっかけはどういうものでしたか? 「ビヨンセをちゃんと認識

    ビヨンセ基準の人生――タワレコ渋谷店サイン会に駆けつけたガチファンBEYONCE JPNが愛と感動を語り尽くす | Mikiki by TOWER RECORDS
    htnmiki
    htnmiki 2024/04/10
    イイハナシダナー
  • 娘の保育園の運動会に参加したことについて

    娘の運動会には毎年必ず参加する。 今年は運動会のプログラムに強制参加の保護者競技があった。 私が娘の帽子をもらって入場門の列に並ぶと、周りは誰かの父親ばっかりだった。応援席では誰かの母親が頑張れって応援してて、児童席では私の娘が真顔でこっちを見ていた。私は元々運動は得意では無いので、保護者競技は余裕で最下位だった。 うちに夫はいない、2021年に他界している。 保護者競技が終わったあと、 退場列の中で、他所の家庭の声援を聞きながら、ふと、ここに夫がいれば良かったのに、と思ってしまった。 「いれば良かったのに」が脳内で勝手に 「(生きて)いれば良かったのに」に高速変換される。そして「もういない」と続く文章を自覚した瞬間に、突然いろんな言い訳と後悔と思い出がどばどば溢れてきて涙が止まらなくなった。 肩凝りがやばいって笑う夫に湿布を貼ったこと、なんてマヌケなんだろう。コロナ禍なんて気にせず病院に

    娘の保育園の運動会に参加したことについて
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    htnmiki 2023/11/27
    読みました
  • 義母のブログをこっそり読んでる

    義父母に渡した海外旅行土産をググったらそのお土産の感想のブログ記事が出てきて、書いたあった内容があまりにも渡した状況とよく似ていたので他の記事も読んでみたらどう見ても義母のブログだった。しかも家族や職場についてかなり詳しく書いてある。図らずも義父母、義祖父母その他親戚周り、旦那についてめちゃくちゃ詳しくなってしまった。 さあ嫁(=増田)についてはどんな悪口が書いてあるかな!?と好奇心と罪悪感がないまぜになったような気持ちで自分のことが載ってそうな記事を探して読み始めたが、「よく喋ってくれる」「明るい」「いっぱいお喋りした」と悪口は全然書いてなくてむしろほんのり褒めてくれてることが多くて読み進めるごとに申し訳ない気持ちになった。あとよく喋るとめちゃくちゃ書かれていた。オレはよく喋るぞ! オープン記事で公開されているとはいえ、自分はもう来てはいけない場所だなと思ったのでとりあえずブラウザを閉じ

    義母のブログをこっそり読んでる
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    htnmiki 2023/11/22
    こういう光は浴びても溶けないんだな。もっと浴びたい。
  • タレカツ、深夜ラジオ、薄荷の匂い。私が暮らした道東|文・せきしろ - SUUMOタウン

    写真・文: せきしろ 私は北海道出身である。 18歳まで北海道に、もう少し詳しくいうと北海道の「道東」と呼ばれる地域にいた。ざっくりいうと日地図で北海道を見て右側の尖っている方だ。 当たり前だが道東にはいくつも町があり、そのうちの4カ所の町で私は暮らした。北海道出身というと北海道自体にはいつかれるがその4カ所の町について訊かれることはない。かといって自分から話すこともない。しかし話したくないわけでもなかった。 今回町について書く機会をいただいた。これは4つの町に触れるチャンスである。もしかしたらこれが最初で最後の機会かもしれない。朧気ながらもある部分だけはっきりとした解像度がバラバラの記憶を、私のライフワークでもある自由律俳句と共に記そうと思う。 なんでもあった町、訓子府 ストーブの横にスケートが置いてある団らん せきしろ 私は1970年、昭和45年に訓子府で生まれた。「くんねっぷ」

    タレカツ、深夜ラジオ、薄荷の匂い。私が暮らした道東|文・せきしろ - SUUMOタウン
  • 彼女とやって楽しかったこと

    ・もつ鍋 2人前で1500円くらいする冷凍もつ鍋が、ドラッグストアコスモスで売られている。これ誰が買うんだよと思ってたんだけど、ネットで調べたら評判が良かったので、エイヤと買ってみて、彼女とやった。 IHコンロをわざわざリビングの机に移して、加熱しながらの鍋をやった。 美味しかった。美味しかったし、楽だった。材料を順次投入するだけで、かなり格的なもつ鍋ができた。でも途中で(うまいけど)モツうのキツい!ってなって、キャベツや豆腐を狙ってい、「ほら、モツだよ…べな……」と、親切めかしてモツをわせあう一幕があった。 ・防波堤で唐揚げ 品センターなる謎の店があって、海鮮が充実してるとのことだったので2人で行ってみた。 うっすら床が湿っていて、やや薄暗く、陳列はなんとなく乱雑な印象だったが、それでいて客は多かったので逆にいい店なのだろうと感じられた。 刺身の盛り合わせと唐揚げを買った。季

    彼女とやって楽しかったこと
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    htnmiki 2023/10/28
    はいはい溶けますよ溶ければいいんでしょ
  • 生きる力が湧いてくる (rnpress 野口 理恵) | 版元ドットコム

    株式会社rn pressは2023年で設立3年目になる。社員は私一人だ。アルバイトもいない。今回初めて版元日誌を依頼されたので自己紹介をしたいと思う。とはいえ、明るく楽しく自社を紹介したいところだが、なぜ私がいまの仕事を始めたかを語るにはどうしても生い立ちが深く関係していて、せっかくの機会なので自分のことを少し話そうと思う。42歳の若輩者の戯言だと思って、ぜひご一読いただきたい。 *     *     * 私は母と兄を自死で亡くしている。父も十代で他界し、祖父母はもういない。一度結婚をして息子がいるが親権は離婚した元夫がもっている。私はおそらく多くの人がもつ家族観をもっていない。おそらくこれからももつことはできない。小説やドラマに出てくるような家族像は、私にとってはドラマや小説のなかの話だ。ほんのわずかな記憶から血縁への強い憧れはあるのに、それが自分ではうまくつくれないことにいつも不甲斐

  • 日本の飲食店でメニューをGoogleレンズ翻訳すると海外にいるみたい

    1984年岐阜県生まれ。変な設定や工作を用意して、その中でみんなでふざけてもらえるような遊びを日々考えています。嫁が世界一周旅行中。 前の記事:豚以外のしょうが焼きをつくる > 個人サイト 平日と休日のあいだ 嫁が世界一周旅行中の旦那 Googleレンズが海外旅行で大活躍 先日オランダとデンマークに旅行にいった知人が、スマホで使える「Googleレンズ」という機能がすごく便利だったと言っていた。 こちらはオランダのアムステルダム国立美術館 Googleレンズというのは、スマホにGoogleのアプリをインストールすると使える機能で、 アプリを起動して、 「テキストを翻訳」を選び、 カメラを文字にかざすと、 すぐに翻訳してくれる。 僕ははじめてこれを体験したとき、すごすぎて「は?」と一瞬フリーズしてしまった。 今の技術ならこういうことはできるんだろうなと想像はしていたけど、実際に目にすると、あ

    日本の飲食店でメニューをGoogleレンズ翻訳すると海外にいるみたい
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    htnmiki 2023/10/24
    人生の楽しみ方が上手いなあ
  • 真面目な話をできる場所が無くて寂しい。 私自身は別に真面目というか単に..

    真面目な話をできる場所が無くて寂しい。 私自身は別に真面目というか単に興味のある事について語り合いたいだけなのど、一般的にはマジメで退屈、拗らせてるとか一蹴されてあまり興味を持たれないような話。 美とはなんぞやとか、美味しいメシを定義できるのかとか、世界平和は果たして実現できるのかとか。 古代ギリシャ人が暇すぎて哲学を始めたように、暇な時にふと考えるような素朴な疑問みたいな事について話し合いたい。 日常生活で周りの人間に真面目な顔してそんな事を言い出したら、雑に流されるかキチガイと思われて終わり。 だからネットとかで気楽にやれたらいいなって思う。私に近い内向的な人も多いはずだし。 しかし色んなサイトはあるけれど、どうにも喧嘩腰な人が多い。5chの哲学板は(5ch自体)過疎らしいし。 あと私がやりたいのは別にラップバトルではない。 一面的な正論や、正論ですらないリリックを並べ立てて正論感を競

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    htnmiki 2023/10/21
    ブコメを読んで俺の人生に奇跡は起きないと悟ったので今夜はやけ酒だ
  • 増田で飯を食うつもりだった

    増田黎明期の頃、大学生だった。 初めて反応がたくさん集まった時、当にうれしかった。 これで飯をおうと決めた。 まだブックマーク1つ2つで人気記事に入った時代。まだYouTubeで飯をえる人がいるなんて世間のほとんどの人間が思ってなかった時代。 大学時代を増田に捧げた。 その後も10年間増田に捧げた。 いつかこれで飯がえると信じて。 親の目も、世間の目も、友人の目も振りきって。 人気記事を量産してた時、自分のエントリがTwitterやまとめサイトで話題になったことも多かった。 増田の集客にも十分貢献したと思う。 でも、増田は俺に何も得させてくれなかった。 時間も可能性も人生も、何もかもを失った。 俺は明日からカスミというスーパーでアルバイトを始める。通勤は自転車田舎なので家にも空いてる車はあるが免許なんて持ってないからね。 大学時代「増田で飯をう」と決めアルバイトしていたローソン

    増田で飯を食うつもりだった
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    htnmiki 2023/10/18
    また明日!
  • 訳あって廃ビルの地下に一ヶ月住んでたことがある

    2階や3階は別の人が住んでた ダンボールかき集めて半額の弁当で飢えをしのいでいた 先住の人にいろんな話を聞いたり、焚き火を囲んでワンカップを飲みながら昔話をしたり 「お前はまだ20代なんだからこんな生活に慣れちゃあかん。早めに出て行けよな。」と事あるごとに言われてた。 決心がついて出ていくとき、仲の良かったじいさんが腕時計をくれた 親父の形見で、最後の最後までこれだけは質入れもできんかった (大したカネにもならんしな、と笑いながら) 当は子供に託したかったが、嫁も子供もどこにいるかもわからん だから預かってくれと。 何のことはない、シチズンの普通の腕時計だった あれからもう20年以上経つ とっくにビルは無くなっているし、自分は家庭は持っていない弱者男性に変わりはないが それでも毎日それなりの人生を歩んでいる 玄関にじいさんのシチズンを飾っている 電池切れか故障かわからないが、もう止まって

    訳あって廃ビルの地下に一ヶ月住んでたことがある
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    htnmiki 2023/10/04
    私もこうして生きていきたい >だから出会った人が不快だったり腹が立つ人であっても、一度受け入れて話を聞こうという信念が 自分の軸になっている
  • 6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカート..

    6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカートを履いていた。みんなは可愛いねと言ったけど私は変だと思ったから、変だねと言った。マホちゃんは怒って泣いた。 8歳のとき、父親が知らない女の人といるのを見た。私はそれを浮気だと思ったから、晩御飯のとき二人にそれを伝えたら、数カ月後、両親は離婚した。母親は一言私に、アンタのせいよとだけ言って、それ以来父親の話をしなくなった。 14歳のとき、マホちゃんが好きだと言っていた先輩に告白された。マホちゃんがあなたの事好きらしいので、と断った。それを伝えたら、マホちゃんは怒って泣いた。 16歳のとき、初めてのバイト先で品出しをしていたらパートの人からバックヤードに呼び出された。私の品出しの仕方が間違っていると話し始めた。私は慌てて商品のところに行って、直してから退勤した。それ以来パートの人から無視されるようになった。 18歳のとき、美

    6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカート..
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    htnmiki 2023/09/27
    マホちゃんがいる人生
  • 閉店した大阪・都島のスナック「ブスの店 杏」の長い歴史をママに語ってもらった

    大阪在住のフリーライター。酒場めぐりと平日昼間の散歩が趣味。1,000円以内で楽しめることはだいたい大好きです。テクノラップバンド「チミドロ」のリーダーとしても活動しています。(動画インタビュー) 前の記事:買った袋麺をその場で作ってべていい「ラーメンコンビニ」スタイルの店が鶴橋にあった 「ブスの店 杏」はこんな店だった デイリーポータルZで過去に公開された記事に、尾張由晃さんの書いた「楽しいスナックブスの店」がある。 2012年公開の記事なのだが、尾張さんが同じくデイリーポータルZライターの小堀友樹さんと一緒にドキドキしながらこの店に入った時のことが詳しく書かれている。すごく楽しかった雰囲気が伝わってくる。 私が東京から大阪に引っ越してきたのはこの記事が公開されたもう少し後だったのだが、近所を歩いていたら、ひさしや看板に「ブスの店」と書いてある店があって驚いた。 お店の外観はこんな感じ

    閉店した大阪・都島のスナック「ブスの店 杏」の長い歴史をママに語ってもらった
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    htnmiki 2023/09/05
    これはたまらんな……
  • 【続報】スタートアップという蟻地獄で死んだ後の話。

    どうも増田です。 以前状態で死をも考えた中、独り言が言いたくて【スタートアップという蟻地獄で死にゆくザマ】を書いた者です。 https://anond.hatelabo.jp/20230515224250 その後、生きてんのかどうなったのかわからんままだとちょっと後味悪いなと思って続報を書きます。 会社は亡くなりました。俺の財産は全く無かったのですが自己破産になりました。 重度のと自律神経失調になったんですが生きました。 なんか最後の方はVC担当の論点のすり替えと業界構造の話してんのに人間性云々になってたのでイラッとして「あの、それって論点ズレていませんか。まずこの件に関しては」と虚無で反論した結果ブチ切れられたけど淡々と「落ち着いて下さい、まずここの論点をクリアにしてそこからです。俺の人間性はまず置いて、物事についてを語らないとどうしようもないでしょう」と伝えたらブチ切れられちった⭐

    【続報】スタートアップという蟻地獄で死んだ後の話。
  • 「子ども、作らないの?」という問いへの長めの答え|塩谷舞(mai shiotani)

    個人の体験談です。いち患者である私の主観で書いたものであるため、正確な知識を得るためではなく、数多ある中のひとつのレビュー、程度に受け取っていただければ幸いです。また、文章内に誤った表現などがあればお伝えください。年齢のことや施術内容などセンシティブな内容にもなっているため、読み進めるかは序盤でご判断いただけましたら幸いです。 「14個採卵しましたが、凍結に至った数は0です」 その言葉を聞いて、目頭がじわりと温かくなるのを感じた。ゼロ。つまり、あの引き裂かれるような痛みも、日々の忍耐も、次に進む成果には繋がらなかったらしい。ゼロの内訳についての説明は淡々と終わり、その先のお会計で42,820円と表示されたのでそれを支払い、「4万円……今月のトータルで高額療養費制度を使えるかな……」と思いながら病院を出た。 今年の夏は嘘みたいに暑い。先週ここに来たときは、採卵後の激痛で歩くこともままならずタ

    「子ども、作らないの?」という問いへの長めの答え|塩谷舞(mai shiotani)
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    htnmiki 2023/08/26
    この方の人生が穏やかでありますように
  • まともに恋愛経験なくて彼氏いなくてできる兆しもなくて結婚もできそうになくて生涯孤独ルートに片足突っ込んでる人の自己肯定感の保ち方教えてほしい

    紫の鈴蘭の人 @Gmg_thankyou @owaritaigirl FF外から失礼します。アラフィフの私ですがぬさんと全く同じ状況です。劣等感もしっかりあります。誰にも選ばれないつらさを長く抱えていました。でも私自身誰のことも選ばなかった。結局は自分のことで精一杯になってしまうし。一人の寂しさより誰かといる煩わしさの方が耐え難いので今に至ります 2023-08-23 11:36:04 KOYARLAND @hiramika0711 @owaritaigirl 子どもできたから結婚できたけどすぐ離婚したしその後できる男からは金を吸い取られプロポーズされてもやっぱ無理と断られ同棲して共働きでこっち妊婦でも家事全部わたし、わたしって何?消えたいって定期的に思います男が変わっても一生これ、幸せもあるけど恋愛向いてないやつの恋愛が一番地獄です! 2023-08-23 18:25:48

    まともに恋愛経験なくて彼氏いなくてできる兆しもなくて結婚もできそうになくて生涯孤独ルートに片足突っ込んでる人の自己肯定感の保ち方教えてほしい
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    htnmiki 2023/08/24
    クソリプだけど自己肯定感が低くても生きていける。高みを望まないこと、自分なんてこんなもんだと受け入れること、すなわち自己容認感とでも。自分への期待値が高い傲慢な人は悩みがち。諦めろ。人生は諦念から。
  • 当時12歳だったイギリスとアメリカの少女たちが68年間文通を続け、80歳で初対面を果たす : カラパイア

    日々無常に流れる時のなかで、人間関係がうつろうのは自然なことだが、12歳のときから68年間、欠かさずに文通を続け、友情を維持してきた女性たちがいる。 イギリスとアメリカに住む同い年の2人は、今年80歳になったのをきっかけに、「直接会いたい」という生涯の願いをついに実現させ、初対面を果たした。 2人がこれまでにやり取りした手紙の数は800通以上にもなり、初めて会うにもかかわらず、「全然そんな気がしない」と笑顔で喜びを口にした。

    当時12歳だったイギリスとアメリカの少女たちが68年間文通を続け、80歳で初対面を果たす : カラパイア
  • お見合い相手「結婚したら自分の部屋にガンプラを置きたいんですけど」私「私も10振ぐらい刀を部屋に置きたくて…」→似た者同士なオタクカップル誕生?

    乙女椿 @otm_tubaki お見合い相手「実は僕ガンプラ好きで…結婚したら自分の部屋にガンプラの箱や作品置きたいんですよ」 私「あ、私も実は刀が好きで…結婚したら刀掛け新調して10振りくらい部屋に起きたくて…」 相手「今までそんな返しされたことなくてびっくりしてます」 2023-08-09 13:15:48 乙女椿 @otm_tubaki 私「あとコスプレも好きで、トルソーにウィッグと衣装を飾りたくて…」 相手「防犯に良さそうですね。リビングにも一体置きましょう。刀は刀剣乱舞とかFGOとかですよね?」 私(秒でバレテーラ) 2023-08-09 13:16:29

    お見合い相手「結婚したら自分の部屋にガンプラを置きたいんですけど」私「私も10振ぐらい刀を部屋に置きたくて…」→似た者同士なオタクカップル誕生?
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    htnmiki 2023/08/10
    「正直にお答えください。貴女は腐っていらっしゃいますか。」 「はい。腐っております。」
  • 普通の会社員がたまたま多摩川の野草を好きになり、会社を辞めて野草で食べていくようになった話【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 「365日野草生活」を掲げているのんさんは、ちょっとしたきっかけからどこにでも生えている野草の魅力に目覚めて、観察する時間がもっと欲しくなり、思い切って会社員を辞めて野草でべていくと決意したそうだ。 そこまで野草にハマっていったいきさつ、野草観察のポイント、そして好きなものを趣味から生きる糧へと変えていった貴重な経験談を伺った。 きっかけはペットのウサギがべられる野草探しだった 野草愛好家としてテレビやラジオなどに多数出演しているのんさんだが、意外にも野草を好きになった時期は、かなりの遅咲きだった。 のんさん(以下、のん):「生まれたのは青森です。父が転勤族だったので、五歳くらいで山形へ引っ越して、中学校からは横浜、大学時代は東京。社会人になってからは多摩川の近くに住んでいます」 ――野草好きだけに、山形に住んでいた頃は野山を駆け回るタイプだったのですか。 のん:「そ

    普通の会社員がたまたま多摩川の野草を好きになり、会社を辞めて野草で食べていくようになった話【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン
    htnmiki
    htnmiki 2023/07/05
    「濡れた姿も見たいじゃないですか」「は、はい」
  • 恋愛が重視されるこの世で生きていて、本当に死にたくなる。

    私はそこそこの容姿で生まれてきた。それは有名事務所からスカウトされたときに確信に変わった。 みんなから言われてきた。 「モテるでしょ?」 みんなの中では顔が可愛ければモテるという認識らしい。実際、モテる人の中には顔が可愛い人が多い。だから私もそう思っていた。 しかし私はそうではなかった。 顔に問題がなければ、性格でしかないのだろう。モテるでしょうと聞かれるたびに、モテない自分が小さく見え、人格否定をされる気分だった。 あるとき私のことを好きだという人が2人ほど急に現れた。高校生のときだった。 その頃には苦手だった会話も少しだけ克服できていたように思う。良く笑うことを心がけ、上品に過ごしていた。モテたかった。 けれどそうして努力した先に私のことを好いた2人は、お世辞にもかっこいいとは言えず、清潔感もなく、片方は人によって態度を変える人間で、片方は勉強が全くできなかったし何故だか毎日ノーパンだ

    恋愛が重視されるこの世で生きていて、本当に死にたくなる。
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    htnmiki 2023/06/21
    恋愛を重視しているのはこの世ではなくこの人だったという。物語をたくさん摂取するともう少し世の中というものが見えるんじゃないかと思いました。本でも漫画でも映画でもなんでもいい。
  • パパと私|伊藤亜和

    パパと会わなくなって7年経った。 死んでしまったわけではない。パパは私が住む家から歩いて1分ほどの場所に住んでいる。でも会わない。 喧嘩をしたからだ。 私が18になったとき、私とパパは警察が来るほどの大喧嘩をして、それ以来いちども顔を合わせていない。 私のパパはセネガル人だ。アフリカの西の、イスラムの国の人間だ。 私の名には苗字がふたつ付いていて(戸籍上片方の苗字は名前扱いになっているけど)、パパの家系の苗字はセネガルの由緒ある聖人の家系の印として付けられているらしい。 パパが言ったことなので当かは分からない。でも実際、時々知らないセネガル人から「ごきげんようプリンセス」とメッセージが届く。くるしゅうないぞ。 今でこそ横浜の片田舎で祖母の作った鯛のあら汁を啜るどこにでもいるプリンセスこと私だが、パパと暮らしていた幼いころの家の様子はやはり他とは異なるものだった。 壁いっぱいに飾られた教

    パパと私|伊藤亜和
    htnmiki
    htnmiki 2023/06/19
    本人が今これを書けていることを良かったと言っていいのかわからんな。人生は難しい。